悪の姫の夢
暗い、暗い洞窟の中で、私は震えていた。
たくさんの呪いの声が押し寄せてきて、頭はガンガン痛んだ。
その中、突然、優しい声が聞こえてきた。
――大丈夫かい?
それは呪いの声を打ち消し、同時にどこからか暖かく優しい空気が流れてきて、誰かの手が差し伸べられた。
私は自分の顔を覆う腕の隙間からそれを見た。
曖昧なシルエットはゆっくりとその姿を鮮明にし、知っている人の顔になった。
ハルマ。次にユート、さらにソラヤが現れた。
私は驚いて聞いた。
――みんな、どうしてこんな場所にいるの?
三人はにっこりと笑って、声をハモらせながら言った。
――君のことが好きだから、助けに来たんだよ
そんな場面で、私は目を覚ました。
大きく息をつく。
……恥ずかしい! とっても恥ずかしい!
どう考えてもこれは過去の記憶じゃない。
私の妄想の夢だ。
なにこれ。私ってば潜在意識下で、こんなことを望んでいたの?
顔を真っ赤にし、一人、ベッドの上でしばらく身もだえする。
キズナはそんな私を見て、やれやれといった風に首を振る。
「イルミナーナ姫。あまり奇怪な行動はやめてください。魔族の姫としてふさわしくあってください」
「そんなの知らない……」
私はぐんにょりと伸びて生返事をした。
今朝もいつものメンバーで食堂に行く。
ユートとハルマは優雅にコーヒーを飲み、ソラヤはソラヤセットを食べる。
何も変わらないかのような日常。
その一見平穏な朝食シーンの裏で、私の心の中は怒涛の変転でざわついていた。
勇者の血には、私を慕い守る呪いがかかっている?
それは正統なる勇者の後継者・只一人のみに受け継がれる呪いであって、数多の勇者の子孫たちのうちの誰にかかっているかはわからない?
結局、みんなはどうして私に構ってくれているのかは不明のまま?
スープを飲むスプーンを口に突っ込んだまま、私は思考をぐるぐると巡らせながら、三人の顔を順繰りに見た。
普段通りの、みんなの顔。
わからない。
その整った顔たちが、何を考えているのか、わからない。
もとより人間関係の機微に関しては経験が薄くて苦手なのに、こんなややこしい事態は私には高度過ぎて処理できない。
こうなってくるとソラヤみたいに、感情と関係なく「そういうことだから」という態度でいてくれた方が、冷たいようでいて一番気楽かもしれないなと思った。
「イミナくん。手が止まっているぞ」
考えていたその当の本人に話しかけられ、心臓が大きく跳ねる。私は慌てて食事を再開した。
「まあいいじゃないか。のんびり行こうよ」
そう言いながらユートは目を閉じてコーヒーをすする。青い髪がふわりと揺れる。
「先輩はもう授業が少ないからいいかもしれないが、僕たちはそういうわけにはいかない。もたもたしていると遅刻だ。ただでさえ今朝はイミナくんが部屋から出てくるのが遅かったために、そのまま予定のずれが生じている」
ソラヤの言葉で、ベッドからなかなか出られなかったことを思い出し、そこからまた今朝の夢のことを思い起こして、恥ずかしくて三人の前から逃げ出したくなった。
――君のことが好きだから、助けに来たんだよ
ほんと、なんであんな夢を見ちゃったんだろう。
今日の授業はフィールドワークだった。
私はソラヤと一緒に学院の敷地内を巡りながら、魔力の流れを調べていた。
黙々と、ただ淡々とリサーチを続けて、ノートに記していく。
二人の間の距離感は、つかず離れず、微妙な感じを保っている。
先を歩いていくソラヤの背中を見ると、魔力の儀の第二段階の前にはずっと手を繋いでいたことを思い出し、当時はあんなに恥ずかしかったのに、今はちょっと寂しかった。
私たちの間に流れる魔力は今はどうなっているのだろうと考えながら、ノートを覗き込む。
その瞬間、足元で何かひっかかった。
ソラヤは倒れそうになった私の手を掴み、そのまま自分の身体に引き寄せる。
「歩きながら他のことをするときは、しっかりと周囲に気を配れ」
そう言ってまた私を離した。
義務的な、私の護衛。
私は掴まれた自分の手を見る。
「……ソラヤは私の正体を誰にも言ってないみたいだけど、どうして?」
ソラヤは振り向き、片方の眉を吊り上げる。
「どうでもいいって言っているだろ。ご先祖の声以外は」
「でも、ソラヤにはよくっても、他の人たちにはよくないかもしれないでしょう。例えば、また王子に情報を求められたらどうするの?」
ソラヤは少しの間黙った。そして、
「……言ってはいけない気がするんだ」
苦しそうに吐き出し、また歩き始めた。
言えない? 言うことが出来ない?
これもまた、勇者の血の呪いによる制御だろうか。
私を守る為に、余計な情報を外に洩らせないのだろうか。
ソラヤは数歩進んでから私がついて来ていないことに気付いたらしく、振り返った。そして、私を見てちょっとぎょっとした。
「……なんでそんな顔をするんだ」
「え? 私、どんな顔をしている?」
「……悲しそうな顔だ」
ソラヤの黒い瞳が揺らめく。
「……そうかも。なんか、悲しいかもしれない」
私は自分の気持ちを探りながら言う。
「悲しい? 何故? 君に都合がいいんじゃないのか?」
ソラヤの言葉が私の胸に刺さり、また悲しみと怒りがない交ぜで胸がいっぱいになる。
「……私だってわかんない」
私は頬を膨らませた。
ソラヤはそんな私を見て複雑な表情をした。
そのまま二人とも無言でしばらく歩いたところで、大きな木の下に誰かがいるのを見た。
ユートだ。
彼は、9匹の銀色の狼と一緒に木陰で寝ていた。
狼たちは、主人が動く前にその首を一斉にこちらに向けた。毛並みが木漏れ日にきらきらと輝く。
「あれ? イミナちゃん、ソラヤ、何してるの?」
ユートは寝転がったまま手をひらひらさせて話しかけてきた。
ソラヤは近寄りながら聞き返す。
「フィールドワーク中です。ユート先輩こそこんな学院の隅で何を?」
「俺は授業がない時間だから、みんなで昼寝。ね、イミナちゃんもおいで」
私はユートに促されて、狼のベッドに背を持たれかけて座った。
「あれ。毛は硬いのかと思っていたけれど、けっこうふかふかしている……」
「気持ちいいだろう?」
ユートは自分の腕の下で、狼の首元をなでた。
狼が目を細める。心から安心しきっているように。
ソラヤは私の寄り道にため息をついた。
「なんでユートの使い魔は9匹もいるの?」
私は狼をもふもふしながら聞く。
「多い方が楽しくない?」
「そう?」
私はキズナがたくさんいる様子を想像する。
今の口うるさいバージョンでも、前のアホっぽいバージョンでも、数が多いとかなりうざそうだ。
私には使い魔は一匹でいい。扱いきれないし。
ユートは兄弟も親戚も多いし、大勢でいる方が落ち着くのかな。
でも、お兄さんとの仲はかなり険悪そうだったけど。
「……ユートは、卒業後も学院に残るの?」
私はユートとお兄さんの会話を思い出し、聞いた。
「そのつもりだ。ハルマ先輩と同じようにね。すでに研究室を貰えるように手はずを整えた。まあ、空いている部屋だけはたくさんあるからね。あとは成績かコネの問題だ」
そう言ってにっと笑う。
「……それでコネ使ったんだ。王子の」
「まあね。成績じゃ微妙だから」
「そうなの?」
「ま、悪くはないよ。むしろそれなりにいける、コネが最後のひと押しになる程度には。ただ、ずば抜けていないんだ。ハルマ先輩みたいな化け物じゃない」
……”ずば抜けていない”。
やっぱり、ユートは正統なる勇者ではないのだろうか。
「まあでも、ハルマ輩は宮廷魔術師の内定もあるしすぐにでも学院から出ていくかもしれないけど、俺はそんな才能もないし、イミナちゃんがいる間はここにいるよ」
そう言って私を抱き寄せようとする。
日差しも、ユートの手も暖かい。
どうしてそう優しいの?
ユートの笑顔をどう受け取っていいのかわからずに、私は曖昧な表情をしていた。
そんな私たちを見てソラヤは、もう一度ため息をついた。
授業を全て終え、一度部屋に戻った。
ぼんやりとベッドに腰かけている私を見て、キズナは不安そうに言った。
「イルミナーナ姫。一体どうしたんです? 心、ここにあらずといった顔をしていますよ」
私は自分の気持ちを確かめながらぽつぽつと話した。
「考えていたんだけど」
この世界で、人と触れ合って変わってきたこと。
相手の気持ちはわからなくても、私の気持ちは。
「私、たぶん。人に好かれたい」
窓の外の夕焼けを背にしながら、キズナは心底嫌そうな顔をした。
「正気ですか、姫」




