ウル村のアリシア (後)
十五歳の誕生日を迎えた翌日、ジェラルドは村から姿を消した。
ずっと一緒だったアリシアに何も告げず、だ。
家族とも碌に話をせずに出て行ったらしい。
「あんの莫迦……」
彼女はただの幼馴染で、女房面できるような立場ではないと分かっている。
そもそもジェラルドはアリシアに対して恋愛感情など持っていないはずだ。
当然と言えば、当然だろう。
同世代が育って大人の身体を得る中、アリシアだけが一人変わらない。
精神は成熟する一方で、肉体は未だ幼いままである。
これでは一部の特殊な趣味の人間を除いて、興味は持つまい。
自分では彼を引き留める事は出来なかった。
アリシアには漠然とした予感がある。
自分はこの村で暮らす人々と結ばれるのは難しいだろう、と。
人間とは生きる時間が違うから、肉体と精神の大きなズレが人間関係に齟齬を生むから。
「故郷を捨てて出て行くんだから、きっちり成功しなさいよ。
まあ、あんたなら何とかするって信じてるけどさ」
自分がただの人間だったら少しは違ったのかなと、少しだけ涙を零した。
「……一応、いつ帰って来ても良いようにしとくからね」
それからジェラルドが帰郷したのは、六年が過ぎた後だった。
※※※
アリシアにその報が届いたのは、村にやって来た行商との交渉中の出来事である。
見た目こそ少女だが、その実二十を越えた立派な成人。今や彼女は村長の補助を担う村の指導者層の一人である。
その見た目を上手く利用して情報収集をしたり、相手を油断させて言質を取ったりと中々えげつない活躍をしている。
村で採れた生産物を幾らで卸すか、という交渉の最中に自警団のメンバーが駆け込んで耳打ちをする。
曰く、行商の護衛としてやって来たフードの男が怪しい動きをしている。
アリシアは厄介ごとの臭いに内心舌打ちをしつつ、行商人の様子を確認した。
穏やかな気質の持ち主で善良、相手と誠実な取引を長く続ける事で地道に稼ぐタイプの商人というのが今までの評価だ。
これまで何度も取引をした相手で、彼自身が変な事を企むとは考え難い。
となると、質の悪い護衛を雇ってしまったというところか。
盗賊団の斥候が行商の護衛に混ざって侵入、今後の計画に備えて村の様子を探っている……と言った話は偶にあるという。
「どうかされましたかな、アリシアさん」
アリシアの様子に違和感を覚えたのか、行商人は問い掛ける。
さて、ここで彼に護衛の動きについて問うのは正しいのか?
少しだけ考え、自身の直感を信じた。
「ええ、少し質問が……そちらで雇われている護衛の方についてなのですが」
「ああ、彼ですか?
若いのにかなり腕利の冒険者でしてね。
そう言えば、彼はこの村出身らしいですな。
目的地を告げると格安で引き受けてくれまして……いやぁ、幸運でした」
のほほんとした調子で返ってきた答えは、アリシアにとっては爆弾だった。
「……この村出身の冒険者!?」
アリシアの声が大きくなる。
彼女が知る限り、それに該当する人物は一人しか居ない。
「ええ、ジェラルド君と言いまして。
もしかして、お知り合いですかな?」
その名前を聞いた瞬間、アリシアの中で色々な感情が暴れ始める。
表面上の冷静さを保つだけでも一苦労だった。
「へぇ、ジェラルドねぇ。
ええ、知っていますよ。知っていますとも」
とにかく、この交渉を早く終わらせてしまおう。
アリシアはそう思った。
フードの不審な護衛の正体は本当にジェラルドだったそうだ。
実家に顔を出すべきかどうかを迷い続け、村の中をふらふらと行ったり来たりしていたらしい。
結局、迷った果てに顔を出し、家族とは話が付いたと聞いた。
ちなみにここまで全部人伝に得た情報である。
アリシアは未だジェラルドと再会していない。
自分の仕事をさっさと片付け、彼がいつ会いに来ても問題ないように準備して待っているのだが……肝心のジェラルドは一向に姿を見せようとしない。
「あー……もう何やってんのさ、あの莫迦はっ!」
自分の方から会いに行けば手っ取り早いという気持ちもあるのだが、それは変なプライドが邪魔をして躊躇ってしまう。
会いに行こうかどうしようかと迷い、苛々がつのる。
そして、もう我慢の限界と立ち上がった時、家の呼び鈴がカランカランと音を立てた。
アリシアは玄関へと走った。即座に扉を開け放つ。
「あ……」
懐かしさを覚える姿がそこにある。
最後に見た時から比べると、随分と精悍な顔になっている。
筋肉の量が以前とは違うようで、体格もかなりゴツくなっていた。
それでもアリシアが見間違う事はないだろう。
「よ、よぉ……」
ジェラルドは何とも気不味そうな表情をしていた。
アリシアは自分がどんな今どんな顔をしているか、よく分からない。たぶん、泣いてはいないと思う。
「えーっと、その……久しぶりだねぇ。
元気にしてたかい?」
「ああ。まあ、それなりといったところかな」
改めてジェラルドの姿を見上げる。
顔色が良く、以前よりも生命力に溢れているような気がする。
少なくとも健康面には問題が無さそうだ。
「なんかさぁ、あんた……ちょっと見ないうちに凄く変わったねぇ」
「そうか? あまり自覚は無いんだが」
「鏡を見てみな。
見た目からして以前よりずっと強そうだし、なんかベテランっぽい感じがするよ」
年齢を重ねたせいか、随分と落ち着いた雰囲気を纏っている。
アリシアの記憶にあるジェラルドの姿は、お調子者で落ち着きの無い悪餓鬼といった印象だった。
それがこうも変わるとは。正直、驚いた。
「そいつは嬉しいな。
そういうお前さんは……外見はまあ、変わって無い感じだが」
「見た目は仕方ないね、あたしはハーフエルフだからさ」
アリシアは軽い調子で答えたが、胸に小さな棘が刺さる。
いつの間にか、この育ちが悪い体は彼女のコンプレックスとなっていた。
せめて、精神的な面では成長したと思われたいが……。
「雰囲気は、なんか婆臭くなったな」
デリカシーの欠片もない評価、瞬間的にいらっときた。
アリシアはジェラルドを引っ叩いて家から蹴り出し、塩をかけてやる。
たぶん彼女は悪くない。
「ちょ、おまっ、いきなり何を……!?」
「煩いっ、女心の分からなさは相変わらずだね。この唐変木がっ!」
腰に手を当ててあたしは怒ったぞと、ジェラルドを追っ払う。
「うわわわっ!」
焦った様子を見せ、脱兎の如く逃げていくジェラルド。
変わっていない部分もあるじゃないかと、思わず吹き出してしまった。
「……お帰り、ジェラルド」
目尻から溢れた涙は、少し笑い過ぎたからだ。そうに違いない。
※※※
「よぉ、アリシア」
「お帰り、ジェラルド」
村への帰還を果たし、家族との和解を終えたジェラルドは毎年一度は村に帰って来るようになった。
まあ、それを約束させたのはアリシアなのだが。
「ほらよ、今回の土産だ」
「……何だい、これは? 」
帰って来るたび、彼は魔法の品を土産としてアリシアに渡す。
魔除けという触れ込みの怪しげな人形や、自動で奇妙な音楽を奏でる笛、注いだ水が冷たくなるカップなど、役に立ったりゴミだったりと様々だ。
今回は首飾りのようだが……。
「知り合いの魔術師が開発した成長促進の魔法具だよ。
お前さんにはぴったりだろう?」
「喧嘩売ってんのなら、言い値で買うよっ!」
「うぐぅ、頭痛い……」
ずきり、と酷い頭痛で目が醒める。
これは間違いなく二日酔いだ。部屋がかなり酒臭い。
「あー……やばい、昨日の事ほとんど覚えてないよ」
昨日、アボット邸でジェラルドの死を告げられた事は覚えている。
しかし、そこから先がさっぱりだ。
部屋を見渡せば、様々な物が散らばっている。
それらは全てジェラルドから土産として受け取った物ばかり。
「我ながら、情けないねぇ……」
どうも長い夢を見ていたようだ。
嬉しかったり、悲しかったり、楽しかったり、腹立たしかったりと色々忙しかった気がする。
夢の内容はほとんど覚えていないけれど、あいつ絡みだったのだろうなとアリシアは思う。
苦笑いを浮かべようとして、思うようにいかず困惑する。
どうやら、暫くは笑えそうにない。
「人の事散々振り回して心配かけた挙句、冒険と心中とか……本当、どうしようもない男だよねぇ」
※※※
……そう、ジェラルドは本当にどうしようもない男なのである。
相談もせず勝手に村を飛び出し、やっと戻ってきたと思ったら相変わらずデリカシーのデの字も知らず、突然死んだと連絡があったかと思えば、実は化け物になって生きている。
そこから先も、こっそり村に戻ってきて無茶苦茶な改造するわ、竜と大喧嘩した挙句行方をくらませるわと最低だ。
はっきり言って、もう我慢の限界だ。
「アリシアさんは師匠の事をどう思っているんですか?」
「どうしようもないやつだよ。
あたしはこれ以上、あいつに振り回されるのは御免だねっ!」
「いや、そういう意味じゃなくてですね……」
今、アリシアはジェラルドの弟子を名乗る女冒険者リアナと共に旅をしている。
故郷を守る都合の良い女なんて、もうやめだ。
徹底的に追い回して、付きまとって困らせてやるのだ。
「待ってなさいよぉ、ジェラルド」
アリシアはハーフエルフだ。
かつては人と同じ時間を過ごせぬと呪った事もあったが、今は逆にそれが武器となる。
ジェラルドを探す時間が十分にあるのだから。
ジェラルドと過ごす時間も十分にあるのだから。
「とっ捕まえたら、もう逃がしてやらないからね」
アリシアは竜を討った獅子鬼が居るという山を睨んで、不敵な笑みを浮かるのだった。




