ハルマ・ジェレル 後編
髪を簡単にリボンでくくりポニーテールにして、小さな鞄に身の回り品と筆記用具を入れて玄関に向かうと、すでにハルマは準備を終えて待っていた。
そのまま二人と一匹で学院を囲む森の方へ歩き出す。歩くたび、私の髪の毛とキズナの尻尾が同時に揺れた。
道なき道をハルマの案内で進んで行った。
木々の隙間から射す光が気持ちいい。ユートに連れ出されるときはいつも馬車に乗っていたので、新鮮な風景だ。
ハルマが立ち止まり、道端にある石の柱を指差した。それは私の膝の高さくらいの大きさで、上部に謎の図形が彫られていた。
「これでこの世界の魔、禍を封印する結界を張っている。本で読むか、授業で習ったことがあると思うけど。国のいたるところにあるんだ。触ってごらん」
そう言われ、私はおそるおそる手を伸ばしてみた。
石の周囲に不思議な空気の流れを感じる。魔力だ。
封印の結界なんて魔王の娘だった私が触れていいものかと思ったけど、痛みや不快感はなく、むしろどことなく懐かしく心地よいくらいだった。
これにこの国は守られているのか。
石を撫でていると、ハルマも手を添えてきた。骨ばった男らしい手が触れあってどきっとする。
「この間の事件のあとに魔法をかけなおしたばかりだから、まだかなりエネルギーが強いね」
「これってどのくらい持つものなの?」
「最適な環境であれば理論上は数百年は持つはずだけど、そう上手くはいかないからね。でもこの間みたいなことはこの100年、ほぼ記録にないな」
「それだけ珍しいことだったんだ」
「そうだね……。長らく平和だったのにね。でも、王子を始め、国の人たちが国中を点検してくださっているし、心配はないよ」
そう言って私の頭をぽんぽんと叩いて、再び歩き始めた。
その後も、木や草や生き物たち、目に入るもの全てに対してハルマがしてくれる解説を聞きながら歩いた。
図鑑で見たり授業で聞くより、ずっと頭に入ってくる気がする。
少しして、森の中にぽっこりと空いた小さな空間に出た。
地面に横たわっている幹にハルマが腰を落とし、一息つく。
「さあ。どうしよう」
「えっ!?」
私は予想外の言葉に虚を突かれて固まった。
「いやあ、ピクニックをしたかったんだけど、僕、あんまりピクニックってやったことがないんだよね。どうすればいいと思う?」
ハルマは屈託なく笑った。
「そんなこと言われたって、私だってやったことない」
私は困ってしまい、キズナも首を振った。
そんな洒落たことやるような人生送ってきてないし、そもそも人と何かをやった記憶がないし。
私たちの足元にはささやかに花が咲き、近くを流れる小川の音が聞こえていた。
とても素敵な場所。だけど。
「小さい頃に家族で行ったことがあったことを思い出して、やりたいなって思い立ったんだけど。あの時は僕は確かずっと本を読んでいたからね……」
しばし考えを巡らせているハルマの前で、私のお腹が盛大に鳴った。
顔を真っ赤にしてお腹を押さえる私を見て、ハルマは微笑んだ。
「とりあえず、ランチにしようか」
倒木に並んで座り、食堂から貰ってきたという今日のお昼用に焼いていたらしいキッシュを二人でもしゃもしゃと食べた。
キズナも肉の固まりを美味しそうに食べている。
メインを食べ終え、ハルマがデザートのリンゴの皮をナイフで器用に剥いているのをぼんやり見ていると、彼はふと足元の花に目を落として言った。
「ああ、そうだ。ピクニックで妹は、花で冠を作っていたかな」
そして目を輝かせてこちらを見る。
何を期待しているのかに気付き、首を強く振る私。
「わ、わたし、そんなの作れない」
「僕も作れない。試しにやってみよう」
そう言って私の口に切ったリンゴを押し込んだ。
二人であーだこーだ悪戦苦闘して、なんとかお花を繋げることはできたけれど、その出来栄えは酷いものだった。
花びらが傷つき、あちこちから茎が不格好に出た、歪な形のボロボロの花冠。
まあ、私にはお似合いかもしれないけれど。
そう思って眺めていると、ハルマは私の手から冠を取り上げ、バラバラにして空中に浮かべた。
そのまま花は煌きながら私の頭上に向かい、円を描いた。
「これでいいか」
魔法の冠。
私からはよく見えないけれど、ちらちらと花が舞い、とても綺麗なことはわかる。
キズナも「素敵です! イミナ様!」とはしゃいでいる。
「似合っているよ、イミナ姫。ってこれじゃユートみたいだな」
「からかわないで」
むくれる私にハルマはひとしきり笑った後、ちょっとだけ真面目な目をして私を見つめた。
「なんで教室が嫌なのか、聞いてもいい?」
私は不意を突かれて黙った。少しの沈黙ののち、
「……みんな、私のことを嫌いだし」
目を伏せて言う。
「そうかな」
「そうなの!」
ムキになり、つい少し声を荒げてしまった。
なんでわからないの。勇者様って鈍感なの。
教室じゃなくたって、いつもいつも、みんなが悪意を私に向けてるじゃない。
感情が高ぶり、ちょっと涙目になってしまい、指で目元を拭う。
「僕はイミナのことが好きだよ。ユートたちだって好きじゃないか」
「それは……」
口ではそう言っているのは何十回も聞いているし、嫌な空気は感じないけれど、でも私はそれを信じていない。
そっぽを向いた私の頭を、ハルマがそっと撫でた。
魔法が止まり、私の周りに花が舞い落ちる。
「みんながイミナのことを嫌ってるなんて僕は信じられないけれど……。でももし人の思いを受けやすいなら、それを上手く魔力に出来るようになればすごい魔術師になれるよ」
「魔力に……?」
ハルマの言葉にはっとする。
そうか。
魔力はこの世界すべての意思エネルギー。
なら、向けられる思いは自分の力にして反撃すればいいのか。
「どうしたの?」
「う、ううん。大丈夫」
完全に動きを止めていた私をハルマは不審に思ったようで、頬をぺちぺちと軽く叩かれてしまった。
「そう。じゃあ、そろそろゆっくり移動しようか」
「うん。あの……ありがとう」
「? いいえ」
そうだ。魔法だ。
気持ち悪いあれに勝てる。私の力に出来る。
「嫌われてるから仕方ない」で終わらせないで済むんだ。
私の心はいつになく弾んでいて、足取りも軽かった。
それにしても。
先を歩くハルマの背中を見つめる。
私を妹と可愛がり、妹と同じことをさせようとする。
この人は本当に一体何を考えているんだろう。
「どうしたの? 僕に何かついてる?」
私の様子に気付いたハルマが振り返る。
「ううん、ただ、ハルマは私をどうしたいのかなって……」
「え? 課外授業だよ」
「そうじゃなくて、普段からなんで構ってくるのかなって」
「今更何を言っているんだ。ただイミナが可愛いから構ってるんだよ。いつもそう言っているじゃないか」
それはそうだけど。
王子のこと。妹のこと。
いろんなことが頭の中をぐるぐると回る。
ハルマは足を止めた。私も立ち止まる。
「でも。一つ、願ってもいいのなら」
目を細め、言葉を続ける。
「君に、強くなって欲しいんだ」
黄色い瞳が、日差しの中に溶け込んでいく。




