2-31 まだまだ学ぶことはある!
結婚――
それは自分の人生を託すに足る人物を伴侶として迎えること。
それを人生の墓場と称する者はその後を不遇の環境に置かれて自分の望む道を歩めなかったからだろう。
それはなにも相手だけが悪いとは限らない。
幸せな家庭を営むためにせっせと働く日々を揶揄しているだけの場合もある。
特に男性の場合、愛する女性を妻として迎えるためには一つの高いハードルを乗り越えなければならない。それを乗り越えた男たちに待ち受けていたものが、さらなる苦労だったというだけだろう。
一つの高いハードル。
立ちはだかる巨大で恐ろしい存在――すなわち愛する女性の父親。
惜しみない愛情を注ぎ育て上げた大切な娘をどこの馬の骨とも分からぬ男の下へなど簡単に嫁がせるわけがない。
そもそも父親とは『うちの娘はお父さんと結婚するのだから他の男などいらん』もしくは『お父さんが一生面倒を看るから結婚などする必要はない』と考えている生き物なのだ。
問答無用で追い払われることもあるだろう。
かぐや姫も吃驚のアルティメットな試練を課されて手塩にかけた愛娘の相手に相応しいか試されることもあるだろう。
決闘の末にその父親を討ち果たし、屍を乗り越えることでしか掴めぬ愛もあるやもしれぬ。
愛する女性の父親に結婚の報告、もしくはその許可を伺いに行くとはそういうことなのだ。
それは間違いなく己の人生最大の山場、生涯に一度あるかないかの分水嶺でもある。
ただ俺の場合、この山脈があといくつかありそうな気もするがこの際は関係がない。
そして今夜、今後の人生を良き方向へと導く水の流れに乗るために、その川の流れる山脈を登らねばならない。
一瞬の隙が命運を分ける結果となってしまうだろう。
ならば己の心身を最大限に研ぎ澄ませて向かう必要がある。
その為にベアトリスが編み出した手法でカラダを清め、心の内に潜む穢れを日々研鑽と修練を積んでいるベアトリスの卓越した手技で浄化させたのである。
心苦しくともギーゼラを待たせる結果となったが、これは必要不可欠なこと。
何の根拠もないが彼女ならばきっと理解してくれるだろう。
その甲斐あってカラダは磨かれて、心も穏やかで清らかな時間が訪れているのだから、無駄な時間を費やしたということはない。
自己保身のために完璧な理論で武装をした俺は大分待たせてしまったギーゼラたちのもとへと向かう――エドもとっくに来て待っているだろう。
「お待たせしちゃってごめんね」
エドも自分で飲み物を頼んでギーゼラとおしゃべりに興じていたようだ。
穢れの浄化に思わぬ時間を取られていたらしい。
「おっ、旦那。さっぱり…すっきりしてきたみたいだな」
俺の顔を見てナニをしてきたか気付いたのだろう。これだけ時間が掛かってしまったのだから当然と言えば当然ではある。
ニヤけた顔を見せるエドだが、そこには羨んだり妬むような感情は見られない。
ただ『若いなぁ』といった年長者からの揶揄いのようなものだ。
エドからすれば子供の頃からの夢であった冒険の旅に出られて、しかも魔法まで覚えることができたのだから、今は女性に興味を向ける目などないのだろう。
それに実年齢でもエドの方が年上なのだから、俺などやんちゃな弟ぐらいに思われているのかもしれない。
一方、エドとは対照的な反応を示すギーゼラ。
「いいえ、ヨウスケ様。私たち屋敷の者は浮かれていましたけれど、妻となられる方の父親に初めてお会いするのです。やはりヨウスケ様が仰られたように緊張するのが普通でしょうし、そのご準備に時間が掛かってしまうのも当然のことだと思います」
大分待たせてしまったはずなのだが、逆にそれを微笑ましく感じているようだ。
こうも簡単に思惑通りの展開になると良心が痛まなくもないが、その妻となる女性以外の女性にご準備してもらっていたから時間が掛かったと知られるよりはマシである。
「それじゃ、行こうか。ギーゼラさんには悪いんだけど、お昼は屋台で買って食べ歩きでいいかな?」
食堂に入って食事をするより店を眺めながら食べ歩きをした方が楽しい。
「はい、天気も良いですしお勧めのお店をご紹介いたします。学生の頃は私も友人たちと食べ歩きしながらよく街を散策していました。王都には大勢の商人が出入りしていますので遠くの地方や他の国の出身の方が珍しい香辛料や変わった食材を使った郷土料理を出しているお店もたくさんありますから」
根っからの冒険者であるエドと好奇心旺盛のベアトリスもこの意見には賛成のようだ。
「もうこの年なので友人も皆嫁いでしまっていますし、さすがに女性一人で食べ歩くのは控えておりました。ですから、もし宜しければ私も皆さまとご一緒に楽しませて頂きたいと思います」
意外にも乗り気になっているギーゼラ。昔を思い出したのか彼女の表情は嬉しそうに見えた。
この辺は貴族やお金持ちの奥様が買い物あとに辻馬車を拾うことが多いようで、それを当てにした者たちが待機をしている。
朝出るときは流石に早すぎたせいか見かけなかったが、戻ってきたときに何台か見たのでそれを拾って商業区まで行こう。
商業区の中央にある大通りには大きな商店が多いそうなので、露店や屋台が並ぶ通りに向かう。
さすがに街も大きく人も多い王都にはそのような通りがいくつもあるらしい。
ギーゼラが学生時代によく通ったというお勧めの通りがあると言うのでそこへ向かうとしよう。
その通りの両側には店が出ていて、大通りほど広くないその道の中央を人が歩いていることもあって基本的には馬車は通れないらしい。店を開くための荷物や商品を馬車で運びたいときは人通りのない早朝から準備をするしかないようだ。
目的地近くまで来ると人通りが増えて馬車で進むのは困難となっている。
ここからは歩いて行った方が良いだろう。
目指す通りに入るとそこには人が溢れていた。
まるで何かのお祭りのようだが、これが王都での日常。
そこかしこから良い匂いが漂ってくる。
肉や魚、甘いお菓子を焼いている屋台もあれば炊き出しのように大鍋で何かを煮込んでいる者もいる。
空腹である今の俺たちにはこの凶暴な襲撃を堪えられそうもない。
一刻も早くお腹になにか入れないとゆっくり見て回るのも困難な状態になっている。
取り敢えずあそこのおっちゃんが焼いている肉から食べよう。
大きさは手羽先ほどだが形は骨付きの鳥もも肉という感じ。
どこかで見たことがある気がする。
「おじさん、これ何の肉?」
「おう、らっしゃい。こりゃあ、カエルの足だ。うちの自慢のタレを塗って焼いてっからうめーぞ。1本10円だ」
自慢のタレはスパイスを効かせたもののようで、タレと合わさった肉汁が焼けた炭に落ちるたびに上がる匂いが胃袋を刺激する。
誰かの生唾を飲む音も聞こえてくる。
「んじゃ、8本ちょうだい」
「あいよ。ちょっと待ってな。今焼きたてを渡してやっから」
2本で1匹分だからスタートはこのぐらいにしておこう。
すでに魔獣化した虫肉や蛇も食べているし、それ以前に魔獣なんて得体の知れないの肉を毎日のように食べているのだから今更カエルなどご馳走でしかない。
ちなみに虫肉は前評判通りであまり美味しくない。
少しお腹に入れたおかげで落ち着きを取り戻した俺たちは、それぞれ思い思いの屋台に並んでは腹を満たして行く。
途中ギーゼラが昔良く食べていたというお菓子の屋台を発見した。
試しにと並んで買ってみたが、どうやらベーキングパウダーを使っていないパンケーキにほんのり甘い樹液がかけてあるらしい。
ギーゼラとエドは美味しそうに食べているが、正直なところ微妙な味だ。
メレンゲを使ってふんわり焼いたシフォンケーキに生クリームを乗せたもの、スポンジに生クリームをたっぷり塗ったデコレーションケーキをすでに食しているベアトリスは、俺の顔を見ながら苦笑いをしている。
ベーキングパウダーがないのは当たり前だが、どうやらメレンゲを使ってふんわりと焼く技術もまだ存在しないようだ。柔らかいパンを作れるだけの酵母もまだないみたいだし。
それなら王都にいるうちに時間を見つけて二人にも食べさせてあげようと思う。
そして、エドには俺が魔導ハンドミキサーを完成させるまでメレンゲ製作係を任命しとこう。
ベーキングパウダーは出し惜しみしておくか。
持ち込んだものがなくなればそれっきりなのだから、別のもので代用できるならその方が良い。
バケットのようなフランスパンは好きだから特に考えていなかったが、柔らかく美味しいパンが焼ける天然酵母もそのうち作っておこう。
多くの露店は筵や布を敷いてさまざまな商品を並べている。
食料品を始め、食器に武器や防具、木製の置物や工芸品、武器として使用する以外の目的の刃物。
並べられている包丁やスプーンにナイフ…あっ!
草むしり用のナイフを買わないと。
ほかにも女性が喜びそうな装飾品もあるが銀細工のような高価なものではなく、街の若い女の子がお小遣いで買えそうなものが多い。ガラクタにしか見えないモノを売っている店も見かけるが、ほかの用途に転用したり直して使うのか、結構人を集めている。
まあ、穴の空いた鍋でも鍛冶屋で直して使うのだから、使い捨てするような道具などあるわけもなく、モノにあふれた日本から来た俺にはゴミと思えてしまうものでも価値があるのだろう。
食材なのか毒なのか分からないキノコや草など怪しげなモノを売っているローブを羽織った老婆に手招きをされたが連れがいるので今回は見送ることにする。
しかし、いつかゆっくりとお話ししたいものだ。
あの老婆なら惚れ薬とかカラダの一部を元気にしたいときに効果がある薬などの作り方を知っているのではないかと思う。
今の俺なら誰にもバレずにこっそり材料を集められるし。
もっとも、18歳の若く高いレベルのカラダで毎日数セットの修練をこなしている俺には必要はない。
――が、いずれ【ハー】なんとかメンバーが増えたときに必要となるかもしれない。
日本の諺にもある。
備えあれば『予期せぬ過度の修練にも』憂いなし。
お腹も膨れて、これはと思ったものを鑑定しながら目を楽しませる。
モノケロスでは見つけられなかった幾つかの探していた食材を発見できたのは大収穫だ。
まだ見つけられないものは多いが、後日ほかの通りや大きな商店が並ぶ中央通りに行けば発見できるものもあるだろう。
今日買ったものは手頃なナイフと安い皮手袋のみ。
ケーキや料理は色々と落ち着くまで作る暇もないだろうし、研究や実験も出来ないだろうからほかのものは後日ゆっくりと買いに来れば良い。
そろそろ通りの終わりが見えてくる。
最初は純粋に楽しんでいたが、見れば見るほど疑問が湧き出て浮かない顔になってしまっている。
その疑問とは「これがあるのに、なぜあれはないの?」といったアンバランスな品揃え。
予想は付くがのちほどアウルに確認する必要がある。
なぜなら、それ如何では今後の方針にも変更が出てしまうからだ。
だが、それも仕方のないこと。
しばらくは問題ないだろうが、念のためにも早めに決めておきたい。
お義父さんへのご挨拶を無事に済ませることが出来たら、相談に乗ってもらえるかもしれない。
そんなことを考えていると、またエドとベアトリスが心配そうな目を向けているが、今回は大丈夫。そこまで深刻なことではないし、最悪全てがご破算になっても何とかなる程度の問題である。
二人には何も心配はいらないと伝わるように笑顔を向け手を振ると、そのまま辻馬車を拾うために通りを出て歩き出した。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次話は遅くとも明後日までに投稿します。




