27 両獣、並び立ちて
竜。
人間視点でみるならば、それは悪ではないが理不尽な災害の類であり、可能なら排除すべきだ。
ジャックやミーシャに同情し、生贄騒ぎをどうにかしたいという気持ちもあった。
出奔した故郷の村人が住み慣れた土地に戻るには、色々な障害を乗り越えねばならないが竜騒動の終息はその最初の関門である。
この場に知り合いが居る事も驚いた。
リアナはまだ分からなくもない。
彼女はバースタイン縁の人物で、優秀な女冒険者だから戦いに借り出されるのも理解できる。
しかしアリシアよ、何故に君までここに居るのかね。
彼女の事だから生贄に志願して何かやらかすくらいはしそうだが……やっぱりその類かな。
この様に思う所は色々あったわけだが……。
そんな思いは、獅子の猛りが吹き飛ばしてしまう。
竜がその身を起こして、こちらを睨んでいる。
私は手加減抜きで奴を蹴り飛ばした。
にも拘らず、奴は起き上がってくる。
多少のダメージはあったようだ。
しかし、その身は健在で感じられる力は減じていない。
物語の怪物と怖れられた大海魔すら一撃で追い込んだ我が力、それを受けて平然と立ち上がる存在。
"獅子鬼よ、今のは少し驚いたぞ"
好敵手たり得る存在が、そこに在る。
それを理解した私は、歓喜の雄叫びを上げて竜に軽く挨拶をする。
「ゴアァァァァァァァァァァッ!!」
体内にて魔力を練り上げ、大音量と共に放つ。
以前のように周囲に撒き散らすものではなく、指向性のある衝撃波である。
「グルアァァァァァァァァァッ!!」
地を抉りながら突き進んだそれを、竜も自身の咆哮にて相殺せんとする。
ぶつかり合ったそれらは荒れ狂い、周囲へ破壊を撒いた。
巻き込まれそうになった人々が悲鳴を上げる。
しまった、これは失敗である。
私は地面を蹴り、大地を隆起させて即席の盾を作って彼らを守った。
"ふむ……どうした、獅子鬼よ。
ああ、そこに居る人間どもが気になったのか。
しかし、なぜ魔物である貴様がそんなものを気にするのか"
竜は不思議そうにこちらを見ていた。
僅かに首を傾げ、金眼を輝かせた。視線が私を射抜く。
魔眼による攻撃か、と身構える。
"……これは一体、貴様は以前余に挑んだ獅子鬼とは別の個体か?
貴様の魂には見覚えがない。
いや、しかし魄の方は確かにあ奴の物……。
肉体とて覚えがある……鬣の色、爪の形、体付き、みな記憶のままだ"
魂? 魄?
"魂とは精神を支配する力であり、魄とは肉体を支える力である。
いずれも存在の根幹に繋がる要素なり"
なるほど。
つまり、竜には獅子鬼の肉体を、本来とは別の精神が動かしているように見えるわけだ。
長らく疑問に思っていた事が片付いた。
竜よ、感謝をするぞ。
"むぅ、よく見れば貴様の魂の色、人間のそれに酷似しておるな。
まさか、人間なのか……。
人間が獅子鬼の肉体を奪ったというのか!?
力弱き人間の魂が、獅子鬼のそれを凌駕したというのか!?"
私の現状は竜をして驚愕に値するらしい。
しかし、それは少し違う。
獅子鬼が私の魂を望み、受け入れたからこうなったのだ。
"貴様の魂が人の物であるなら、先程の動きは理解できる。
同胞を守ろうとするは、自然な行いゆえな……しかし、ふむ、これは"
私は自分が弱点を曝した事に気が付き、冷や汗を流す。
竜が人間を人質に取る気なら拙いぞ。
防御に徹したとしても、この場に残っている全てを守りきれる自信はない。
"ふむ、邪魔だな。
同胞が気になって貴様が力を出せぬようでは、面白くない。
それは駄目だ、ああ駄目だ"
人質にしたり、戦いを有利に運ぶ道具と使う心算はない、と。
では……物語の魔王ばりに、貴様の枷を外す為この場の人間を皆殺しにしてやろうとか言い出す気か。
"そのような無様な真似、誰がするか。
無意味に貴様の感情を乱し、その力を減じさせては困るしな"
……そういえば、私の思考が読まれているな。
竜の読心は獅子鬼にも有効らしい。
"人間共よ、前言を撤回しよう。
逃げて良し、この地より速やかに立ち去れ。
もはや貴様らに興味など無いゆえな"
どうやら、人間たちは見逃してくれるらしい。
竜の視線は私だけを捉えている。望むところである。
※※※
生き残った人々の撤退を待ち、私と竜は改めて対峙した。
この戦いを見届けようと逃げずに残った者が若干名居るようだが、安全は保証できないから覚悟して欲しい。
"もうよかろう……というより、これ以上は待てぬ"
その気持ち、よく分かるぞ。
私の中でも灼熱の如き闘争心が燃え滾って、まだか、まだかと暴れている。
"いざ、始めようぞ"
竜が動く。
始まりのそれは何の技術もない、ただの突進だった。
だが、その勢いが尋常ではない。質量がありえない。ただ駆け抜けるだけで、全てを踏み潰し跳ね飛ばす必殺の攻撃となる。
私は愛用の巨大木剣を構え、真正面から迎え撃つ。
しっかりと足を踏みしめ、天まで断ち切れとばかりに下段から切り上げる。
「グルァァァァァァァァッ!!」
竜の鱗は鋼鉄に勝るという。だが、その程度が何だ。
"うおぉぉぉぉっ!?"
突進に合わせて放った我が剣撃は竜の胸元を抉った。
可視化できる程魔力を収束させた木剣が、強靭な竜の防御力を物ともせずに切り裂き、血潮を吹き上げさせる。
効いた。攻撃は確かに通じた。
その一方で、突進の衝撃をそのまま受け止めた私も堪らない。
激突の衝撃で派手に飛ばされ、山にぶち当たって崩し、土砂に埋もれた。
「ガァァァァァァァァ!」
土砂を吹き飛ばして、立ち上がれば竜は既に眼前まで迫っていた。
"今の一撃見事なりっ!
だが、まだだ。まだまだ足りぬぞ、乾きは癒えぬ"
立ち上がった私の頭上より、四条の流星が来る。
残像という尾を引いて走る大質量は竜の鉤爪。城塞並みの体重を乗せた渾身の右前足振り下ろし。
私は剣を掲げ、受け止める。
「グゥゥゥッ!!」
衝撃に骨が軋み、筋繊維が裂け、内臓が揺れた。地面の方は耐え切れず、砕けて崩壊していく。
竜はそのまま押し潰さんと体重を掛けてくる。
大抵の生き物は、このまま押し潰されて終わるだろう。
しかし、人の技を知る私にそれは愚策ぞ、竜よ。
体勢を変え伸し掛かってくる力の流れをずらせば、竜がよろめき転倒しそうになる。
一度勢いが付けば、あの巨体でバランスを立て直すのは難しかろう。
竜の下から逃れつつ、更におまけとばかり左前足を蹴り折ってやる。
"く、くははははははっ!!"
竜は横転し、そのまま一回転して起き上がる。
蹴り折った筈の足は何ともなさそうだ。どうやら、即座に癒えてしまったようである。
"貴様……一度ならず、二度までも余を地に転がすかっ!?
なんという、なんという凄まじい化け物かっ!"
お前が言うな、この糞竜め。
こちらは少なくとも魂的にはか弱い人間だ。
魂魄肉体全て揃って怪物なお前に言われたくないぞ。
竜は尾を振り回し、樹木を薙ぎ倒し山を削りながら叫ぶ。
"眠り、目覚め、獲物を喰らい、また眠る。
そんな無為な日々を幾百年、幾千年と過ごしてきた"
その魔力だものなあ、寿命などには縁がなかろう。
心ある者に永遠は長く辛い。
私は迫ってくる尾の勢いを利用し、剣でカウンターを決めて切断した。
竜の尾はくるくると回転して飛んで行った。
"余は生まれながらに最強であった。
しかし、その強さには如何なる意味もない"
ああ、そうだ。
磨く必要もない強さは虚しい。
並び立つ者なく、競う相手もいない強さはとても寂しい。
竜は翼を羽ばたかせ、竜巻を放った。
私は大きく息を吸い込み、吐き出した呼気によって押し返す。
"無聊を慰めようと様々な遊びに手を出してきたが、ついぞ乾きは癒えなんだわ"
全てを理解できるとまでは言わない。
だが、その悩みは私だって経験したものだ。
竜の過ごした膨大な年月に比べれば僅かな時間だったが、それでも耐え難かった。
がっつりと組み合い、牙にて噛み合い、爪にて抉り合う。
両者が流した血が混じり、赤い泥濘を作る。
"だが、ついに貴様という存在を見つけたぞ"
竜よ、それはこちらの台詞だ。
"あの時、退けた一匹の獅子鬼が僅かな時で化け、余と並び立つなぞ想像もできなんだわ"
私だって、お前程の強者など想像もしなかったさ。
私達は笑い合い、殺し合う。
正面から力を比べ、技を競い、魔力をぶつけ合う。
獅子鬼に相手の心を読む力は無い。
それでも竜の気持ちが手に取るように理解できる。
何故なら、この竜は私だからだ。
あの日、冒険者として剣を握らず、森の中で腐っていた頃の私の姿。
或いはこれから先、膨大な時を過ごした果てに待つ未来の姿。
"余は人にして獅子鬼たる汝に感謝する。
貴様が化け物へと至ったから、余は力を全ての力を出し切る機会を得た"
私も感謝している。
お前の存在こそが、この世界に挑むべきものが在る証だ。
挑むべきものが在るならば、私の冒険は終わらない。
私達は戦う。
平野を荒地に変え、山を崩し、森を消し飛ばしながら戦う。
戦って、戦って、戦って。
いつしか、思考も何もかも吹き飛んだ。
最後に残ったのは闘争本能。
獅子鬼と竜、何方が上か決めてやる。




