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ソラヤ・リナライト 後編

 私たちは、小走りに教室に向かっていた。

「急ごう。遅刻する」

 ソラヤが私を振り返り言う。

「……私のことを、ほっておけば、よかったんじゃないの?」

 私は息が上がりながら言った。

「そういうわけにはいかない」

 なにがそういうわけにいかないんだろう。

 彼の後姿を、私は疑問の目で見つめていた。



 薬草学の授業は特に苦手だ。

 授業内容そのものより、嫌味たらしい老齢の教師の醸す空気に気分が重くなる。

 今日の授業は座学ではなく実技だ。

 ペアで薬草をレシピ通りに処方していく。

 不器用な私は、どうしても素材を綺麗に処理できず、ぐちゃぐちゃにしてしまう。

 こぼした屑でキズナがくしゃみをし、教師がため息をつくのが聞こえた。

「イミナくん、その草は似ているけれど違う。混ぜるな」

 ペアの相手のソラヤにミスを指摘され、教室中の視線が一斉に私に集まるのを感じる。


 ――何をやってるんだ

 ――貴重な草なのに


 みんなの心の声が聞こえる気がして、私は下を向いた。手が小さく震えるのを感じる。

 ソラヤが鉢から間違った草を丁寧に除いて、正しい草を加えた上で私の前に置いたが、私はすでにやる気をすっかり失っていた。

「え、ええと、仕上げの魔法はソラヤがかけてくれる……?」

「ソラヤ君は出来ることが分かっている。やる必要がない。イミナ君が学ぶためにやりなさい」

 教師は厳しい声で私を諫める。

 ソラヤは黙って頷く。

「魔力の儀に成功した成果を確かめるチャンスですよ! イミナ様!」

 キズナが私を奮い立たせようと小声で応援してくる。

 私は仕方なく薬草の鉢の上に手をかざし、カンペを見ながらたどだとしく呪文を唱え始めた。


 ――見ててイライラする

 誰かの声に、ぞわっとする。

 悪意が私の身体に流れる。

 その瞬間、魔力が私の想定以上に暴れた。

「きゃっ!」

 歪な魔法は薬草と誤った反応を示して小さく爆発を起こし、変質した薬品が飛び散り、ソラヤにかかった。

 彼は反射的に口元を押さえていたが、私は爆発の瞬間の臭いを間近で思いっきり吸ってしまい、そのまま意識を失った。


 

 目覚めると、私は誰かにお姫様だっこされて運ばれていた。

 ソラヤだ。

 眼鏡をかけていないので、見慣れない顔に一瞬戸惑った。

 彼の吐息が髪にかかり、ドキドキする。

 がっしりとした力強い腕から、彼の体温が伝わってくる。


「……気付いたのか。思ったより早かったな」

 ソラヤも私の意識が回復したことに気がついた。

 私は周囲を見回す。ここは、中庭か。

 木々の間を抜けた、爽やかな風を感じる。


「あれからそう時間は経ってない。外の空気を吸え」

 ソラヤはそう言ってゆっくりと私を石段に下し、彼も隣に座った。

 彼の手に、飛び散った薬で汚れた眼鏡を握っているのが見えた。

「イミナ様あ……」

 キズナが心配そうに私の足元にまとわりついてきたので、背中を撫でてあげた。

「……ごめんなさい、迷惑をかけて」

「このくらい構わない。授業ではよくあることだよ」

 私の謝罪をソラヤはかわす。

 ソラヤの使い魔のグリフォンが水の入ったコップを持ってきて、ソラヤはその中に何か丸薬を溶かした。

「飲め。まあ必要ないと思うが、念のため。解毒剤だ」

 私は警戒しつつ渡されたコップを見つめる。

 コップを傾け、中身を数滴垂らし、それをキズナが口で受け取った。

「大丈夫ですよ、イミナ様」

 キズナが元気に跳ねる。

 問題ないことを確認し、飲む。

 グリフォンが顔をしかめたように見えた。

「信頼しろよ」

 そう言ってソラヤは眼鏡を拭き始めたが、魔力で強化された薬草の汚れは簡単にはレンズから落ちず、あきらめてポケットに突っ込んだ。


 信頼……ねえ。

「そりゃみんなに尊敬されている勇者様には、私の気持ちはわからないでしょうけど」

「差し入れに毒が混じっていたことはあるよ」

 ソラヤの思わぬ告白に私は驚く。

「え、でも勇者の一族は国民の敬愛を……」

「受けている。とても広く、受けている。でも、100%じゃないんだよ。特に年月が経てば、快く思わない者が一人や二人は出てくるのは当然だ。全員が同じ考えを持っている方が異常だよ」


 ソラヤの言葉にはっとする。

 「みんなおんなじ」なんて、思い込みに過ぎないのかしら。

 じゃあソラヤたちが私を嫌わないのも、おかしくないのかな……?

 よぎった自分の考えを、即座に否定する。

 それはそれだわ。私のことを好きなんてあるわけがないわ。

 

 ソラヤは話し続ける。

「僕たちの一族が、滅びたはずの魔王の城の跡を見張っていたことなんて、ただのナルシシズムと断じられても否定できない。勇者の誉れも過度な自己犠牲精神も、妬み嫉みの的になる。父も祖父も、何度か危ない目にあったそうだ。その度に返り討ちにしていたようだが。……だからこそ、あの山で僕たちの一族のことを支えてくれた人たちには本当に感謝している。尊い絆だ」

 空の遠くを見て言う。

 眼鏡のフレームに妨げられない、端正な横顔。

「父が僕を産んだ女性のことも隠匿していた理由は、ただ厳しい暮らしを共にするのは忍びないというだけではなく、そういう環境も関係していたのだろう」

「え? 私、てっきり、早くに亡くなったんだと……」

「その可能性もある。父は母について語らなかったから。ただ、幼い頃、差し入れに来た下界の女性の中に、母親と思しき女性はいたよ。真実はわからないけど。どちらにしろ、その女性が今も生きているかどうかは不明だ」

「お母さんかどうか、確かめなかったの?」

 私は、自分が両親との関係を訊ねなかったことを棚に上げて聞いた。

「確かめちゃいけない気がしたんだ」

「ソラヤはそれで良かったの……?」

「父を尊敬し、父を信頼し、自分の血を信じて生きてきたんだ。それで十分だ」

 ソラヤは体ごとこちらを向き、身を乗り出し、


「いいか、イミナくん。世の中を信頼しろなんて言っていない。僕を、信頼しろと言っているんだ」


 強く言った。

 私は頭が真っ白になって、硬直する。


「僕がイミナくんを守る」

「えっ。えっ」

 混乱の中、ソラヤが顔を近づけてくる。彼の顔は大真面目だ。

 私は困惑のあまり目を逸らす。

「世の中の全てが敵でも僕が守るって言っているんだ。これは決定事項だ」

「な、なにそれ、論理的じゃないし、ソラヤらしくない……」


「僕は、勇者の血に言われたんだよ。君を守れと」


 顔が近すぎる。息も感じられそう。

 眼鏡を外した、彼の黒目がちな瞳に見つめられ、鼓動は高まり続け息ができない。

「それは、魔力の儀での……?」

「そうだ。天の声だ。君と出会う前から、僕は君を知っていたんだよ」



 ――君を守る

 ――君と出会う前から決まっていたんだ



 自分を愛した者すらそばに置かなかった勇者の血族が、私を守れと言ったのか。


 そんな、馬鹿なことが。


 不気味な甘美さに、私は溺れそうになっていた。

今更ですが、メインの登場人物の名前が軒並みカタカナ3文字なのは、書いている自分でも混乱するので失敗したなと思いました。

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