魔法ときらきら 07
生まれてからの15年間で、ただの一度も聞いたことのない巨大な鳴き声。
あまりに大きな声だったがために、思わず両耳を掌で塞がなければ、耐えられないほどのものだった。
「なに、今の・・・」
路地裏に入ったので魔力爆発の震源地であるビルを見ることが出来ないという、『見えないこと』による不安が、わたしの中の恐怖心を更にぐらぐらと揺さぶって仕方が無かった。
でも、見えなくても。
さすがに何が起きたのかくらいは分かる。
現れたのだ。"バーストモンスター"が。
「ああ、もう!」
焦りと苛立ちから、思わず言葉を吐き出さずにはいられなかった。
わたしが、わたしの意思で勝手にやった事なのに、"どうしてこんなところでこんな事しているんだろう。"
そんな考えが、頭をもたげてくる。
(さっさと陽菜をとっ捕まえて、ここから退散しないと!)
本当にヤバい事に足を突っ込んでしまったという後悔が押し寄せてきて、自分で自分が嫌になる。
このまま逃げ出したい気持ちと格闘しながらしばらく全速力で走っていたが、さすがに息が苦しくなってきた。わたしは足を止め路地裏の壁にもたれかかり、何とか呼吸を整えようとする。
中学時代までは体育の授業は得意だったし、運動だって出来る方だった。だけど高校に入ってからロクに運動もしていないのだから、体力が落ちていたとしても何の不思議もない。約一ヵ月のブランクはこれほどまでなのか、と絶望しながら大きく深呼吸をした。
「よし・・・っ」
いける。わたしはもう一度駆けだした。
入り組んだ路地裏。こんな場所で何の手がかりもなしに、果たして陽菜を見つけることなんて出来るのか。さっきから彼女の携帯に電話をかけまくっているのだが、圏外だというガイダンスが流れるのみ。
電源を切っているのか、それとも・・・。最悪のパターンが頭を過ぎる。
もう自分がどこを走っているのかも分からないまま、また路地裏の角を曲がろうとした、その時。それは起きた。
鳴き声が止んだかと思えば、今度は地響き。
その震動は、今の疲労困憊なわたしの足を縺れさせるのには十分な威力を持っていた。
わたしは路地裏のコンクリートに、上半身から倒れ込む。
そして・・・迂闊だった。転んだ時に、しっかり右手で握っていたスマートフォンを、手放してしまったのだ。
魔術障壁を展開させたままのスマホはカラカラという音を立て、前方数メートルのところへと滑っていった。わたしの手を離れたことにより、携帯の魔術障壁は消滅する。供給源である人間から魔力を吸うことができなくなれば、如何に魔術アプリと言えど、その力を発揮する事は出来ないという事くらい、わたしでも知っていた。
「やばっ・・・」
思わず言葉を出してしまうほど、焦った。
早く、一秒でも早く、携帯を拾って魔術障壁を展開させなきゃ。
そう強く思っているのに、身体が上手く動かない。
いや、正確に言えば身体に力が入らないのだ。ただでさえ魔術障壁の展開により身体から魔力が過剰放出されているのに、ガラにもなく全力疾走をして体力もない。そして、何より。
(怖い・・・!!)
自分でも信じられない事だけれど、圧倒的な恐怖に足がすくんで全身が縮こまってしまう。
体験した事のない魔力爆発、そして今、ここから1kmとない場所で異形の化け物が暴れているであろうという事実。その事が、わたしの身体を金縛りのように雁字搦めにしていた。
こんな言い方になるが、"仕方ない"。
15年間、平和な環境で暮らしてきた女子高生にこの状況は酷すぎる。
弱気になっていたわたしに、更に追い打ちをかけるような災難が降りかかる。
わたしの後方から爆発音が聞こえたのだ。
それと同時に、路地裏へ入ってきた爆風がわたしを襲った。幸いなことに、最初から地面に這いつくばっていたお陰で、わたし自身が吹き飛ばされることはなかった。
だから次に目を開けた時、視界からわたしのスマートフォンが無くなっていたこと。
それは本当の本当に予想外の出来事だった。
まさに頭が真っ白になったという表現しか、思い浮かばない。
魔術障壁無しでこの場を脱出できる可能性が、果たしてどれほどあると言うのだろうか。
「くっ・・・!」
わたしは残る力のすべてを振り絞って立ち上がり、ふらふらとした足取りで路地裏の壁に手をつきながら歩きはじめ、同時に目を凝視してスマホを探し続けた。
・・・無い。どこにも無い。
どこを何度見回しても、わたしのスマホは見つからなかった。
その時、わたしの中で何かがプツンと切れた。
路地裏の壁にもたれかかると、全身から力が抜けていってそのまま壁に背を向けながら座り込んだ。
体力の限界・・・もう、立ち上がれない。
ここでこうして座っていれば、或いは今頃もう派遣されているであろう国連軍が、バーストモンスターを討滅し、ことなきを得ることも出来るかもしれない。
―――だけど、
―――陽菜を助けるという目的は、完全に失敗した。
「わたし、死ぬのかな・・・」
そんな事を思ったりもする。
バーストモンスターは、この近くに来ている。さっき、この路地裏の近くで爆発が起きたというのが何よりもの証拠。
不意に、空を見上げる。夕焼けを見ることはできないが、空の色がオレンジであることは分かった。
路地裏から見上げる空は縦長の長方形で。狭すぎるくらいだった。
わたしが生きてきたこの街の大きさなんて、こんなものなんだと思い知らされるよう。
「死ぬ時の事なんて考えたこともなかったけど」
ぼうっとした頭を必死に回す。
「やっぱ、こんなとこで1人で死ぬのは」
分かってる。こんなの独り言だって。
誰も聞いちゃくれないし、誰もわたしの相手なんてしてくれない。
もっと言えば、わたし1人が死んだって明日はやってくるし、世界は何の形を変えることもなく回っていくんだ。
自分の事を居ても居なくても同じ人間なんて言うつもりはない。
でも、わたしが死んでも世界に何の支障もきたさないのなら。
―――わたしは、死ぬために生まれてきたんじゃないだろうか。
「怖いし、寂しいし」
今になって気づく。
わたしが世界に興味が無いのではなく、世界がわたしなんてただの路傍の草程度にしか認識していなかったんだ。
目から溢れ出た涙が頬を伝い、落ちていく。
「絶対に、やだよ・・・!」
最後に頭を駆け巡ったのは、『生きること』への強い執着の気持ちだった。
目を閉じようとしたその瞬間、わたしは左手に異物が当たった感触を覚えた。
そこにあったのは、電源がオンになっているスマートフォン。
・・・どうやらわたしには、まだ生きる道が残されていたようだ。