真・魔王の娘
暗闇の中から黒い影が、ゆらりと揺れながらこちらに向かってくる。
巨きい、黒い犬。
キズナだ。
ただ、以前と比べて、その身体の大きさを倍以上にしていた。
彼は座り込んでいる私の目の前にて歩みを止め、その低く良く響く声で囁いてきた。
「イルミナーナ姫。ご無事で本当によかった。わたくしは魔王様の配下にいた者です。そして貴女の側仕えをしていた者です」
大きさだけではなく、その身に纏う妖しいオーラも以前と全く違う。
「……どうしたの、キズナ」
私はやっとのことで口を開いた。
身体が熱い。頭がぼおっとする。
まだ儀式の後遺症が残っているみたいだ。
私は、夢を見ているのだろうか。
「魔力が戻ってきたんですよ、イルミナーナ姫。貴女のおかげで力と記憶を取り戻したのですよ。ああ、実にいい気分だ」
キズナは首を天井に向け、背を伸ばす。
――真の力を
――まだ本気を出していない
以前のキズナの言葉を思い出す。
私が儀式の第二段階を終えたことで、使い魔に流れる魔力がまた増えたのか。
キズナは大きく息をついた。
「まだ全てではありませんがね。とにもかくにも、まずは早く自分の身体を取り戻したいものです。まったく、勇者に敗れた後、こんなチンケな犬の姿で復活してしまうとは。これではイルミナーナ姫のおそばにいるのにふさわしくない」
「なぜその名前で私を呼ぶの。私はイミナだわ。魔王の娘の名前なら、それはもう100年も前の話で――」
「イルミナーナ姫。貴女がそのものですよ」
キズナは私の言葉を遮り断言した。
私は絶句する。
「御姿も変わっておりません。気配も変わっておりません。魔王の娘であったのは、先祖でも前世でもありません。貴女が100年前、この地を恐怖に陥れた魔王の娘です」
「え……だって、私、16年しか生きてない……」
「わたくしの命が絶えた後のことは預かり知りませんが、魔王様が倒れた後にいずこかに幽居していたのでは? 失礼ながら、姫には魔王様ほどのお力はありませんでしたからね。魔王軍壊滅後、お一人では何もできなかったでしょう」
「そんなわけないわ。だって私はあの村で育ってきたもの。じゃあ小さい頃からの私の記憶はなんだったの? あれは幻だとでもいうの?」
村に残してきた、年老いた両親のことを思う。
あの人たちはやはり他人だったのだろうか。
「弱っているときに、世界を満たす意思エネルギーと通じて、他の人間たちの記憶が混じってしまった可能性はありますね。貴女は世の嘆きが聞こえるでしょう?」
「え?」
「怨嗟。憤怒。怨恨。悲歎。憎悪」
「私に向けられた……」
「この世の全ての悪意が貴女に集まるんです。意識がはっきりとしていない限り、他人の辛い思い出が貴女の思い出になることもある」
みんなが君のことを嫌いだなんてあるわけない、と笑うハルマの顔を思い出す。
「……勇者の子孫たちは、私の正体を知っているの?」
私は震えながら聞いた。
「彼らは知る由もありませんよ。まあ、知ったとしても貴女に手出しすることは出来ませんが」
「え? なぜ?」
「ねえイルミナーナ姫。彼らは出会った瞬間からあなたに好意を持っていたでしょう? なぜだと思っています?」
「……え?」
「彼らは、最後の戦いで呪われたのですよ。子孫代々、魔王の娘を守れと」
私は愕然とする。
「そ、そんな馬鹿なことがあるわけ……」
「ありますよ」
「勇者がそんな呪いにかかるの?」
「勇者だって万能ではないし神でもない。ただの、少し強かっただけの人間です。魔王様を倒せたことも、ほんの少しの巡り合わせの差です」
「でも、勇者の子孫たちは、みんなに尊敬されて愛される立派な人たちで、強くて……。正義に燃えていて。ソラヤのところなんて、魔王の城をずっと見張ってるくらい悪を憎んでいて……。そんな人たちが、いくら魔王そのものじゃなくて娘だって――」
呪いの存在を信じられなくて、私は必死にキズナの言葉を否定する要素を探す。
キズナはせせら笑った。
「本当に英雄としての使命感で主がいなくなった後の城を見張っていたとでも思っているんです? 違いますよ。リナライトは、無意識のうちに、貴女を護るために魔の山に囚われていたのでしょう。不憫なものですよ。真っ正直で。哀れな英雄です」
「私を……護ろうとして……」
「そうです。ああ、そういえばあの男、出会う前から貴女のことを知っている、守ることは決まっていたなんて言っていましたね。まさか先祖代々、往古からそう決まっていたなんて思いもしないでしょうね。実に滑稽だ」
巨大な黒い犬は、クククと愉快そうに笑う。
「誰がそんな呪いを……」
キズナはその問いには答えず、真面目な顔をしてこちらを見た。
「イルミナーナ姫。勇者の子孫たちは貴女を傷つけられません。何もわからないまま、貴女を護り続けます。呪われているのですよ、勇者の血は」
私は言葉が出ない。
「何を恐れるのです、イルミナーナ姫。貴女は勇者たちを思うように扱えるのですよ。何をしても大丈夫。あいつらは貴女を慕い続けます」
キズナはその片目で私を真正面から見据え、私の真の名を繰り返す。
まるで私の精神を犯すように。
キズナの誇らしげで不遜な態度と裏腹に、私は、絶望に自分の表情が凍り付いていくのを感じる。
心の奥底で自分が何かを期待していたことに気付き、身体が芯から冷え切っていく。
君を守るとソラヤは言った。
一目惚れだよとユートは言った。
大切な妹だとハルマは言った。
勇者の血にかけられた呪い。
ああ、やっぱり。
みんな、私のことなんか、本当は好きじゃなかったんだって。
私の頬に涙が一滴流れるのを見て、キズナは苦々しげに言い放った。
「やめてください、姫。そんな感情を見せるなんて。まるで普通の娘みたいじゃないですか」
お読みいただきありがとうございました。
ここまでが第二章になります。
勇者たちの呪いとは? 真実の愛はあるのか?
そしてイミナは「呪い」をどうするのか……!?
逆境への逆襲は……?
次話からの第三章を、引き続きよろしくお願いいたします。




