09 犬耳少女と魔物ども
そこに居たのは一人の女性だった。
女性と呼ぶには少しばかり若く、少女と呼ぶのが相応しい年頃……10代半ばくらいか。
犬っぽい獣耳とふさふさとした尻尾が目立つ銀毛の獣人族。
大き目の籠を背負っているところから採取依頼を引き受けて此処に来た事が分かる。
草臥れ過ぎた革鎧に穂先が取れそうな槍は貧乏だから妥協しましたと言わんばかりで、中古にしてももう少しマシな物を選べと苦言を呈したくなった。
右足を怪我しているのか引き摺るような動きをしている。
髪の毛と同じ色の耳はぺたんと倒れ、尻尾はやや巻き気味、笑えば愛らしいはずの顔は蒼白で大きな瞳を潤ませている。
余裕なく頻繁に後ろを振り返る仕草は追っ手に怯える新人のそれ。
冒険者としての等級は、最下級の青銅級かその上である黒鉄級あたりだろうか?
彼女を追うのは小妖鬼と豚鬼が混ざった一団だった。
依頼の途中で運悪く魔物の群れに見付かってしまったのだろう。
群れの内訳は小妖鬼10匹と豚鬼3匹。
弱い者を捕らえて甚振るのが大好きな小妖鬼と性欲の塊で異種族でも関係ない豚鬼の組み合わせは女性にとって最悪だ。
捕まればどんな目に遭うか、火を見るよりも明らかである。
彼女は聴覚と嗅覚に優れる犬獣人族、故に周囲に助けてくれる人など居ないと嫌でも把握してしまう。
絶望的な状況だ。
小妖鬼がにやついた笑みを浮かべ棒切れを振り回しながら迫る。
少女が小妖鬼に気を取られた瞬間、豚鬼が回り込んだ。
これで逃げ場は失われた。
魔物達は今から始まる宴に欲望を剥き出し、ナニおっ立てて涎をぼたぼたと垂らす姿は悍ましいの一言に尽きる。
心の弱い者なら自殺を選びかねない状況だ。
それでも最後まで絶対に諦めないと歯を食いしばる精神が素晴らしい。
泣き言も言わず、悲鳴もあげず、武器を構える様が好評価だ。
宜しい、後は任せなさい。
ずぅん、と地響きを立て私はその場に降り立った。
瞬間、全てが静止する。
少女も魔物達も動きを止めて私の方を凝視する。
そんなに注目するなよ、照れるじゃないか。
私は背中から巨大木剣を引き抜き、笑みを浮かべる。
「ブギィィィィィ!!」
突然の状況に混乱したのか、豚鬼の一匹が奇声を上げてこちらに突撃して来る。
体格差にして倍以上ある私を相手に向かって来るとは勇敢なのか無謀なのか。
晩飯に丁度いいかなと思いつつ剣を振り下ろす。
豚鬼は剣圧で爆発四散した。
……ちょっと力を入れ過ぎたみたいである。
肉片が獣人少女の頬にべちゃっと張り付く。
一瞬で彼女の全身は真っ赤っかになっていた。
上から下まで豚鬼の血と肉片でベタベタである。
少女は腰が抜けてしまったようで、その場にぺたんと尻を落とす。
地面に広がった染みなど私は見ていない、見ていないったら見ていないのである。
「ゴアァァッ、ファッ、ファッ!」
気まずくなって発した誤魔化し笑いにうっかり魔力を乗せてしまう。
魔力咆哮が直撃し、小妖鬼が3匹ほど内側から爆ぜた。
少女はますます赤く染まり、白目剥いてぶっ倒れてしまった。
おお冒険者よ、伸びてしまうとは情けない。
まあ、致命的な怪我は無さそうだし手当は後回しでも大丈夫だろう。
残った魔物達を処理することにする。
私が視線を向けると魔物達はキーキー、ブヒブヒ喚きながら我先にと逃げて行く。
素早い決断、そしてなかなかの逃げ足である。
だが逃がさん。おとなしく晩飯になれ。
私は大地をどすんと一踏みする。
その瞬間、地面に亀裂が走り地が捲れ返って土砂と土塊を噴き上げる。
魔物達は残らず地割れに飲み込まれ土砂に押し潰されて全滅した。
……ちょっと力を入れ過ぎたみたいである。
死体は土や石と混ざって、ぐちゃぐちゃのぺったんこ状態だ。
うーむ、加減が難しい……これは失敗だった。
こんな物を口に放り込んだらじゃりじゃりしてしまうではないか。
※※※
魔物の掃討を終えた私は獣人少女の介抱をする事にした。
まずは全身を洗った方が良いいだろう。
モンスターの血やら臓物やらで全身ぐちゃぐちゃな状態は気持ち悪かろうし、血の臭いは別の魔物を呼び寄せかねない。
幸い水は十分にある。
多頭大蛇の皮で作った私の水袋は人間を丸ごと突っ込める程度には大きいのだ。
という事で、じゃぶじゃぶ。
じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ……。
……ちょっと乱暴だったかもしれない。
まあ、少女は完全に気絶しているらしく、目を覚まさなかったし良いだろう。
次は怪我をしているだろう足の手当だ。
ここには私が集めた薬草類が山ほどあるからどうにでもなる。
冒険者ならば応急処置は必須技能、当然私も習得している。
傷を見るに当たり衣服が邪魔になったので、気を付けながら爪で少し切り裂く。
自分の手が大き過ぎるせいで細かな作業が難しい。
……少し失敗して切り過ぎたが、たぶん許容範囲だと思う。
良かった、怪我は予想ほど酷くない。
化膿している様子がないし、これなら磨り潰した薬草を傷口に塗り包帯を巻くだけでいいだろう。
派手に化膿していたら傷口を焼き切ったりせねばならぬ場合がある。
あれはどうしても痕が残るから女性には辛いだろう。
傷が浅くて本当に良かった。
という訳で、塗り塗り、塗り塗り。
……困った包帯がない。
申し訳ないが衣服を少しだけ切って使わせてもらうとしよう。
やはり細かな作業というのは難しいな。
……少し失敗して切り過ぎたが、たぶん許容範囲だと思う。
ただ、このまま放置して風邪を引いたら可哀想だから私の腰巻の予備でも巻き付けておくことにしよう。
うむ、これなら問題は無いだろう。
使わずに残った薬草は彼女の籠に詰めておくことにする。
本当は最後まで面倒を見るべきなのだろうが、目覚めた時に私みたいな怪物が居て驚かせるのも悪い。
私は立ち去る前に最後にもう一度少女を確認する。
……彼女のボロい槍が気になる。
この際これもサービスしてしまおう。
私は自分の小指の爪を噛み千切り、元々付いている槍の穂先と交換しておいた。
蔦で縛っただけだから固定が不十分かもしれないが、それでも最初の状態よりはマシだろう。
この近辺の魔物は駆除しておくから後は自力でなんとかしてくれ。
では、さらば。名も知らぬ冒険者の同胞よ、縁があればまた会おう。
※※※
この時、私が助けた銀狼族の少女の名はシャロンという。
彼女の為に適当に補修した槍だが、後にとんでもない価値がつくことになる。
伝説の獣鬼、獅子鬼の爪に魔獣の森深淵にしか生えない希少な蔦植物を使った事がその理由らしい。
私の爪なんて時間が経てば伸びるし、縄張りに戻ればあんな蔦幾らでも手に入る。
だが、どちらも人間が入手するのはほぼ不可能な素材だったのである。
なので槍はまだ理解できる。
が、腰巻の方まで希少素材扱いされたというのは驚きである。
あの腰巻には私の体臭が残っていたらしく、それが強力な魔物避け効果を発揮したそうだ。
結果、私の腰巻は魔物避けマントの材料になり件の少女を長く守ったという。
まあ、どうでもいい話である。
シャロンは水袋に突っ込まれた時点で目を覚ましていたようです。
しかし、気合と根性で死んだふりを貫いた模様。