英雄の血に祝福を
その日は、朝食にユートの姿がなかった。
食堂にいる女生徒たちが、心配そうに私たちの方をちらちらと見てはひそひそと話す。
「ユート、どうしたのかな……?」
私は芋のスープを飲みながら、ぽつりと疑問を口にした。
「彼は実家の方に呼び出されているみたいだね」
ハルマが答える。
「良く知ってるな、ハルマさん」
ハルマはソラヤの反応にちょっと眉をひそめた。
「……ソラヤには来てない? 王宮の使い」
「え?」
ハルマは、ぽかんとするソラヤに何か耳打ちをしたようだった。
軽く魔法をかけたようで、外からは音も口の動きもわからない。
ハルマが姿勢を戻すと、ソラヤの表情が普段以上に真剣なものになった。
大っぴらに話せない内容なのかしら。
勇者の子孫たちだけが共有する機密……?
――もしかして、魔王関係?
次の日の早朝、まだ薄暗い中、誰かが乱暴に私の部屋のドアをノックした。
眠い目をこすりながら開けると、そこにはユートが疲れた顔をして立っていた。
「な、なに、どうしたの、ユート。ここ、女子寮……!」
私は驚きながらも、なるべく大声を出さないように気を付けながら彼を帰そうとした。
他の部屋の人たちに気付かれてしまったら大変だ。
いつもは使い魔だけを寄越すのに、どうしたんだろう。
けれども、ユートは無言のまま無理矢理に私の身体を押しながら部屋に入ってきて、後ろ手にドアを閉めた。
そして、自分の腕の下、壁際に私を押し込めた。
二人の鼓動と息遣いだけが間に満ちる。
部屋の隅では、キズナが警戒しながら私たちを見守っていた。
「……今、帰ってきたの?」
私はやっとのことで口を開いた。
「そうだ」
それだけ言ってユートは口を真一文字に結んだのち、吐き出すように言った。
「やっぱり、学校に残るのはやめた」
「……え?」
「今すぐ学校は辞める。そして遠くに行く。イミナちゃんも旅立つ支度をしておいて、今晩までに」
「え、なに、また冗談……?」
ユートのあまりに急過ぎる申し出に、私は目を白黒する。
「冗談じゃない」
彼は私の顔を真っ直ぐに見つめる。
今までに見たことがないほど真剣な表情だ。
瞳の紫色が一段と澄んでいる。
嘘偽りのない、目。
「そんなこと突然言われても、困る」
私は顔をそむけながら答えた。
視線を動かした先、彼の袖口の奥の腕に大きな傷が見え、また私の心臓が跳ねた。
「……頼むよ」
ユートはその切れ長の目を、切なそうに細めた。
そして顔を一・二度振って、腕の力を抜き、部屋を出て行った。
「一体何なんですか、あいつは。姫に向かって」
キズナはまた不愉快そうに魔のオーラをぷしゅぷしゅさせた。
嵐のような出来事に、私はただ茫然として突っ立っていた。
……どうしたんだろう、ユート。
一体、何があったの?
その日の朝食にも、ユートは現れなかった。
「ユート先輩はまだ帰ってきていないんだろうか?」
ソラヤがパンをちぎりながら不思議そうに言う。
私は今朝会ったとも言い出せず、黙ってスープを口に運んだ。
ユートの思いつめた顔を思い出し、心がざわざわする。
「いや、戻ってきているよ。さっき会ったから」
ハルマの言葉に私は思わずスプーンを落としそうになった。
なんだ。ハルマには会ったんだ。
「じゃあなぜ来ないんだ。あんなにイミナくんに執着しているくせに」
「執着って。純粋に好きなんだろ、イミナのこと。ね」
ハルマはソラヤをたしなめ、私に微笑みかける。
――純粋かどうかはわからないけれど。
私はスプーンをくわえてうつむく。そして、
「……どんな感じだった? ユート」
ドキドキしながら訊ねる。
「普段通り」
ハルマはそう言ってにっこりしたあと、平静の表情に戻して言葉を続けた。
「と、言いたいところだけど、あれは普段通りのふりをしているだけだね。大分動揺しているみたいだった」
相変わらずハルマはユートの変化に鋭いようだ。
「……もしかして……」
ソラヤは食事の手を止めた。
「うん。そうだね」
ハルマは無感情で言う。
なんだろう。何があったんだろう。
私は落ち着かず、二人の顔を見比べる。食堂のざわつきが大きく聞こえた。
「……まあ、イミナには言っておくか。王子もイミナに対してはこの件の周りについては口留めを必要としないと言っていたし。よほど才能を買われているんだね」
「え……?」
ハルマはまた内密の話をするための魔法を私との間にかけてから、私の耳にささやいた。
「ユートが、ヴァレオン家における存命の人間の中で、最も勇者としてふさわしいと認められたんだよ」
自分の耳を疑った。
心臓が止まるかと思う。
永遠にも思えた一瞬ののち、私は口を開いた。
「え……どういうこと……?」
「最近、いろいろと不穏な動きがあるだろう。結界が破れて、魔物が暴れたり。だから、有事のために、勇者を準備させることになったんだ。それで、ヴァレオンの人間全てに対して、英雄の血の濃さを判定する儀式が幾度か行われたんだ」
「……それでユートが選ばれたの……?」
自分の唇が震えているのを感じる。
「そう」
「でも……ユートはそこまで才能がないって言っていた……。他の兄弟よりも……。それなのに、一番の英雄の子孫なの?」
「なぜだろうね。あいつは、いつからか自分の能力を隠すようになったらしい」
ハルマは目を伏せた。
ソラヤはただ黙って私たちの様子を見ている。
「こういうことだから。イミナも何かあったら駆り出されるかもしれないからね。魔法の腕を磨いておくんだよ」
ハルマの声が遠くなっていく。
私は、自分の鼓動の大きさで、他の何もかもが聞こえないような錯覚に陥った。
ユートが。
ユートが、正統なる勇者の後継者だった。
それじゃあ、やっぱり。
「私を守る」呪いがかかっているのは、ユートだったんだ。
頭がぐわんぐわん揺れる。
足元がおぼつかず、授業中も上の空の私を、ソラヤは心配して手助けしてくれた。
事務的なその対応が、今の私にはありがたかった。
夜の帳が下りた頃、再びユートが私の部屋に現れた。
制服姿ではなく、コートを着ていた。
「準備はしてくれた?」
キズナによって中に導かれながら、彼は聞いた。
「……ねえ。なんで逃げるの?」
私は暗い部屋の中、ベッドの上で膝を抱え、据えた目でユートを見ながら言う。
ユートは張りつめた表情をふっと緩めた。
「君以外の全てを捨てるためだよ」
「……なぜ私を連れて行きたいの?」
「君のことが好きで、俺の真実だからだよ」
月のか細い明かりの中で、ユートは儚く笑った。
――真実? 何が?
なんだか私は胸が締め付けられた。
「呪いで、私のことを好きなくせに」
つい、言ってしまった。
「……なんだって?」
ユートは怪訝そうな顔をしながら聞き返す。
「だから、ユートのその気持ちは、ユートのものじゃないの」
私のやけくそな言葉に、ユートの顔色がさあっと失われた。
「何を言ってるんだ、イミナちゃん。こんなときに冗談はやめてくれ」
私は口をつぐんだ。
彼の後ろで、キズナは威嚇のオーラを放つ。
部屋に満ちる異様な空気に、徐々にユートに狼狽の色が増していく。
「……なんの話だ。なあ?」
「くどい!」
キズナが恫喝しながら割って入ってきて、ユートの前に立ちはだかった。
「ご主人様の言う通りです。貴方のご主人様への想いは、貴方にかけられている呪いによるものです。貴方の真の心ではありません」
「使い魔が何を……!」
ユートは何か言い返そうとしたけれども、キズナの威圧感に負けて息をのんだ。
キズナのまとうどす黒いオーラはどんどんその強さを増していき、ユートを飲みこもうとする。
その、元魔王軍の大魔導士が放つただならぬ気配に、ユートは諦めの表情を浮かべた。
「嘘だろ……。おい……」
ユートの顔は真っ白だった。髪の毛が彼の目にかかり、その表情を隠す。
その、私よりもずっと動揺している様子に、私は驚いた。
なぜ。どうして、そこまで。
「……なんで。どうしてそんなことがあり得るんだ」
ユートはかすれた声で言う。
キズナは冷酷に告げる。
「貴方が、勇者だからです」
「そうか……。勇者だからか……。勇者ね……」
すでに心が壊れていたのだろうか。
その、経緯を知らなければめちゃくちゃな論理を、ユートは受け入れた。
その長身の身をゆらりとさせながら体の向きを変え、
「さよなら」
ただそれだけ言って、部屋を出て行った。
なぜ。どうして、そんなにも。
ユート。




