2-35 ついに来てしまった、このときが!
「あなた。なにか言い残すことはありますか?」
前回の回想ではない。
大事なことなので2回繰り返したらしい。
もっともこの状況下で聞き逃すわけもないのだから、一度で充分だったと思う。
「心配なさらなくても大丈夫ですわ。お一人であちらの世界へ行かせたりはしませんから」
ぜんぜん大丈夫ではない。
あの微笑みは覚悟を決めた証しだった。
「こんな騒ぎを起こした理由は私との結婚を先延ばしにしたかったからですか? それとも婚姻関係になるのが嫌だからわざと騒ぎを大きくしたのですか?」
大事なご挨拶の前にして騒ぎを起こすなど、クリスがそう思ってしまっても仕方の無いこと。
要はそういうことなのだ。
クリスに愛されているからと甘えすぎていたことを反省しなくてはならない。
日本人最高位の謝罪であるジャンピング土下座で謝ろうとしたとき、ギーゼラが慌てて割って入る。
「クリス様! 迎えの馬車も到着したのでお話はお屋敷でゆっくりとなさって下さい。これ以上庶民の耳を楽しませるようなことはなりません」
「…仕方ないですわね。あなた、早く馬車へ乗りましょう」
中断を余儀なくされてしぶしぶ了承はしているが、屋敷まで待つつもりなど毛頭ないように見える。
きっとドナドナよりツライ道中になるだろう。
ふと思い出したかのように視線を移すクリス。
「クレマンと言いましたか。貴公の処分は追って通達します。ですが、出来るだけ軽くなるように取り計らいましょう」
処分を軽くすると言われて戸惑う様子を見せるクレマン。
俺たちの事情はクレマンには関係ないこと。だから、彼にはその真意が理解できないようであった。
「今回の罪は本来ならば赦されることではありませんが、貴族社会をあまり知らないヨウスケは自分のしたことが原因で貴公に重い罰を科すことを望んでいないようです。ヨウスケは異国の者で衣装も彼の国では一般的とは聞いていますが、ここでは見慣れぬもの。貴公が知らなくても当然でしょう。」
どうせ『布の服』と『ひのきの棒』ですからね!
「怪しかったという点においては否定できませんが、アームストロング公爵直々に出された許可書を疑うなど己の分を越した行為でもあります。しかし、それを強く咎めて警備が疎かになってしまっては本末転倒というものです。こういった色々な要因を鑑みての判断、決して罪を軽く見てのことではありませんわ」
こういうのを聞いてしまうとクリスも貴族なのだなと実感してくる。
俺も反省してます。
今度からはちゃんと時間と場所、それと相手が悪人なのを確認してからやります。
「それに当家の大切なお客であり、当事者のヨウスケが望んでいない以上は、その意思をアームストロング家の者として無碍にはできません」
ここで俺を立ててくれるクリスは本当に出来た嫁だと思う。
やはりただの空気の読めないお嬢様ではなかった。
さすが俺の嫁と言っておこう。
だからこれから怒られる予定の俺にも、引き続き寛大なる処遇をお願いしたい。
クレマンは『俺が頂けるか分からない寛大なるお言葉』に驚きながらも、跪いたまま礼を述べようとするが、それを遮るようにクリスは話を続ける。
「それと、私とヨウスケとの会話は他言無用。いいですわね?」
建前を思い出したのか、そんなことを言い出した。
今さらだがホントに遅いと思う。
身分ある騎士たちとしては、公爵家の不興をこれ以上買うなどしたくはないはず。
しかし問題は周囲に見物客が大勢いることだ。
娯楽の乏しい庶民の間では恰好の的となり、さぞかし楽しい尾ひれの付いた噂が流れるだろう。
後日、それが厄介なことを招く原因となるのだが、まさに自業自得というしかなくどうしようもなかった。
クレマンは俺にも感謝の念を捧げてきたが非常に居心地が悪い。
それに軽くなった罰が俺に加算されているのではないかと思うとどうしても落ち着かない。
くっ……殺せ。
これも言ってみたいと思っているセリフだが、この状況に流されて口走るほど馬鹿ではない。
取り敢えずこの場はこれで終わりにして迎えの馬車へと向かう。
迎えの箱馬車はとても豪華で、中は全員で乗ってもゆったりと座れるほど広い。
もちろん俺も広い床にちゃんと正座で座っている。
「クリス様、本当にあれでよろしかったのですか?」
これはギーゼラの言葉。
彼女としては異を唱えるというより、執事を任されている身として確認をしているといった感じだ。
「良いのです。考えてもみれば私たちの婚姻をしばらくは秘匿すると言い出したのはお父様自身なのに、結婚すらしてないうちに先走って家族としての証書を発行するなど明らかにお父様にも問題があるではないですか。別に隠す必要など元より無いと私は思っていましたのに、お父様がうるさく言うので従っていたらこれですわ!」
「……」
従っていたとは思えないほど大暴露していた気もするが、ギーゼラの立場では『はい』とも『いいえ』とも言えないだろう。
「まったく何のために隠したいのかは知りませんけど、お父様にも原因があるのですから私の決めたことに文句は言わせませんわ」
まあ、クリスの性格ならば隠す意味など理解し難いことだと思う。
貴族の…しかもアームストロング公爵家ほどの名門であれば、やはり『結婚します』『はい、そうですか』とはいかないのだ。
まずは、伯爵以上の家柄同士の婚儀には国王の許可が必要となり、勝手に取り決めることは出来ない。
これは力のある貴族の結びつきが強くなるのを王家として警戒するのは当然なのでこれは分かる。
しかし俺はただの平民で一介の冒険者。これはこれで逆に問題があるので予め国王には報告をしてあるらしい。
モノケロスを出発したその日に王都行きと二人の嫁との婚儀を決めた。
そのあとエルに頼んで早馬を飛ばしてお義父さんへ連絡をしている。
このように慌ただしく決まった予定だが、これは誰の責任でもない。みんなが賛同したことなので、断じて俺のせいではない。
早馬が到着してからまだ数日しか経っていないのに婚姻の許可を得ているのには理由がある。
それはアームストロング公爵たるお義父さんが先手を打っていたからだ。
アウルにクリスの私物と身請け代としか思えない高価な品々を持たせたあと、すでに国王へ打診をしていたのだ。
お義父さんとしては、俺が素直に承諾しなくともいずれはなし崩し的にクリスと結ばせようと考えたからである。その理由は至極真っ当で、俺というクリスの夢を叶えることが出来る存在が現れた以上は、ほかの男性と親しくなる可能性がゼロになったからだ。
そう考えて俺が了承したらすぐ結婚させようと早めに準備を始めていたおかげで、今回すんなりと進む予定だった。
ただ問題もある。
公爵家息女の結婚式ともなれば親類縁者以外にも、親交のある大貴族から寄り子となっている自身の派閥に属する貴族、付き合いのある大商人など大勢の招待客を呼ばなければ沽券にも関わる。
しかしその全員が王都にいるわけではない。
自分の領地にいる者や役目を負って他領に赴いている者、ましてや商人など現在の所在地を把握するだけでも時間が掛かる。
だから式を挙げるとなれば招待状は数か月前には出しておくのが通例である。
それにもう一点大きな問題がある。
それは相手である俺が無名であり、また正体を周知に知らせるのは時期尚早と思われたことだ。
だから今回は身内のみで式を挙げて、いずれどのような形であれ俺が名を上げたのち、改めてお披露目兼ねてパーティーを開けば良いと考えていた。
その時点ではもう結婚しているわけだが、実力さえ示していれば先見の明があったと評されるだけである。また、そうであれば不満がある者がいても、面と向かっては何も言えなくなる。
不満がある者の代表は、クリスが今まで袖にしてきた数多の男たちである。
中には名門貴族の嫡子も含まれていたので、無名のままではひと悶着あるだろうと懸念されていた。
この話はギーゼラがわざわざ説明してくれたのだが、その理由は二人の結婚を秘匿したいというお義父さんの思惑を俺が不満に思うのではないかと気遣ったからである。俺自身、さすがにこんな短期間で結婚を決めたら誰も招待できないのではないかと心配していたので不満などは全くない。
強いて言うならクリスに粉を掛けていた男を蹴り飛ばしたぐらいである。
しかし今はそれどころではなかった。
「それで、あなた。覚悟は決まりましたか?」
忘れていたわけではない。
クリスを宥めなければ秘匿しようがしまいが未来はない。
「本当にごめんなさい。でも、お義父さんのとこへ挨拶に行くことが大事じゃないとかじゃなくて…」
「じゃなくて、なんですの?」
「もうすっごい緊張してて、なに話そうかとか気に入られなかったらどうしようとか。それに服も用意してなかったから結局着物にしたけど大丈夫かなって考えてたら、辻馬車の御者には下男と思われるし、騎士たちにも軽く見られたからちょっとイラッとしちゃって…」
こんな言い訳で納得するとは思えないが素直に自分の心情を吐露する。
「あの、クリス様。ヨウスケ様の仰ってることは本当です。今朝、初めてお会いしたときから、お屋敷に行くことを意識されるたびにもの凄く緊張されてましたから」
思わぬ援護射撃をしてくれたギーゼラ。そして、ベアトリスもそれに続く。
「クリスさまー。ご主人さまは昨日から緊張しっぱなしで、着物も私が珍しいもの好きの公爵さまなら大丈夫と言ったのですが、まだ気にしていたとは思いませんでした。公爵さまに気に入られなかったらクリス様を連れて逃げるとか言ってましたし」
「あ、あのクリスティーネ様。自分が言えた義理ではないのですが、旦那はお屋敷に行くことを思い出すたびに緊張してたのは誰の目から明らかでしたので、恐らく現実逃避気味でちょっと遊んでしまったのではないかと…」
まさかエドまで庇ってくれるとは!
きっと鎧の耐久実験をしてあげたからだろう。
仲間を大切にしていて良かった。
「そ、そういうことなのでしたら早く言ってくれれば私もこれほど怒ったりはしませんでしたのに。てっきり私との結婚などどうでも良いと思っているのかと勘違いしてしまって、危うく刺し違えてしまうところでしたわ」
やはり本気だったか!
あの状況のどこに言う時間があったのかはさておき、元より捨てたら日本に責任をもって送り返すとか自分も一緒に行くとか言っていたわけだし。
「あなたもよく言っていますけど、私も同じく私のどこが良いのかさっぱり分からないので不安なのです」
空気は読めないけど、容姿端麗で優しくて仲間想いの素敵な女性で俺には勿体ないほどの…
「前置きは気になりますが、それは本当ですか?」
「……へっ??」
なぜ心の声が……
「ご主人さまー。また、口から出てましたよー」
またか――――!
「そ、それよりクリス! 明日は時間ある?」
「……なぜ誤魔化そうとするのですか?」
ぐっ…さすがにスルースキルは通用しないか。
「クリスさまー。ご主人さまは本音がバレて恥ずかしいだけなんです。そこは触れないであげて下さい」
ベアトリスさん。
その気遣いは嬉しいけど、サラッとバラさないで欲しい。
「まったく仕方ありませんわね。それで、明日ですか? 何の用事ですか?」
「もし時間があれば一緒に街へ行こうって誘おうと思っていたんだけど……」
もちろんデートのお誘いである。
今言うことでもないのだろうが、会ったら真っ先に言おうと思っていたし、このタイミングを逃すと言えなくなるかもしれない。
「買い物ですか? 明日は色々と予定がありますし、街の案内ならばギーゼラの方が良いのではないですか?」
「あ、そうじゃなくて。実は結婚前に、デ…デ…デートでもしないかと思ったんだけど忙しいなら「行きますわ!」無理にとは…はっ?」
「行くと言っているのです。ギーゼラ、明日の予定はすべて夜に…いえ、明後日の朝にずらしなさい」
まさかの即答だった。
「ふふっ。かしこまりました、クリス様」
「いいですか、あなた! 今日はさんざん不安にさせたのですから、明日はしっかり私をエスコートしなさい。そうしたら、今日の件は赦して差し上げますわ」
「は、はい、精一杯務めさせて頂きます」
こんな罰で良いのだろうか。
いや、厳しいオシオキをされたいわけではない。
「先ほどは心配しましたけど、お二人はホントに仲がよろしいのですね」
ギーゼラは俺たち二人に優しく微笑む。
「ええ、そうなんですよ。先ほど街を歩いていたとき、女性向けのアクセサリーとか眺めながらニヤついていたのですけど、あれはデートの予定を立てていたんですねー。それと…これは内緒ですけど、ご主人さまはクリス様に怒られるのがご趣味なので心配はいりませんよー」
「おおー、それでなのか。いやあ、何度もニヤついていたから心配になったが、旦那も隅に置けないな! 怒らせてから喜ばせるなんて、さすがおモテになるお方は違うなー」
この二人には厳しいオシオキが必要だと思う。
ほどなくして馬車は屋敷の入口である門へ到着。
馬車が並んで数台通れるほどの幅がある門。
そこに設置されたアーチ状の巨大な二枚の格子型門扉が警備の者たちによって開かれる。
馬車は中へと進み、野球とサッカーの試合が同時に出来るほどの広さがある庭を抜けて屋敷の正面へと向かう。
屋敷という言葉で俺が想像できた建物より遥かにでかい。
正面から見える窓だけでも数百はある。
いったい部屋はいくつあるのだろうか。
その正面玄関の前に居並ぶ執事たち。
その中にはなぜか見覚えのある顔がある。
「ようこそいらっしゃいました。ヨウスケ様」
馬車を降りると同時に声を掛けてくるウスターシュ。
そして一斉に全員が頭を下げる。
このVIP扱いに緊張が蘇ってくる。
「あ、ウシュターシュさん。わざわざ出迎えてくれたんだ。ありがとう」
「ええ。クリス様は騎士たちの話を最後まで聞かずに飛び出してしまいましたが、なにやらやっかいなことになっていたようなので少々心配になりまして。それに到着早々知らない者たちに囲まれたら、ヨウスケ様がさらに緊張されてしまうと思いましたので」
今日ばかりはエスパーウスターシュの気遣いが素直に嬉しい。
「さあ、中へお入りください。皆さまが首を長くしてお待ちです」
大きな玄関扉が開かれ、クリスに腕を取られながら中へと入る。
そこには何十人ものメイドが両側に並び一斉に歓迎の言葉を掛けてきた。
「「「アームストロング公爵家へようこそ、ヨウスケ様!」」」
心臓がフルスロットルで鼓動を打ち鳴らし始める。
タコメーターが付いていれば確実にレッドゾーンに入るほどの速さだろう。
「大丈夫ですわ、あなた。みな歓迎していますから。ですが、まさかこれほど緊張されていたなんて予想外でしたわ」
先ほどの言葉を実証している俺の様子を嬉しそうに見つめるクリス。
そんな自分自身の姿に思わず苦笑してしまって、少し冷静さを取り戻せた。
ずらりと居並ぶメイドたちはこちらを向き、張り付けたように笑顔を崩さない。
さすがに教育が行き届いている。
しかし、全員とはいかないようだ。
数名ほど興味津々といった感情が出ている未熟な者もいる。
さんざん冒険者ギルドで鍛えられたせいで、他人が自分へ向ける感情には敏感なのだ。
未熟な者たちはそろってまだ幼さ残る年頃で、メイド姿がまだ板についていない新参者という印象だが、彼女たちのような存在は逆に俺を落ち着かせてくれる。
メイドのほかにもコックや下働きの者もいるようで、まさに総出で迎えてくれたということだろう。
その一番奥の正面にはクリスの家族が待ち受けている。
場に呑まれて動けずにいた俺は、クリスに腕を引かれながら前へと歩き出した。
いつもお読み頂きありがとうございます。
今回は多めに盛っておきました。
本音は屋敷に辿り着かせようとしたら
文字数が増えてしまっただけですがw




