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ハルマ・ジェレル 前編

「イミナ。ほら。起きて」

 私のおでこをハルマが軽くこづく。

 ここはハルマの研究室。私はソファにでれっと寝転がっていた。

 手入れのされていないぐちゃぐちゃの髪の毛が目にかかり、視界を遮る。

 キズナもご主人様の私と同じく、だらしなく足元で大あくびをしている。


 午前10時。

 他の生徒たちは教室で授業を受けている時間だ。

 私はここで何をしているのかというと、簡単に言うと登校拒否だ。

 教室に行くととても具合が悪くなってしまって、勉強どころじゃないし、みんなにも迷惑をかけるのだから仕方がない。

 もうこんな感じで数日過ごしている。

 気力も覇気もなく、身だしなみも手を抜いてしまっている。


 なぜこんなことになったのかというと――。

 先日の王子の来訪時、私を連れ出す際にハルマは教師にだけ事情を耳打ちしたはずなのだが、どこからかバレたらしい。


――ユート様、ハルマ様、ソラヤに構われていて、その上王子までだなんてどういうこと?

――そもそも王子がこの学院に連れてきたらしい

――まじかよ なんだあの女


 強いカリスマに向けられる好意は、裏返ると(はげ)しい悪意となる。

 重い空気に押しつぶされ、教室のドアの前で青ざめてうずくまる私をソラヤが救護室に連れて行き、カウンセリングと教師たちとの話し合いの後、しばらくハルマに勉強を見てもらうことになったのだ。


 もう! ほんとみんな、自分の人気と立場を理解して行動して欲しい!

 だから嫌がらせかなって思うんじゃないの!


 ぷりぷりしながら丸まって、ソファの背の方に顔を向ける。

「イミナ~~。形だけでも何か勉強をしてくれないと、お兄ちゃん困るぞ」

 ハルマは私の肩を掴み、無理矢理ごろりと自分の方を向かせた。

「……何の勉強?」

 私は丸まったまま聞く。

 昨日は基礎のおさらいを軽くした。

 おとといはこの部屋の本を適当に読んでいた。

「何でもいいよ。イミナがしたいこととか、気になってることとか言ってくれ。何かしてればいいってことだから」

 わあ。

 あまりの適当さに息をのむ。

 だいぶ学院も私のことを腫れ物扱いするようになってきたなあ。

 ”王子様が連れてきた娘”って言う看板は大変なのね。

 まあ、厄介払いで押し付けるにあたってちょうどいいお人よしがいて助かったでしょうね。

 自分の研究は大丈夫なのかしら?

 きょとんとしているハルマをじっとり見る。


 身体を起こし、ソファに座る。ハルマも横に座ってきた。

「王子の人望ってほんとすごいよね……」

「ん? どうした急に? まあランギルトの人気はすごいよね。今のところ、学院創設以降ここで学んだ王位継承者は彼だけだから、余計に学院関係者の思い入れは強くなるよね」

「え? 他の人は?」

「基本は家庭教師だね。王子の弟たちは、今、外国で学んでるよ」

 へえ。”うちの学校で学んでくれた唯一の王子様”か。

 そりゃあみんな嬉しいし、親しみ持っちゃうよね。

「第二王子たちもここで学んでくれればいいのにな」

 そうすればみんなもそっちに意識が向くだろうし、私とランギルトやらについて考える比重が軽くならないかな? そして私もここで生き易くなるといいんだけど。

 ハルマは微笑みながら私の頭をなでる。

「イミナも王子様たちに会いたいんだね。でも残念、お忙しいからね」

「そうじゃなくて……」

 もう。

 ぐるりと部屋を見回し、ハルマの妹の肖像画が目に入る。

「ハルマの妹は? ここで勉強してないの?」

 話の流れに任せて、妹について振ってみた。

 ドキドキしながら回答を待つ。

「あの子は来てないね……」

「ふうん。ていうかいくつ?」

「僕の4つ下」

 私より一つ上かな? あの肖像画はは少し古そう。

 ハルマは思ったより普通に淡々と答えてくる。

「名前は?」

「……リリ」

 噛みしめるようにつぶやく。

 可愛い名前。

 ふわふわのうす茶色の髪の毛、ふぁさふぁさの長い睫毛。潤んだ瞳。ピンクのほっぺた。そして清楚な真っ白なワンピース。

 まるで天使みたい。

 描く上でどれだけ盛っているのかはわからないけど、兄の美形さを見ても本人も美少女なことにきっと間違いはないのだろう。

 こんな可憐な妹がいるのに、よく私みたいな冴えないのを「可愛い妹」とか言って甘やかせることができるなあ……。

 もし私がハルマと血の繋がった本当の妹だとしても、リリの方をひいきして私なんていないものとして扱われても仕方ないと思うけど。


 ああ、もしかしてハルマも王子に「妹をやろう」って言われて、それで仕方なく従っているのかな?

 だってみんな全然彼に逆らえないじゃない。


「なにをむくれてるの、イミナ」

 ハルマは私と視線の高さを合わせ、首を傾げ、優しく見つめてくる。

「別に……」

「ほんと?」

「……」

 綺麗な黄色い目に見つめ続けられる。

 もう、なんでこの人たちこんなに距離感近いんだろう。

 根負けしそうになったとき、ハルマが急に立ち上がった。


「決めた。課外授業だ」


「え?」

「ピクニックに行こう。僕は食堂に寄るから、支度して玄関に来て」

「え? え?」

 突然の展開についていけない私をよそに、ハルマは鞄を手に取りいくつか物をぽいぽいと入れ、キズナは体をはね起こして尻尾をぴんと立てた。

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