世界の嘘 08
「コホン、そろそろ本題に移ってもよろしいですか?」
「・・・うん」
なんかまだ何も聞いてないのにどっぷり疲れちゃったよ。
「量子コンピュータというものをご存知でしょうか?」
まず、アイリスが切り出した話題はそんなものだった。
「存じないね。昨日も言ったでしょ、わたしバカだって」
「簡単に言えば従来では考えられないほど高性能なコンピュータの事です」
わたしの苦しい自虐はスッパリと無視して、アイリスは話を続けた。
「スーパーコンピュータが数千年かけても答えを導けない計算を、僅か数十秒程度で解いてしまうような計算機を内蔵している程度のもの、と言えば分かりやすいでしょうか」
「へえ」
適当に返事をしておいたが、二次方程式で頭を痛めているわたしには恐らく死ぬまで・・・いや死んでも関係ない事なんだろうな。
それくらいの認識しか、わたしには出来なかった。
「我々はその量子コンピュータを所有しています」
「それって、現代の技術で作れるものなの? スパコンと比べてもダンチ性能のトンデモコンピュータなんでしょ?」
「ここで技術論を語ってもマスターにはご理解いただけないのでは?」
ほっとけ。
・・・とはいえ、言っていること自体は的を射ている。
「で、その量子コンピュータが何だって?」
「『魔法少女』の投入と同時にワタクシ達は全世界で量子コンピュータによる情報介入を開始したのです。ありとあらゆる媒体・・・テレビニュースのようなマスメディアから、ネットや雑誌のアングラな噂、その末端に至るまで」
「アンタがこの学校に入れたのも、その一環ってわけ?」
「その通りです。情報介入の規模を考えれば、ワタクシのような女子高生を1人作り出すなど造作の無いこと。国連を・・・世界を敵にまわすには戦力を揃え、世論を味方につけるだけでは全く足りない、ということは我々も十分承知していますので」
正直この話を聞くまで、わたしは半信半疑だった。
アイリスのパトロンが国連を、いわばこの世界の仕組みを本気で崩そうとしているのかどうか。
だが、彼女たちは伊達でも酔狂でもなく、本気でこの世界を破壊しようとしている。
彼女に同意してそれに乗ることにしたけれど、今、借金を全額無かったことにしてくれるのなら、わたしはこの舞台から降りる道を選んでいただろう。彼女の言葉には女子高生を震え上がらせるには十分な怖さと、リアリティがあった。
「そして、ワタクシのように量子コンピュータへのアクセス権を与えられたOSは恐らく多くないかと思われます。ちょちょっと操作したら簡単に情報の改ざんが行えましたもので。拍子抜けしてしまいましたぁ」
小難しい話が続いたことを勘ぐってくれたのだろうか、彼女はちょっと茶化すような声でそんな事を言って軽く笑って見せてくれた。
「もしかしてさ、それも・・・」
「はい、W.I.T.C.H.プログラム"試作一号機"の豪華七大特典の1つ、"アクセス権"です!」
やっぱりね。
屋上へ来てから初めて想定内の答えが返ってきて、何故か安心してしまう。
「マスターが最後にされた質問にもお答えしましょう」
「・・・アンタのその身体は何なのって話?」
「はいです」
そんな質問してたっけ、と頭の中で一度考えてみると、確かにした記憶がある。
わたしは屋上をぐるりと囲んでいる深い緑色をした金網フェンスに、立ったままもたれかかりながらアイリスの声に耳を傾けた。
「ワタクシの身体を構成しているものは100%の純度で魔力です。多機能OSアイリスの人格をコアとした、いわば人形・・・全身が義手や義足で出来ていると思ってくだされば」
「機械人形ってこと・・・?」
「正確には自我を持った機械人形ですね。その証拠にワタクシはこの肉体を失えば人格のコアも消滅するようになっています。何よりワタクシ達OS端末には生物の構成要素である『魔力を精製する器官』がありませんもの」
そうか、だから彼女たちの存在は"禁忌"にあたらないのか。
「言い方を変えれば、ワタクシはマスター無しには生きられない身体なんですぅ」
アイリスは少し顔を赤くさせて、もじもじしながらそう言った。
思わず口に何も含んでいないのに噴きだしそうになってしまう。
「い、言い方変えるな! っていうか変な風に変えるなぁ!!」
全力でそう言って、さらに言葉を続けようとしたのに。
タイミングが良かったのか悪かったのか、授業の終わりを告げるチャイムが屋上にも流れ、その後は有耶無耶になった。
・・・無理にこの会話を続ける必要もないし、ここで終わりにするか。
「教室へ戻りましょう、マスター」
そう言って、アイリスはすっと、こちらに手を差し伸べてくれた。
でも。
「・・・ごめん、わたし3時間目もサボ」
そこまで言った時。
わたしは身体をぐっと、何かに引き寄せられるように引っ張られる。
「ダメです! マスターはそうやって授業にも出ないからご自身の事をバカだバカだと卑下するんですよ!」
「は、はあ?」
彼女に右腕を引っ張られ、半ば引きずられるような形でムリヤリ屋上から校舎の3階へと続いている階段を降りていく。ちょうど先日、陽菜が指を怪我した辺りだ。
「ちょっとっ、アイリスっ!」
まさかアイリスがこんな反応をするだなんて思ってもみなかったから、わたしは何の言葉も用意しておらず、ただ「放して」と連呼するしかなかった。
「授業に出て、一生懸命勉強すればご自身をバカだなんて思わなくなります!」
「べ、別にわたしはバカのままでも・・・」
アイリスはクラスのドアをガラッと開け、わたしと手を繋いだまま意気揚々と教室の中へと入って行った。
「おかえり咲弥っち、3時間目どうするのー?」
「い、いやわたしはサボろうかと思ってたんだけど」
右手をがっしりと掴んでいるアイリスの顔をちらっと見てみる。
笑顔。
清々しいくらいの笑顔を浮かべていた。
しかし、手を掴んでいる力が冗談のそれではない。絶対に逃がさないという無言のプレッシャーがひしひしと伝わってきた。
「やっぱ午前中は出ようかな・・・」
小声でぼそっと、そう呟くが。
「マスター?」
後ろから愛情たっぷりのそんな言葉が飛んできたものだから。
「・・・今日は1日授業受けるよ」
そう、言わざるを得なくなった。
陽菜はひどく困惑した様子で、晶と真紀にも熱があるんじゃないか、だとか、今日も雪が降る、だとか。散々な言葉を投げかけられ、いざ授業が始まったら眠気と退屈さと格闘し、ようやく1日の半分が終わった事を実感することになる、そんな昼下がり。
もし、わたしが昨日、特別な場所で特別な行動をとらなかったら、昨日までと変わらない、今まで通りの日常が続いていただろう。
だけど、その日常はもうわたしにはない。
特別な場所で特別な行動をとり、わたしは特別な生き方の入門書のようなものを受け取ってしまった。
それが良い事だったのか悪い事だったのかは置いておくとしても。
わたしは決して、その『特別な生き方』が心の底から嫌というわけでもなかった。
大学ノート1ページが文字で埋まるだなんて、それこそ昨日までのわたしだったら確実にありえなかったことなのだから。
そんな事を思いつつ。
「・・・ふふっ」
わたしは自分の拙い文字でいっぱいになったノートを見つめて、少し表情を緩めてみたりもした。




