7(預かり物)
真夜中であった。
ふと、いねは目覚め、庭先に小柄な男の姿を認め、腰を抜かしかけた。
ざんばら髪の所為だけでない。
頼通が立っていた。ひどく疲れて見えた。表情は硬く微動だにしなかった。
この時、この若侍が自分とそう年の変らぬことを知った。
腕と胸のあたりが黒く濡れているのに気がつき、「大丈夫ですか」裸足のまま駆け寄った。
頼通は、ああ、と僅かに首を縦にした。
だがどうしてだろう、この若侍は今し方ひどい目にあったとしか思えぬ顔を月明かりに晒しているではないか。
いねは頼通を引き立て、部屋へ入れた。
汚れていたが、怪我はなさそうだ。
が、固く結んだ左手だけは、どうやら違う。
べったりと血塗れており、ゆっくりと一本一本はがすようにして開くと、張り付いた懐紙からぽろりと一対のつのが落ち、全てを悟った。「やったのですね」
いねの言葉に、のろのろと頼通は顔を上げた。
みるみると目に涙が溢れた。
つのをなくした鬼はもう化け物とは呼ばれまい。
ならばお前は何者か。
何者であるか。
二度と会うことはないと、頼通は理解した。
いねは胸に頼通を抱きしめた。
小さな侍は絞るような呻きを上げた。
声を立てずに泣くことがどれほど辛いかをいねは知っていた。
鬼の言葉通り、頼通の髪は伸びることはなかった。
暫くは付け髷をしていたが、やがてそれも鬱陶しくなった。
その為、「鬼禿げ」と身も蓋もない名で呼ばれることもあった。
鬼禿げの頼通は剣の達人である。
頼通は程なくしていねと所帯を持ち、そして生まれたのが父で、わたしで、息子で──、
*
「お前なんだよ」と、祖父の話はそこで終わる。
ここから先は蛇足になる。
祖父を送った後、仏壇の整理をしたら、箱が消えていた。
記憶違いだったか、捨てられてしまったか。
その時は首を捻っただけだったが、後日、再び目にする機会があった。
秋のお彼岸。
剣道の稽古をお休みし、母の云い付け通りにスカートを穿いて、祖母とお出かけした。
七月に新盆を済ませたばかりと云う事もあってか、祖母が両親に「ゆっくりしてなさい」とあたしを指名したからだ。
お墓にお花を生け、お線香を立て、お水をかけて手を合わせた。
それからお堂にお邪魔して、祖母が住職さんと話す横で参詣記帳簿に墓名と氏名を記入をしていると、若奥さんが出て来て、小さな紙包みを祖母に渡した。
預かり物だと云う。
包みを開けると、年季の入った桐箱が出てきた。
あたしは首を伸ばして祖母の手の中の物に見入った。
白く真新しい帯紙は、鮮かな朱色の「岡元」の印で留められていた。
封を破り、箱を開けると、「おや、」と祖母は目を大きくし、「お爺さんのカツラだ」
「お爺ちゃんハゲだったの」思わず訊ねて、ハゲだったのを思い出した。
けれども祖母は「うんにゃ」と箱の中身に目をすがめ、「あんたのお爺ちゃんのお爺ちゃん、頼通お爺さんのチョンマゲカツラよ」破顔した。
「一本取られたね」とお婆ちゃん。
「だね」とあたし。
でもお爺ちゃんが取ったのは。
紛う事無き、鬼の首。
─了─
註:この物語は、一部は事実を基にしているが、大部分は過度に誇張された架空のものであり、実在する人物及び団体等とは一切関係ないことをここに記す。