50歳、退職
「では、山田聖人さん。これで退職の手続きは終了です。離職票が届きましたら、連絡いたします」
新人の、よく知らない顔の女の子に作り笑顔で見送られ、俺は会社を後にした。
俺の身長は180cm。体系はやや痩せ形。童顔も加わり10歳は若く見られることもあった。顔は十人並み、だと思う。
背中を丸め、深いため息をつきながらトボトボと歩く姿が滑稽なのだろう。
行き交う人々からはクスクスと笑い声が聞こえた。
途中のコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、公園のベンチに腰かけ少し遅めの昼食にする。
普段、昼時には近所の会社の連中で賑わう小さな公園も、今は閑散としていた。
「フ~~~ッ…」
ネクタイを緩め、深いため息を一つ吐く。ベンチの背もたれに体を預け、よく晴れた空を見上げた
高校を卒業し、地元の町工場に18で就職してから30余年。バブルの終焉とともに、会社の業績は右肩下がり。
工場の規模は徐々に縮小して行った。給料は安くなったが、何とか社員一同頑張っていた。
が、二年前に社長が急逝したことも相俟って経営が悪化。
一つの特許技術があるだけでは自力再建もままならず、加えて、銀行の融資も断られ、結局、工場は大手の下請けに吸収された。
真っ先に行われたのは、コストカットのためのリストラクチャリング。
大した技能もない俺は早期退職を求められ、毎日無言のプレッシャーを受けて、自ら退職願いを提出した。
退職願いを提出してから3か月。引継ぎという名の仕事を終え、はれて今日、お役御免となったのだ。
振り返りってみると、頭に浮かぶのは良い時代の思い出だけだ。
俺が就職した頃は、バブルの時代へまっしぐらだった昭和50年代後半。
田舎の会社でおおざっぱな所が多く、”従業員はみんな家族”みたいな付き合いだった。
仕事が終われば社長自らみんなを飲みに誘い、俺も先輩たちに引き連れられて、飲み屋で酒やタバコを促された。
まだ20歳にもなっていなかった俺に『働いてんだから、あんじゃあねーよ(問題ないよ)』と酒を注がれ、囃し立てられ、毎回トイレの虫になった。
翌日、二日酔いで仕事に来る先輩たちに、社長は「ケガしねーように気いつけろよ」と注意するだけ。
『まだガキだから、しゃーねんべ(しょうがない)』と言われ、俺は椅子で転寝していても怒られなかった。
鷹揚というか、アバウトというか…。それでも会社は回っていった。
就職して三年目位に、会社にパソコンが導入された。と、言っても一台だけだったが。
社長が『これからはパソコンができなきゃ話になんねぇ。マサト、若ぇんだから覚えろや』と言われ、事務働きをする事に。
パソコンは往年の名機、PC-98○1 VM21だ。社長自らMS-D○S3.3D・○太郎・○-タス123・木同などのソフトとhow-to本を買ってきて、
二人で夜中まで勉強した。
文書作成や顧客のデータベース管理など、一通りできるようになった頃のある晩、社長が『今日はもういいから、帰ぇれや』と言い出した。
作業着の腹の部分を膨らませ、なにやら挙動不審だった。
その日は素直に帰宅したが、翌日、社長の方から『…教えてくれ』と言い出して、とあるゲームを渡された。
18禁ゲームだった…E○Fの…同級○…。(あの頃、社長もまだ40代。遊びたい盛りだったんだろう)
config.sysを弄れなかった社長は、コンベンショナルメモリーが足りなくて起動させられなかったそうだ。『夜ならお前ぇも遊んでいいから、何とかしてくれ。
女房には内緒だぞ!』と頼まれ、その場でconfig.sysからKKCFUNC.SYSを外して起動させた俺に、『天才か!』と、社長は驚いていた。
(いや、プログラムは組めないけど、そのくらい誰でも弄れるようになるでしょ…)
結局、二人で毎日ニタニタしているのを見咎められ、先輩たちも”自主残業”をする事に…。
ゲームの本数も次第に増えていった。
「あ~!ここで可憐ちゃんにハート型ペンダントを貰えないと!!」
「ちがう、ちがう!ここで”D・○”を押すと、見えるようになるんだって!」
「E○Eのザッピングシステムって、斬新だけどメンドーだなw」
みんなで、わいわいガヤガヤと、毎晩がお祭り騒ぎのようだった…。
まあ、三年ほどで、さすがに”オカシイ”と感じた奥さんに乗り込まれ、祭りは終焉を迎えた。
(と、言っても、その後もチラホラ集まっていたんだが…)
時が経ち、先輩たちも定年を迎える者、業績悪化とともに違う会社に移る者…。
もう、あの頃からの顔見知りは、一人もいなくなっていた。
そして最後に残った…当時新人だった俺が…今日、50の誕生日を迎えていた。
あっという間に年を取るもんだ。
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含み笑いをしている自分に気づき、我に返る。
直ぐに現実が押し寄せ、職を失ったという喪失感に襲われる。
50歳…。
もう若くは無い。かといって老人という程でも無い。
厚生年金を払っていたが、貰えるのは65歳からだ。
再就職するにしても何にしても、本当に中途半端な年齢だと思う。
「何で、こんな目に遭うんかねぇ?俺が何か悪いことでもやったんかねぇ?」
「あと五年若けりゃ、違う仕事が何とかなったかも」
「あと五年遅けりゃあ、年金出るまで貯蓄だけで生活できたかも」
「石に噛り付いてでも、会社に残った方がよかったんかなぁ?」
独りごちる。
10年前に両親が飛行機事故で他界。小さいながらも家を残してくれた。
少ないが、保険金の残りもある。多少の退職金も出る。
ハローワークに行けば、数か月後には失業給付金も貰えるだろう。
幸い?独身だ。童貞ではないが、彼女とは結婚まで至らなかった。
両親は孤児どうしで子供は俺一人。天涯孤独のこの身だ。
自分一人なら、なんとか…なんとか…。
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「フ~~~ッ…」
再び、深いため息をつく。
コーヒーの缶を握りしめ、地面を見つめた。
おっくうだ。
何もかも面倒だ。
今はもう何も考えたくない。
「取り敢えず、帰ろう…」
ヒューヒューと吹き荒ぶ木枯らしに体を押され、自宅まで徒歩30分の道程を歩き始めた…。
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会社の前を避けつつ、トボトボと帰宅したためか、いつもより時間が掛かってしまった。
家の前で、ふと腕時計を見ると、すでに午後4:42分。
ぼんやりとしたまま遠くを見つめていると、オレンジ色の夕日が山肌に沈んで行くのがわかる。
”秋の夜は釣瓶落とし”とはよく言ったもんだ。
徐々に辺りは薄暗くなってきていた。
玄関のカギを開け、暗い家の中に入る。
玄関ポーチを点け、ふと、靴箱の上にある鏡を見つめた。
縦横60cmほどの鏡。母が置いたものだ。
鏡に映る自分の姿をジッと観察する。
童顔で若く見られるとはいっても、髪には2~3本の白髪が目立つ。
よく見れば、目尻や額にもシワがあり、もう若くはないことを如実に表す。
ヨレヨレのYシャツに、草臥れたスーツ。
無職の、落ちぶれた男の姿がそこにあった。
次いで、すでに日が落ち、真っ暗になった室内を見渡す…。
もちろん誰もいない。
天涯孤独。
これからどうすれば良いのか。
別に仕事が生きがいだった訳ではないが、いざ辞めてみると不安に襲われる。
もっと年を取った時、自分はいったいどうなってしまうのか。
今更人生、やり直せないことは解っているが…
あの時、結婚しておけば良かったのか。
子供がいれば、違ったのだろうか。
これから結婚できるだろうか。
再び仕事を見つければ、前の自分に戻れるのだろうか。
今から新しい仕事ができるだろうか。
無気力さが先立ち、活力が湧かない。
「俺はダメな人間だ…」
ネガティブな思考が、グルグルと渦巻く。
とたんに寂寥感に苛まれた。
「寂しい…」
自然に言葉が出、両目から涙が零れる。
目を閉じ両手で肩を抱え、震えながら玄関にしゃがみ、啜り泣いた…。
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