25 一時の休息とその終わり
幾度、この日を夢見ただろう。
魔物となって日々を過ごし、随分と長い時間が過ぎたように感じる。
だが今日、私は帰ってきたのだ。生まれ育ったこの場所へ。
あの山に見覚えがある。
あそこは近所の子供達と一緒になって駆け回った遊び場の一つである。
太陽を反射して輝き、流れる川のせせらぎが懐かしい。
兄弟と連れ立って魚釣りに挑み、釣果を競い合ったあの日が昨日のようだ。
遠くまで広がる耕作地だが、どこに何が植えてあるか今でも覚えている。
土を耕し、種を植え、水を撒いて、作物が育つのを父や母と共に何年も見守って過ごした。
そして、村の西端に立つあの家屋。
石で組まれた小さな平屋建てのそれこそが、懐かしの我が実家である。
記憶と変わらぬその姿に涙が溢れた。
「オオオオォォォォォォォ!」
胸の内から湧き上がる衝動を堪えられず、つい大声で吼える。
既に村から人々が去った後で良かった。
村のすぐ側まで怪物が近付き咆哮するとか、本来なら大惨事間違いなしである。
※※※
私の村からは既に人が去った後だった。
この事は旅の途中で知り合ったジャック青年と情報交換を交わした結果、既に知っていた為落胆はない。
村人達の所在も判明している。
我が村が存在する子爵領のすぐ隣、そここそが件のバーンスタイン侯爵領だ。
領主の決定を不服とした彼らは、皆揃ってそちらに移動し受け入れられたらしい。
ジャックの話では、竜の騒動が本格化し始める半年ほど前に我が故郷の人々は動いたそうだ。
ジャックとミーシャの二人がバーンスタイン侯爵領を目指した背景には、我が村の人々という前例があるからだった。
それにしても一人残らず動くとは、大した決断力と団結力、行動力である。
普通は誰かしら土地に執着して残ろうとする。
周囲を引き止めようとする人だっているだろうし、領主に報告して移動を阻止しようとする者が出ても驚かない。
村全体を上手くまとめ脱出を主導したのは、たぶん彼女なのだろう。
我が幼馴染アリシアは、幼い頃は見た目通り本当に可憐で可愛らしい人だった。
それが一体何時から変わり出したのか、気が付けば近所の子供達を束ねる女ガキ大将である。
父親である村長の後をついて回っていたから、その影響かもしれない。
そして、私が冒険の旅に出てからの数年は更に気質の変化が激しく、再会する度により強く逞しくなっていった。
最後に会った時には女傑と呼べるようなタフさと強かさを備え、村長よりも村長らしい村の大物と化していた。
正直、私よりも冒険者に向いている気がする。
そんな彼女が苦楽を共にしてきた村の仲間を差し出せと言われて、黙って従うとは思えない。
なので村の有様は納得だ。
だが、彼女だけでは村人揃っての移動は成り立たない。
受け入れを認めたバーンスタイン侯爵の方もよく受け入れたものだと思う。
幾ら相手が格下貴族ではっきりとした力の差があるとはいえ、とんでもない騒動になった筈。
こんな前例を認めてしまえば、更なる民の流入に繋がり領内の混乱は避けられないのだから。
当然、民に逃げられた領主達も黙っていない。
下手をすれば領地間での戦争に発展しかねない厄介ごとだ。
竜の騒ぎが片付いたとして、どういう結末になるのやら。
ただまあ、不思議と不安は湧かない。
アリシアなら何とかするんじゃないか、という妙な安心感があるのだ。
私にはどうすれば良いかさっぱりだが、彼女なら領主やバーンスタイン侯爵の間に立って、上手く落とし所を見つけるくらいはやりそうだ。
いずれこの村に戻ってきて、当たり前の生活を取り戻していそうな予感がある。
そうだな……彼らが帰ってくる時の為に、ちょっとしたプレゼントでも準備しておこう。
ジャックの言う神託の話を信じるならば、竜が現れるまでまだ時間はある。
それを待つ期間で色々できるだろう。
なにしろ周囲に人の目がない。だから今ならやりたい放題だ。
ちょいと村をいじってやろうと思う。
先ずは……畑を少し拡げてやろうか。
獅子鬼の怪力とスタミナを活かして農地倍増計画だ。
全力全開の開墾を見せてくれる。
※※※
それから私は働いた。寝る間も惜しんで働いた。
村の原型を破壊せぬ為、内部は手入れする程度に留め、基本は辺縁部に追加する形でいこうと決めた。
人の力では耕せないくらい硬い地面をざっくざっくと掘り返し、近場の森から腐葉土を集めてきて混ぜ込み耕す。
まだ何も植えていないが、畑は最初の四倍ぐらいまで拡がったと思う。
少しやり過ぎたかもしれない。
ただ農地を増やすだけでは片手落ちと思い、川から水路も引いた。
水が行き渡らず困るという事はこれで無くなった。
水路を作っている内に、川の曲がりくねった場所が大雨の時に氾濫しやすかったなと思い出し、山から石を切り出して積み重ね補強しておいた。
畑が増えれば収穫量も増える。
よって、今の農地の広さだと村の貯蔵庫程度では保存仕切れまい。
なので岩を積み重ねて大型の貯蔵庫も作っておく。
私が立ったまま出入り出来るような巨大な貯蔵庫だ。
人間が使うには大き過ぎるかもしれないが、まあ、大丈夫だろう。
岩を運んでいる時に足元が凸凹では歩きにくいと気が付いたので、綺麗に整地し石を並べて舗装した道も作る。
これで荷車や馬車の移動も楽になる。
気が付けば、村はかなり大きくなっていた。
中途半端に大きな村というのは豊かと見做され賊に狙われる場合があるから、その対策も必要だろう。
村全体を囲むように防壁を築いておいた。
人間の賊どころか魔物の突撃にも耐えられるような、分厚くて高い城壁並みの物が完成した。
我ながら良い仕事をしたと思う。
力一杯働き、十分な食事を取ってから、村人達が帰って来て驚く姿を想像しながら眠る。
これがなんとも心地良い。
穏やかな時間が過ぎていった。
※※※
ある日、夢を見た。
それは一匹の獣の夢だ。
力に満ち溢れた大いなる獣は世界を巡る。
並び立つ物のない彼は、ある意味孤独だった。
そして、ある時ついに自分と並ぶ……いや、自分すら上回る存在を見つけた。
大きな体を持つ獣すら上回る肉体を持ち、幾多の魔物を喰らい蓄えてきた魔力でも及ばない。
竜。
魔なる物の頂点に座す生物。
見つけた竜はちょうど微睡みから目覚めたところのようだった。
彼は歓喜の雄叫びを上げて挑み、竜も強き敵を喜悦の咆哮と共に迎え撃つ。
竜は勝利し、獅子は敗北した。
獅子は負けたが、命は残った。
そして、初めての敗北が彼の中に闘争心の炎を宿らせる。
彼は力を求めて旅をする。
己に足りぬものを補い、竜を凌駕する力を手にして今一度挑むのだ。
しかし、求めるものは中々見つからない。
獅子は強かったが、とても愚かで己に必要なものが何かすら理解していなかったから。
それでも彼は旅を続け、ある時出会った。
同類を逃さんと、小さな体で鉄の棒切れを振り回して己に掛かってくる愚か者に。
獅子はそんな物で、その程度の力で何が出来ると嗤った。
だが愚者は棒切れを振るい、彼の胸を切り裂いてみせた。
彼は驚いた。
過去、竜を除けば如何なる生物にも傷付けられた事はない。
獅子の中に強烈な渇望が生まれた。
磨き抜かれたその技が欲しい。
抜け目無く立ち回るその知恵が欲しい。
いかに不利でも諦めぬその胆力が欲しい。
獅子は生まれて初めて、確固たる意思で異能を振るう。
獅子鬼の持つ、他者を喰らいその力を手に入れる能力を。
かくして獅子鬼は己の自我と引き換えに人の記憶を手にし、知恵と技術を手に入れた。
全ては竜と再戦する為だ。
私は目を覚ました。
心臓が激しく鼓動を打ち、身体から熱気が立ち昇っている。
獅子の肉体が激しく昂り、声にならぬ叫びを発している。
時は来たれり、今こそ戦いの時!
竜よ、目に物見せてやる!
どうやら私だけではなく、獅子鬼にも戦う理由があったらしい。
向かうべき方向は肉体が導いてくれるようだ。
穏やかで楽しい休息は終わった。




