2(心配ご無用)
いねの案内で頼通は当主と対面した。
縦にも横にも恰幅の良く、鼻は丸く耳は大きく、小さな目は頬の肉でますます細く、絵に描いたような恵比須顔であった。
髪は灰色であったが、たっぷりとした髷を結っていた。
当主は頼通を見るや「ほっ」と驚いた声を出し、「なるほど若いなぁ」。
これに頼通が「恐れ入ります」などと見当違いな返事をするので、当主は立派な太鼓腹を揺らした。
下がろうとするいねに当主は同席を促し、改めて事情を頼通に語る。
程近い窪地に細い分流の作った池がある。
木々に囲まれ、昼間でも薄暗く、普段は大人も近づかない。
空気は湿っぽく、陰気である。
そこに鬼が現れた。
池を上手く迂回するような小道がある。土地の者が横着して良く使う。
これが存外便利なもので、いわゆる生活道であり、だから鬼の存在は不便であった。
遠廻りをしても、鬼があちこちに出没するようでは困る。出来れば池の辺りに留めておきたい、贅沢云うなら排除したい。
鬼が出た当初は夜だけのことだったが、どうやら居着いたらしく、昼にその姿を見たとあっては、いよいよどうにかしなければと云う次第であった。
「滞在中、お世話はこのいねが」と当主は云った。
「心配ご無用」キリッと頼通は辞退した。
しかし、「まぁまぁ」と、のらりくらり押し切った。
いねは「なんでわたしが」不承不承であったが、「こちらへ」と頼通を離れの部屋に案内した。
「ところで」部屋を見渡し、頼通が云った。「来る途中に神社があったが」
「お稲荷さまですね」
しかし頼通は、「鬼がうろついてて良いのかなぁ」まずいんじゃないかなぁ、仕事してるんかなぁ。
ぶつぶつ云う頼通に、土地の者としてむっとし、その来歴を語ろうと思ったが、止めた。
「鬼を見たか」頼通が訊いた。
「いいえ」いねは答えた。
すると、「どんなかなぁ」楽しみだなぁ。
子供みたいな若侍に、いねはげんなりした。
「会ってみたいと思うか」
何を云っているのだ、この小僧。「ちっともございません」つれなくいねは応える。「何か他にご入り用はありますか」なければ下がらせて貰いますと言外に伝えたつもりだが、頼通は、「酒徳利を二つ用意して欲しい」
眉をひそめると、「今夜、池に行ってみる」と、腰から抜いた刀を抱え、ころりと横になった。
「日暮れ過ぎに起こしてくれ」すぐさま規則正しい寝息を立てる。
いねは、誰が遣わしたかその人選を疑った。
とは云え、この若侍が何も考えなしでないとを知り、少し安堵し、次の瞬間そう感じたことを恥ずかしく思い、不意に胸の内にさざ波が立った。
なんてこと。
頬が熱いのは夏の所為で蝉の所為。
そうっと寝顔を窺うと、思いのほか愛らしく、村の子供と変らぬ背格好も相まって、前髪をどこかに落としてきたとしか。
それがどうにも可笑しくて、忍び笑い含んだまま静かに部屋を後にした。
夕刻、いねが起こしに行くと、すっかり出かける準備を終えた頼通が背を向け立っていた。
灯した明かりの作る影が意外に大きく、いねは言葉を失いかけたが、振り返った顔は昼間見た子供のそれと変わりなく、変な息が口からも漏れかけ、咳払いをひとつした。
「徳利、いかがいたしましょうか」
訊ねると、若侍は「ん」、と首をくりっと傾げ、「こうこうこうで」身振り手振りで答えた。
いねは云われた通り、ひとつに酒を、ひとつに水を入れ、猪口は念のため懐紙に包んで手渡した。
道中、割るとも限らない。
「行ってくる」
頼通は提灯片手にキリッと歩み出し、数歩で転びかけた。
いねは飽きれたが、鬼の件がどうあれ、この若侍を憎めなかった。
生まれたばかりの細い月が昇る晩であった。
頼通は教えて貰った道をてくてく歩いた。
池には水の匂いを辿って行けば良い。
すんすんと鼻を動かし、見ず知らずの土地に分け入り、夏草をかき分け、虫に刺されながら到着した。
薄い風が頬を撫でる。
木々が囁き、水面が揺れた。
虫が鳴き、時折、仄かに光って見せた。
池であった。
なんら変ったところはない。
ぐるりと首を巡らせ、ほとりをぶらぶらと歩き、開けた場所を見つけると、頼通は傍らに二つの徳利を置き、刀を抱えて座り込んだ。
鬼は姿を見せなかった。
物事は都合よく進まぬものである。
とは云え、手ぶらで帰るわけにもいかぬ。
夜明けまで待ち、改めて出てもいいだろう。
だが明日は? その先は?
頼通は、まぶたを閉じ、夏草の熟れた匂いを吸い込んだ。
手慰みに何か持って来ても良かったのではとちらりと思った。
はっと目を開けた。
耳を澄まして闇を探った。
足音である。
はたして獣か物の怪か。
そっと刀を手にして膝を突き、身体を低くし、すぐさま立てるよう、猫のように構えた。
草を踏む音が近づく。
人ではない。獣でもない。
暗闇に慣れた目に映ったのは、巨大な影であった。