風雲、急を告げる感じ
いつものようにテーブルを囲み、ハルマとソラヤ、そして私の三人で朝食を食べる。
今日もひとつ空いている席が少し寂しい。
「ほら、イミナ。このナッツたっぷりのパンは美味しいよ。食べてみて」
ハルマは私にパンをちぎって渡してきた。
彼は相変わらず、甲斐甲斐しく私の世話を焼く。
その様子をソラヤは呆れた目で見ているけれど、何か言うことはない。
もう、突っ込むのも馬鹿らしくなってきたのだろう。
他の生徒たちもこの情景にだいぶ慣れてきたようで、学院の人気者を独り占めする私に嫉妬の感情をぶつけるよりも、ユートのことを心配する方に忙しいみたいだった。
ユートはこれからどうするんだろう。
連れ帰ってきておきながら、自分で出来ることの少なさに私はやきもきしていた。
「ユートはいつまであそこで閉じこもってないといけないのかな」
私はこっそりとハルマに聞く。
「そのことだけど。今後について、王子が直接話し合いに来てくれるらしい」
ハルマもひそひそと返してくる。
「え……。王子が来て大丈夫? 目立たない?」
私は不安になる。
ランギルト王子はみんなのアイドルだ。その姿を少しでも見せるだけで、すぐに大騒ぎになってしまうだろう。
「王子は優秀な魔術師でもあるって知ってるだろう? きちんと”お忍びで”来てくれるよ。僕たちがユートを連れてどこかに行くより、はるかに安全だよ」
「……そっか」
ハルマはいつも通りに優しく諭す。その言葉で、私は納得した。
数日後の午後。
私たちは王子の要請で、ユートの部屋で彼を待った。
ハルマが何か合図を受け取り、王子を部屋に招き入れる。
王子は相変わらず堂々とその美しさを振りまいていたけれども、その周囲を謎のオーラが包んでいて、そこだけ少し空気が違うように感じた。
あれが目くらましの魔法だろうか。
王子のようなカリスマの塊のような人間が、なんの混乱も起こさずに一人でここまで辿り着いていることに、私は感心した。本当に魔法は得意なんだろう。
王子は派手な真紅色のマントを脱いでハルマに預け、椅子に座り、いきなり切り出した。
「強制的に、この学院にいる場合ではなくなりそうです。それはユート・ヴァレオンだけではなく、ハルマ・ジェレルも、ソラヤ・リナライトもです」
私たちは、驚いて息をのんだ。
「事態は芳しくありません。この国は、近いうちに勇者の力が必要になります」
「そこまで切迫しているとは……」
ハルマはそう言って顔を曇らせ、ソラヤは表情をきりりとひきしめた。
ユートは表情を変えず、黙っている。
王子は話を続ける。
「私はこの数年、国中を回って調査してきました。そして、魔を封じる結界が不自然に予定より弱まっている様子を目の当たりにしました。荒ぶる魔物の目撃例も増えてきています。問題は内密に処理するように努めてきましたが、このままでは幾ばくもなく民衆が知るところになるでしょう。そうなれば、この国をまた昔のような混乱が襲うことは想像に難くありません」
「この国の平和が、終わるというのですか?」
ユートは真面目な顔をして言った。
「その通りです」
私は話を聞きながら、資料や夢で見た荒廃した昔の光景を思い出していた。
また、ああいう風になってしまうのだろうか。
「この大陸を魔王の恐怖が支配したとき、国家間は争う余裕を失った。そして魔王がこの世から消えたあとも、そのまま人間同士の戦争が起こることはなく、平和な時代が続いた。でもそれが、今また崩れようとしています。再び、魔の手で」
「また、魔王のような存在が生まれる可能性があるということでしょうか」
「……否定できませんね。王立魔術師軍の調査結果が示すところによれば」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
その時、私はどうなってしまうのだろう。
私の中の、魔の血は、どうなるのだろう。
私はソラヤの方をちらりと窺った。
彼は、私が100年前の魔王と関係していることを知っている。
この話を、一体どういう気持ちで聞いているのだろうか。
「必要としているのは、あなたの力もですよ。イミナさん」
「え? わたし?」
考え事をしている最中に名前を呼ばれ、私はきょとんとした。
「だからこの場に呼んだのです。あなたには才能がある。必ず私たちの大きな力となるでしょう。魔力の儀、すでに二段階目まで済ませているのですよね? 三段階目を受ける準備をしておいてください」
「えっ」
魔力の儀、三段階目。
それは、強大な魔力を得るのと引き換えに、死のリスクすら伴う危険な儀式だ。
「それは無理です、王子!」
ハルマは慌てて私をかばうように抱きしめて言った。
「僕はイミナを危険に晒すことは出来ません。いくら王子の言葉でも、さすがにそれを許すことは出来ません。どう考えてもイミナには負担が大きすぎる」
口調と同様に、彼の腕に力が入る。
相変わらずハルマは、自分の腕が私の口元を覆って息苦しくさせていることに気付いていない。
天才魔術師なんて言葉が先行しているけれど、彼は結構不器用な人なのかもしれないなと思った。
「ハルマ・ジェレルはそう思ってるんだね。でも、イミナさんはどうなの?」
王子は銀髪を揺らし、長い睫毛を強調するように目を細めて微笑んだ。
「私……」
私が口を開こうとすると、ハルマが腕を緩めた。
私は。
私はどうしたいのか。
「私は、強くなりたい……」
でも、怖い。とても怖い。
今までの儀式だって、とても痛い目にあったり、自分の知らなかった過去が蘇って精神的に追い詰められたりした。
はっきり言って、不安しかない。
それでも、強くなれるなら、強くなりたい。
「だから、受けても、いい……かもしれない……」
王子は満足げにうなずいた。
私はそれを見て言葉を続ける。
「でも、それは、ハルマとか、ソラヤとか、ユートとかが、大丈夫だって言ってくれたら、だけど」
目を伏せて、言葉を絞り出すように一言ずつ言った。
強くなりたいけれど、死にたくはない。
大丈夫だと確信しない限り、次の魔力の儀は受けたくない。
「私が大丈夫だと言うのは保証にはなりませんか?」
王子はまたその高貴な微笑みで私を見つめる。
あまりに眩しい。
この笑みを向けられたら、きっとこの世界のほとんど女の子は、恋に落ちてしまうだろう。
でも私は残念なことに、そう簡単には人に心を許せないのだった。
「……私、王子のこと、あまり知らないし……」
「それはそうだ」
王子は愉快そうに、でも上品に笑った。
ハルマが割って入ってきた。
「そもそも、教師たちの許可がおりないでしょう。それに第三段階は、儀式を行う魔術師が10人は必要になります。そう簡単に手配出来ません」
「許可は私が口添えします。それに、儀式もこちらで手配します」
「え? 儀式もですか?」
ハルマはぽかんとした。
「儀式を行うにふさわしい、質の良い宮廷魔術師を揃えておきます。その方が学院で行うより安全でしょう?」
「それはそうかもしれませんが……」
ハルマは不安そうに私を見る。
「ハルマ・ジェレルは本当に妹のことが心配なんですね。わかってます。悪いようにはしませんよ」
王子はまた私の方を見て言った。
「一か月後に、城に来てください」
それからあたりを見回した。
「他の3人は、然るべき時に備えておいてください」
3人の勇者様は、真剣な顔をしてうなずいた。
一か月。たった一か月で、私の何が変わるのだろう。
「イミナくん。君は結構、強いんだな」
「え?」
王子は城に戻り、ハルマは隣の自分の研究室に戻って、私とソラヤは二人で寮の方へ帰る途中、ソラヤが感心したように話しかけてきた。
「逃げなかっただろう? 儀式の話から」
「あ。う、うん。逃げてないって言うか、みんながいいって言ってくれたら、だけど……」
「僕たちを信頼しているということだ。それは正しい判断だ」
ソラヤはいつもの真顔できっぱりと返す。
「そ、そうかな」
そういうことかな?
私は自分でもよくわからなかった。
「以前は感じられなかった強い芯のようなものが、最近は君の中にあるようだ。いいことだと思う」
ソラヤはそう言って眼鏡を光らせた。
彼に褒められていることに気付き、私は顔を赤くした。
「? どうした?」
「……ソラヤって、そういうことを恥ずかしげもなく言うよね……」
ソラヤは怪訝そうな顔をした。
「感じたことをそのまま言っているだけだが。大体、先輩たちの方がよほど普段から歯の浮くようなことを言っているじゃないか」
「あれはまたちょっと違うよ……」
私は上手く言えないまま、言葉を探す。
ソラヤはそんな私に構わず続ける。
「僕はまだ第三段階は受けられない。それは自分で分かっている。しかしいつかは受けたいと思っている。……しかし、あまり時間がないようだ。」
ソラヤはこぶしを強く握った。
「とりあえず、心身を鍛えることが肝要だと思う。良ければイミナくんも一緒に僕が通っている剣術道場に行こう。剣を使わずとも、精神と肉体を根本から鍛えることが出来る」
「う、う~~ん……」
ソラヤの訓練を見学したときの様子を思い出す。
それを自分がしている姿が想像できず、私は答えを渋る。
「まず次の休日に試しに行こう」
「行くだけなら……。それより……」
「なんだ?」
「……う、ううん……いい……」
私が強い力を得ても、彼はいいのだろうか?
私は魔王の娘なのに。
私の疑念に気付いているのかいないのか、ソラヤは聞いてきた。
「イミナくんは、なぜ強くなりたいんだ?」
「え? それは……」
「僕は勇者としてふさわしくありたい。ハルマさんにも見劣りしたくない。だから強くありたい。イミナくんは?」
私は考えた。
私はいつも人々の悪意を向けられていた。
自分に害をなすものを乗り越えたかった。
それから……私は……。
「守りたい」
「え?」
「ユートとかを、守りたい」
たとえ呪いでも、自分のことを大切にしてくれる人を、守りたい。
そのとき、そう思った。
ソラヤはまた、真面目な顔をして黙った。




