02 怪物になった男
目覚めて最初に感じたのは鉄の味と生物的な生臭さだった。
私は飢えている。
飢えは耐え難かったが、幸い捕れたての獲物がある。
なので本能のままに喰らう。
肉を食み、骨を噛み砕き、血を啜り、腸を味わう。
獲物は残念ながら不味かった。
肉は筋ばかりで脂が少ないし、血は微妙に粘っこくて喉に絡む、腸も場所によって酸味がきつかったり苦かったりで癖が強い。
人型の生物は食料として今一だが、まあ我慢できないほどではない。
食らって喰らい尽くして、ふと我に返る。
……私は今、何を食っていた?
眼下には骨と肉片が散らばり、溢れた血が地面を赤黒く染めている。
獲物が身に付けていたであろう武具も転がっている。
その一つ一つに何故か見覚えがあった。
何故だろうと不思議に思いつつ顎を動かし咀嚼し、自分が今齧っている物まで気になり始める。
吐き出してみるとそれは人間の腕だった。
摘み上げて細部を確認すると、やはり見覚えがある。
節が太くごつい指、剣を握り続けた結果硬くなった掌、子供の頃に付けた甲の古傷。
見覚えがあるなんて話じゃない。
これは私の手だ。
私は人を食っていた。
しかし、私にはジェラルドとしての記憶がある。
全てを鮮明にとは言えないが、どこで生まれどのように育ちどうやって暮らしてきたか、幼い頃から現在までを思い出せる。
お気に入りの飲み屋のメニューや贔屓にしている娼館の場所だって覚えている。
この記憶こそ私がジェラルドである証拠だ。
だが、目の前には食い散らかされたジェラルドのパーツが転がっている。
これでは生きている筈もない。
なんだこの状況は。訳が分からないぞ。
転がっている肉片だけではなく装備も見覚えがある。
手を伸ばせば届くところにある魔法剣も、引き裂かれた革鎧も私が使っていた物だ。
剣を手に取り確認する。
なんだか妙に小さく見えるが、確かに我が愛剣である。
はて、何故こんなに小さい?
両手用の大剣だというのに、これではまるで片手剣……いや、片手剣としても小さい。
そもそも私は化物に殺されて死んだと思う。
最後に見た光景は胴体を両断され血と腸を撒き散らす自身の姿だった。
では生きて人を食らっている私は何者だ?
暫し考え、剣を握った己の手を意識する。
鋭い爪があり、毛むくじゃらで異様に大きな魔物の手。
これが私の手だと!
私は事態を漸く把握する。
人間の冒険者ジェラルドだった私は獅子鬼に殺された。
その際に、私の魂だか記憶だかが獅子鬼に移ってしまう。
飢えていた獅子鬼は魔物の本能に勝てずジェラルドを喰らっていた。
おそらくはこういう状況なのだろう。
何がどうしてこうなった?
冒険者仲間には魔術を得意とする者も居るので、中には心を移し体を入れ替える術などを使える者がいるかもしれない。
だが私は純粋な戦士である。
体術や剣術には多少自信を持っているが、特別な異能を持たないただの前衛職である。
死に掛けたから魔物の体を奪い取る、そんな真似は不可能だ。
私は頭を抱えた。
どうやったら元に戻れる?
生まれてから今まで31年間を人間でやってきた。
お世辞にも美形とは言えない我が体だが、それなりに愛着があるのだ。
出来れば元に戻りたい、戻りたいのだが……。
以前の体の大部分は今の体の腹の中で殆ど残っていない。
これでは仮に魂を移し替える方法があっても無理な気がする。
だが、簡単に諦める訳にはいかない。
私は考えて、考えて、考え抜いた。
考えた結果、自分ではどうにもならないだろうという事が分かった。
ダメだ、何も思い付かない。
馬鹿の考え休むに似たりか、なら誰か魔法に詳しい奴に相談した方が良いかな。
牛鬼退治で知り合った宮廷魔術師の爺様や時折組んで仕事をする女魔術師、地母神の巫女さんや異常な的中率の占い婆など、何人か当てはある。
何をするにせよ、街に戻ってからだ。
……街に戻るって、この体で?
今の私はどう見ても災害指定モンスター。
この巨体だから身を隠してこっそり入る事も不可能である。
街に入るどころか、近付くだけで兵士や冒険者が集まってくるだろう。
それ以前にこの体は人間の言葉を話せるのだろうか。
どうもこの体の声帯構造は獣寄りな気がするのだ。
魔術的処置を行い犬猫に人間並みの知性を与え、人間の言葉を完全に理解させたとしよう。
彼らは人間の言葉を話せるだろうか?
声帯の構造上限界がある、というのがその答えである。
意思疎通が出来なければ他人に相談すること自体不可能である。
嫌な予感がする……とりあえず、喋れるか試してみよう。
「ゴアァァァァァァァァ!」
駄目だった。
どういう風に発声しても魔獣の咆哮にしかならない。
最低ラインまで声量を落としても地面がびりびりと震え、最大出力ならば岩が砕け散る。
これでは意思疎通ではなく攻撃手段である。
音声のやりとりで可能なのは威嚇だけとか人として終わってるだろう。
会話が駄目なら文字という事になるのだが、こちらも難がある。
私は地方農民の出身なのである。
地方農村の識字率は低く、自分の名前が書けて最低限の数字が扱えればましな方という状態だ。
文字を扱えなくても日々の生活には困らないし、そもそも教えてくれる場所がない。
端的に言えば読み書きが苦手な脳筋系戦士、それが私である。
背筋を冷たいものが伝う。
街に近付けず、人と相対しても自身の状況を伝えられない。
ヤバい。
最初に思ったより詰んでないか、この状況……。
考え過ぎたせいかまた腹が減ってきた。
この巨体だ、人を一人食った程度では大して満たされないようである。
何気ない感覚で手近に残っていた人腕を口に放り込み、ばりばりと噛み砕いて飲み込んだ。
飲み下してから自分の行いにぎょっとする。
人間、それもかつての自分を食う事に違和感も何も覚えなかったのである。
不味い、人間だった頃にもう少し健康に気を使っておけば違ったんだろうか。
感想としてはこの程度なのだから困ったものだ。
人ならば己の行動に嫌悪感や吐き気を覚えるべきだろうに。
体だけでなく、心まで化物になりかけている気がする。
これは良くない。
私が私で在り続けるために、人を喰らうのは今回を最初で最後にするべきだろう。
黙考した後、私はこの場に穴を掘る事にした。
これ以上食わぬ為、そしてかつての自分を葬る為に。
獅子鬼の体は驚くほど優秀で、穴はあっという間に掘れてしまった。
残っていた肉片や骨、臓物、壊れた革鎧などの装備品をまとめて穴に放り込んで埋める。
愛用の魔剣と貨幣の詰まった財布だけは持っていくことにした。
ここがジェラルドと獅子鬼が戦った場所ならば、街道からそう離れていないはずだ。
ならば早くこの場を離れるべきだろう。
散らばっているのがジェラルドの装備や肉体だけだったのは、隊商が無事逃げ延びたという証拠である。
生存者が居れば情報が伝わる。
多くの人々が行き交う街道付近に危険な怪物が出るとなれば、間違いなく討伐隊が組まれる筈だ。
やれやれ、厄介な事になった……。
主人公のイメージは某狩りゲーのラー◯ャン。
ただし基本は二足歩行で、手に武器持ってたりします。