05 冒険者だから生きる
最近悟った事がある。
生きている事と死なない事は全く別の意味を持つ。
少なくとも私は区別すべきだと感じた。
生物の状態として見れば、どちらも心臓さえ動いてればそうだと言えよう。
けれど精神の在り方としては全く違ってくる。
今の私は死なないだけで生きていない。
森に引きこもり孤独に食っちゃ寝食っちゃ寝を続けた結果、私は少々腐っていた。
少々、というのは控えめ過ぎる表現かもしれない。
訂正しよう。
だらだらと無為な生活を続けて腐りきった。
今の生活をこのまま続けるのは正直、危険だと思っている。
鍛錬こそ続けているが、肉体と精神の齟齬を是正しきった今となっては必要性が乏しく、惰性で続けている感が強い。
これは人間の時と違い、鍛錬の効果を実感できないのが原因だと思っている。
肉体が強過ぎて己の限界が見えてこないのだ。
筋力トレーニングの類などは特に徒労感が強い。
腕立て伏せや腹筋、スクワットなど試してみたのだが……岩を担いで朝から晩まで続けても、回数で言えば万単位をこなしてなお余裕がある。
トレーニングというのは自身の限界を超える為のものだというのに、限界自体がよく分からないのはどうしたものか。
走り込みにしても全力疾走を長時間続けるのは厳しい。
獅子鬼の伝説には、足踏み一つで地震を起こす、というものがある。
事実である。
どうやら我が脚は他部位よりも優れた魔力の増幅放出器官であるらしく、注意をせねばかなり酷い事になるのだ。
私が加減する事なく全力で山野を駆け巡ったとすれば、私が力尽きる前に周囲の地形が変わって環境が滅茶苦茶になってしまうだろう。
攻撃的な意志をこめて魔力を叩き込めば、たぶん山を崩して平地に出来る。
この身は本当に生きた災害なのである。
剣術に関しても最近は軽い運動と動作確認程度に留めている。
というのは訓練用の木剣を振るっていたある日、言葉では説明し辛い何かを唐突に掴んだ気がした。
私はその気付きを試そうと全力で木剣を振り下ろした。
結果、衝撃波が地を割った。
ああ、世界とはかくも脆い物だったのか……。
以来、鍛錬は精神の安定を保つ習慣という価値しかなくなった。
獅子鬼になってから今日まで鍛え続けている。
敵となり得る者に未だ出会わず、自身を鍛えても振るう機会が全く無い。
冒険者時代には強さを追い求めて修行をしたものだが、その先には倒すべき敵や果たすべき目的という分かりやすい到達点があった。
意味も無く強いと言うのは虚しく寂しい。
それも自身の努力で備わったものではなく、突然得てしまったものだから性質が悪い。
はっきり言って私は自分の力を持て余していた。
このままでは本当に拙い。
では、私が生きる為に必要なものは何か?
それが何なのか分からず、かなり長い時間悩み続けたと思う。
答えは直ぐ傍に転がっていた。
寝床たる洞窟で長らく放置され埃を被りつつあった魔剣。
解答を得たのは偶々目に付いたそれを手に取った時だ。
暇潰しがてら久々に手入れをするかと鞘から抜き放ったところ、刃は力強い魔力を放ち輝いていた。
俺はまだまだ戦えるぞ!
さあ早く次の冒険に行こうぜ!
魔剣の声が聞こえた気がした。
それだけではない。
ジェラルドの死体から確保したものの、完全に存在を忘れていた皮袋までが不思議と目に付いた。
今度は何を手に入れるんだい?
入りきらないぐらいドデカイお宝を掴もうぜ。
幾多の冒険を共にのり越えて来た愛剣と銀貨と銅貨の詰まった財布。
これらこそ我が生き様の象徴であり、魂そのものである。
魂そのものを忘れ去り、粗雑に扱っていれば腐るのも当然だ。
私はこれまで冒険者として生きてきた。
だからきっと、私がこれから生きるために必要なものも冒険なのだろう。