2-34 やはりそこまで甘くはない!
「あなた、お迎えに参りましたわ」
颯爽と現れたのは、もちろん我らが女神のクリス様だ。
気のせいでなければ、途中に剣を抜いている騎士という障害物があったはずなのだが、まるで草原を駆け抜けてきたかのようなご登場である。
実際には障害物の方が慌てて避けたのだが、気にしている様子はない。
恐らくクリスの目には俺しか映っていないのだろう。
しかも俺が取り囲まれているということを知らないのだから、貴族の自分を騎士たちが避けたところで不思議に思うはずもない。
「全くあなたはいつも世話ばかり焼かせて。昨日のうちに素直に一緒に来ていればこんな手間など掛かりはしませんでしたわ」
ちょっこり不機嫌な顔を見せながら、まずはお説教から入る。
しかしこれは想定内なので問題はない。
「ごめんね、クリス。迎えに来てくれてありがとう。それと…今日は一段と綺麗だね」
謝罪にお礼、そして褒めるのも忘れてはいけない。
俺もだてに月日を重ねていない。
日々成長しているのである。――主な部分は嫁のご機嫌を取ることに集中している。
ただ正直に言うと、褒めることまでは今回の予定にはなかった。
しかし馬上でプンプンしているクリスは、俺を迎えるためにわざわざドレスアップをしていたようで、しかも化粧まで施しているのだ。
ここで褒めなければ男が廃るだろう。
しかもそのおかげで、一目でクリスが貴族のお嬢様と気付き騎士たちは止めもせずに避けたのである。
突然現れた超絶美女のお嬢様を口をポカンと開けて眺めている騎士もいるようだ。
ふふん、どうだー。
これが俺の嫁だ! ウラヤマシイダロー!
――っと、今はそんなことを考えている場合ではない。
「やっと最愛の妻を大切にする心が生まれたようですわね。それに免じて今回は許して差し上げますわ」
偉そうに宣っているが、嬉しさが顔に出てしまっている。
相変わらずちょろい女神様である。
「ありがとう、クリス! んじゃ、さっそく屋敷に向かおう」
ここは勢いで押し切り、何も気付かせないまま立ち去るのがベスト。
「ええ、では行きましょう」
この流れに自称俺の従者たちが不満の声を上げる。
俺が怒られることを期待しているのだろうが、ここは逃げの一手だ。
一刻も早くこの場を離れようとするも、しかしそうは問屋が簡単に卸してくれない。
騎士たちの対応を赦していないギーゼラが、真実を告げようとしてしまう。
「あ、あのクリス様。実はここの騎士たちが…」
「――うん、そうだね。ギーゼラさん。一応確認には行くことになったけど、実はここの騎士たちは俺たちが公爵家のお客と知って護衛しててくれたんだよ」
ねつ造? なにそれ美味しいの?
慌ててギーゼラの発言を遮るが、中隊長はすでに顔色が悪い。
どうやらクリスのあとを追いかけてきた屋敷へ向かった騎士たちがやっと到着した模様。
そして中隊長へ報告をしている。
クリスは突然何かを思い出したように馬を降りる。
「それは、ご苦労様でした。それと馬をお返ししておきますわ」
この馬は屋敷へ向かった騎士から借りていたらしい。
「あ、あのクリスティーネ様。この者…いえ、このお方は本当に公爵閣下のお客様…」
俺は一言も喋るなと言ったが、彼がそれに従う義務など元からない。
報告を聞いて俺たちの言い分が正しいと実証されても、面と向かって話し掛けられ思わず口から出てしまったのだろう。
「違いますわ」
そしてクリスはなぜかきっぱりと否定。
誰もが呆けた顔となってしまうが、クリスは顔を若干赤らめて言葉を続けた。
「ヨウスケは私の夫ですわ。ですからお客ではありません。家族ですわ」
この発言を聞いた騎士たちの反応。
それはいっそ哀れともいうべきものだった。
公爵家の縁者となる人物へ自分たちがしてしまった対応に、足元がガラガラと崩れていく音が聞こえてきているのだろう。
自分たちが働いてしまった無礼。命令されて従っただけとはいえ、その罪が連座しないとは言い切れない。
幾人かはクリスを見知っていたらしく、今の自分たちの立場に加えて、衝撃の事実を聞いて絶望のあまりその場にぺたりと座り込んでいる者もいる。
叶わぬ恋と分かってはいても、クリスほどの美女であれば思慕を寄せる者がいたとて不思議ではない。
「お待ちください、クリス様。ヨウスケ様はまだご夫君の候補、そのお一人にすぎません。先走りは周囲に誤解を与えてしまいます」
結婚を数日後に控えておいて先走りはないだろう。
やはりお義父さんは認めていないのだろうか。
そう思ったのだが、これは公爵家としての建前であった。
建前が必要な理由とは俺自身懸念していたことでもあったが、そのほかにも問題があるため『数日後にはもう結婚してしまう』ということ自体を秘匿したかったのだ。
だからギーゼラは慌てて誤魔化そうとしたのである。
「……そうでしたわね。ではヨウスケ、今後のことは分かりませんが、お父様がお待ちなのでご挨拶に行くとしましょう」
今さら言い繕っても遅いような気もするが、取り敢えずこの場は逃げ切れそうだ。
――と思ったら別の方向から声が掛かる。
ここまでの話を聞いた中隊長が顔を青くしてクリスを引き留める。
「お…お待ち下さい、クリスティーネ様!」
俺の意図など知る由もない中隊長としてはこのまま俺たちに去られてしまったら、後日どんな処分を下されるか分からないのだから必死にもなるだろう。
「なんですか? …騎士殿」
俺としては何事もなかったことにしたいので中隊長には黙っていて欲しいが、今さら止める理由が思いつかない。
「わ、私は王国軍第三騎士団にて中隊長を任じられておりますクレマンと申します。ほっ……本日の二の門警備の責任者でもあります」
本日の…ということは警備は日替わりらしい。
袖の下で通してしまうという不正を防ぐためだろう。
「アームストロング公爵家への非礼の数々。その罪は万死に値しますが、どうか私の首一つでお収めして頂けませんでしょうか! 部下は私の命に従っただけで罪は私一人にあります!」
「それは……いったいどういうことですか?」
クレマンはこの言葉でクリスが今の現状を把握していなかったことに気付く。
意外だったという表情を顕わにしたが、ならば言わなければ良かったとは考えていないようだ。
どのみちここまで騒ぎが大きくなってしまったのだから、アームストロング公爵の耳に入るのも時間の問題と理解しているのだろう。無駄な足掻きをするつもりはないと見える。
そしてアームストロング公爵からの証書を疑い、その執事の言葉を信じず無礼を働き、あまつさえ剣さえも抜いてしまったことを告げてしまう。
「そこにおられるヨウスケ殿は幾度にも渡りこの証書が本物であることを訴えていたにも拘らず、平民の冒険者の言と軽んじ自分の首を賭けて否定してしまった次第です」
部下の命が掛かっている以上は言い訳をするつもりはないらしく、俺が「なしにして」と言ったことは口にしなかった。
「それで貴公たちは剣を抜いていたわけですか…」
そこで初めて周囲に意識を向ける。
普段は周囲のことなど歯牙にもかけないが、身内が絡むとその限りではない。
纏う空気がガラリと変わる。
クレマンだけではなく、やましいことがいっぱいの俺もクリスの気迫に慄き青ざめていく。
「アームストロング公爵家の権威を傷つけたその罪は軽くありません。ヨウスケの言葉を疑い、当家の客と執事に剣を向け、己の首まで賭けたというのであれば致し方ありません、私が介錯を務めます。代わりに貴公の部下には寛大なる処置を賜るようお父様にお願いして差し上げますわ」
「あ、ありがとうございます」
自分の命を失うとしても部下は救える可能性が出て、心なしか安堵したように見えた。
貴族の権威とは人の命より重いのだ。
俺の考えが甘かったと言わざるを得ない。
地球の歴史からそのことは分かっていたはずなのに、現代日本で生きていた俺には現実感など全くなかった。
そして今それを改めて思い知らされた。
クレマンは跪き、己の剣をクリスに差し出す。
「ちょっと、まってー!」
「なんですか、あな……ヨウスケ」
さすがに『あなた』と呼ぶのを控えたらしい。
「ク、クリスが来る前に首を賭けたのはなかったことにしたんだよ。だから命まで取る必要はないんだって! だから、公爵家に無礼を働いた罰だけ与えればいいんじゃないかなー…」
「公爵家所縁の者に剣を向けている以上、ヨウスケとの話が無くともその罪は万死に値するのです。これを赦してしまえば、公爵家の権威はおろか貴族の秩序が保たれません」
だが、その剣を抜かせる原因を作ったのは俺なのだから、あまりに重い罪を負わせるのはさすがに目覚めが悪い。
「いや、剣を抜いてるのは単なる行き違いだから。命まで取る必要はないって」
「……そうですか。ヨウスケがそこまで言うのでしたら別の罰を考えるとしましょう」
拍子抜けするほどあっさりと矛を収める。
さすが俺には甘いクリス様だ。
「――で、あ・な・た。何を隠しているのですか?」
でも、そこまでは甘くない。
矛は収めたのではなく、向きを変えただけらしい。
「ギーゼラの態度からこの者が無礼を働いたのは事実。それをなぜあなたが庇うのですか?」
モードチェンジしているクリスはかなり鋭い。
俺を指す言葉も「あなた」に戻っている。
これは完全に俺を疑ってかかっているせいだろう。体裁など気にしなくなっているようだ。
「せ、せっかくクリスが俺のために綺麗に着飾ってくれたのに血で汚れちゃうのは嫌だなーってだけ……デスヨ」
目をスーッと細めると俺から目線を外す。
そして向かった視線の先はベアトリス。
「ベアトリス。何があったのか正確に説明をしなさい。と・く・に、ヨウスケが何をしたのか重点的に」
「はい、クリス様! 実はですねー…」
なぜか楽しそうなベアトリスはクレマンの説明になかった部分を補いながらこのような状況に至った経緯を説明した。
補った部分とは『無駄に煽ったこと』や『なぜ煽っていたか』である。
「それでですね。ご主人様はクリス様が来られるとは思っていなかったので、慌てて賭けをなかったことにしたんですよ」
う、うらぎりものー!
昨日から何度もエロエロした仲なのに!
「その顔はなんですか、あなた。ベアトリスにはあなたが何かしでかしていたら報告するように最初から頼んでいたのです。ですから、ベアトリスが私に包み隠さず報告するのは当然ですわ」
「き、聞いてないんですけど!」
「当たり前です! 現にこうやって騒ぎを大きくしたではありませんか! お兄様やエル様から再三に渡って注意されていたことをもう忘れたのですか!?」
途中まですっかり忘れていたとは言えない。
言い淀む俺から再度目線を外すと今度はエドの方へ向ける。
「エドアルド。なぜ貴方はこのような状況になるまでヨウスケを止めなかったのです! 自分の役目を忘れたわけではありませんね。――正直に答えなさい!」
くくっ…死なば諸共。
さあ、正直に吐いて俺と一緒に怒られるがいい。
「は、はい、クリスティーネ様。実は…あの…だ、旦那があまりに楽しそうだったのでつい……お止めもせず見学してました。も、申し訳ございません!」
女神さまの詰問を受けて、蛇に睨まれた蛙状態となったエドはあっさりと口を割ってしまう。
これで職務放棄の罪が確定!
――のはずなのだが、クリスの反応がなぜか予想と違う。
「……それならば仕方ないですわね」
――なっ!?
「エドアルドもずいぶんとお兄様やウスターシュに毒されているようですね。……しかし、その気持ちは分からなくもありません。私もたびたび甘やかしていますし。ですから、今回は特赦しましょう」
「――えっ!? あ、いや…は、はい、ありがとうございます!」
驚きと喜び、その両方の感情を器用に顔で表現するエドアルド。
全くもって釈然としない。
しかもこんな簡単に赦されるとは羨ましい限りである。
その後、再びこちらに向き直るとなぜかにっこり微笑む女神さま。
「それで、あなた…」
やはり俺にも釈明する機会を与えてくれるようだ。
そして、なんだかんだ言いながらも、きっと俺のことも赦してくれるのだろう。
「なにか言い残すことはありますか?」
……残念ながら、違ったらしい。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次話は明日投稿します。
屋敷にもちゃんと着きますw
今後とも宜しくお願いします。




