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あなたと交わるとき

 私は寝る支度をして、鏡の前に座って髪を梳かしていた。

 その様子を見ていた使い魔のキズナが話しかけてきた。

「イミナ様、変わりましたね」

「そう?」

「昔より感情が豊かになった気がします。ちょっぴり」

 キズナは深くうなずきながら言った。

 私はまじまじと鏡の中の自分を見つめる。

「そうかな」

「ですよ。少しずつ、普通の女の子みたいになってきていますよ」


 私は生まれてからずっと、この世の全てに憎まれ、私もこの世の全てを憎んでいた。

 いえ、全てをあきらめていた。

 不愛想で、無表情で。

 でも今は、少し泣きそうになったり笑いかけたりしている。

 人と交流するってこういうことなのかな。

 閉じていた心が、少しずつほぐれてきた気がしている。

――笑って欲しい

 ユートの言葉を思い出して、鏡の前で笑顔を作ろうとする。

 でも長いこと固まっていた表情筋は、上手く動かすことが出来なかった。

 丘の上でソラヤと見た星を思い出す。

 あの時、確かに、少し心が通い合ったような気がした。



 ソラヤとのデートから数日後、私たちはまたハルマの研究室にいた。

「……驚いたな」

 ハルマが感嘆の声をあげた。

「二人をまとう空気が変わった。これならいけるかもしれない」

「何? もしかして俺のデートプランが完璧すぎた?」

 ユートが気障にポーズを決めるが、ハルマは彼に構わず話を続ける。

「第一段階と違って、大きな術に対して身体や精神を壊してもおかしくないからね。慎重に判断しないとならないけど、このまま行けば近いうちに儀式を行えるよ」

 私とソラヤは顔を見合わせてうなずいた。


 そして放課後に魔力コントロールの特訓を重ね、ついにハルマが儀式の許可証を学院から取ってきた。

「二人同時にやるということは学院には伝えていない。表向きは、一人ずつやることになっている」

「なんでですか、ハルマ先輩」

「ユートが儀式資格を取ったというのがややこしいからだよ。僕一人が行うことにしている」

「え~。まあいいけどね……。イミナちゃんの役に立てるだけで」

 ハルマとユートの会話を聞きながら、ソラヤが小さくガッツポーズをしたのを見た。

 ソラヤは私の視線に気が付き、怪訝そうに訊ねた。

「何?」

「う、ううん、嬉しそうだなって……」

「僕は強くなりたい。だから先に進めて嬉しい。イミナくんも強くなりたいと思ったから、わざわざ儀式を受けることにしたんだろ?」

「そうだけど」

 それからソラヤは、その真面目な顔をふっと緩めて言った。

「君となら、成功すると思う」

 私はうつむいて顔を赤くした。



 月の綺麗な晩に、儀式を決行することになった。

 今回は、ハルマの研究室では狭いということで、魔術儀式専用のホールを使うらしい。

 垂れ幕を上げて一歩踏み込むと、その薄暗い空間に置かれた無数の石柱や細かい複雑な模様の魔法陣、焚かれている香などが異様な雰囲気を醸し出している。

 第一段階の儀式とは全く違うその本格的な様相に、私は緊張してつばを飲み込んだ。

 そんな中でも、ソラヤはいつも通り堂々と立っていた。

「大丈夫だよ、イミナくん。僕を信頼しろ」

 ソラヤの真っ直ぐな瞳に、私は無言でうなずく。

 盃に注がれた魔法薬を飲み、魔法陣に入る。身体が熱くなってくる。

 二人で手を繋ぎ、目を閉じて大きく深呼吸をした。


 ハルマとユートによる呪文の詠唱が始まる。

 次第に魔法陣の中の空気が渦を巻きながら膨らんでいき、私たちを圧迫した。

 魔法の力。万物の意思エネルギー。

 詠唱の声がだんだん歪んで聞こえてくる。

 私は握る手に力を込めた。

 次の瞬間、大きな力が私たちを貫いた。



 イメージの洪水が襲ってきた。

「おい! こっちだ!」

 誰の声だろう。

 ああ、あの姿は勇者たちだ。

 ヴァレオンに、ジェレル。そして――

 魔王をまさに今、倒そうとしているところだ。

 正義と悪が、剣と魔法が、大きな力が激しく交わっている。

 世界が揺れている。

 場面が変わり、褐色の肌をした黒いローブを着た大男が私に語り掛ける。

「イルミナーナ姫。こちらです。ここで待っていてください」

 知っている声だ。誰の声だろう。

 視点が変わり、一人の少女が無表情で立っているのが見えた。

 私にそっくりだ。

 黒いドレスを着た赤い目の少女は、洞窟の隅にしゃがみこんだ。

 守れ。この女を守れ。この女を、守り続けろ。この世の全てから、守り続けろ。

 知っている声と知らない声が混じり、不協和音が同じ言葉を唱え続ける。

「魔王の娘を――」



 これは、混じっているんだ。

 二人で儀式を受けたことで、私とソラヤ、二人の見るべきお告げが、勇者と魔王の娘の記憶が、あの戦いの記憶が、混じっている。

 つまり、ソラヤも私の――


 瞬間、今までに経験したことのない大きな力が私たちにかかり、抜けて行った。

 意識が飛ぶ。



「よし! 成功だ!」

 ハルマの声に、現実に引き戻される。

 魔法陣の中に私たちは座り込んでいた。

 髪は乱れ、汗だくだ。

 目の前にソラヤの顔があった。彼は目を見開いて私を見て固まっていた。

 そしてはっとして、私の手を振り払った。

 私はとっさに頭を守ったが、ソラヤはただ唇をかんで、立ち上がり無言で部屋を出て行った。


「なんだあいつ。どうしたんだ。せっかく成功したって言うのに」

「さあ……。イミナ、大丈夫か?」

 ハルマとユートは、ソラヤの態度に首を傾げる。


 知られてしまった。

 よりによって、一番、潔癖で真っ直ぐな人物に。

 私が魔王に連なる者だって。知られてしまった。

 あの表情からして、今までは知らなかったのだろう。


 どうしよう。どうしよう。

 せっかく少し彼に心を開けるようになったのに。

 どうしよう。どうしよう。

 私の存在を彼は許さないだろうか。

 私は真っ青になってゆらりと立ち上がった。

「おい! イミナ!」

 ふらつく私をハルマが抱きかかえる。

 私は彼の身体を押し、腕から逃れた。

 そして手でハルマたちを制止し、そのままふらふらと部屋を出た。


 女子寮の自室に戻り、扉を閉じて、そのままそこに崩れ落ちた。

 明かりもつけずに真っ暗な中、膝を抱えて震える。

 どうしよう。どうしよう。

 その時、部屋の隅の暗闇に何かがうごめいた。

「イルミナーナ姫。お待ちしておりました」

 山のような黒い影が、知っている声で迎えた。

 この声だ。さっきもこの声を―― 


「キズナ……?」

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