世界の嘘 05
叫んだ後の数秒間。見たことも無い数字に、頭が完全にストップしてしまった。
"思考停止"という言葉は聞いたことがある。あるけれど、まさかこんな形で体験することになろうとは・・・夢にも思わなかった。そうとしか言いようがない。
だって。
「な、なにこれ・・・」
ぐるぐると眩暈を起こしそうなくらいぐちゃぐちな頭で、最初に思いついた言葉を吐く。
「い、1000万円なんて・・・そんなお金うちには無いし!」
ぽかんと口を開けている目の前の美少女に、わたしはそう言い放った。
「そうだよ。な、無いもんは払えないんだから! こんな請求!」
動揺の表情を隠そうともしないわたしは自分の右手を振りながら彼女に弁明する。
「ご安心をマスター。この請求はマスターではなくお母さまのもとへいきますので、マスターご自身が支払わなくてもよろしいんですよ? そもそもマスターは未成年ですので・・・」
なに? なに言ってんのこの子? 彼女の言葉が全く飲み込めない。入ってこない。
「母さんにって、そんな・・・」
想像してみる。
ある日突然、1000万円の請求が母さんに来た時のことを。
「・・・こ、殺されるッ」
全身に悪寒が走った。身震いをするように両腕を抱えてしまう。
スマホを解約させられるとか、そんなレベルの問題じゃない。もちろん本気で殺されるなんて思ってはいないが、今のわたし達の生活は続けられなくなるだろう。
それに。
(ダメ、それだけは絶対に・・・)
我が織部家の台所事情を考えれば、私立高校へ通っているわたしは勿論退学、それどころか同じく私立高校に通っている姉さんも退学。その附属中学へ行きたがっている美湖の進路も大幅に変更されることになることは明白だ。
わたしがどうなろうがそんな事どうだって構わない。
だけど、家族に・・・母さんや姉さん、美湖に迷惑をかけるなんて絶対にあっちゃいけない。その事が頭を駆け巡って、目の前が真っ白になりそうな感覚に襲われていた。
どうする? どうする。どうする・・・
頭に手を当てて考える。
だけど、良い考えなんて浮かんでこない。だって。
『あの力を実際に使ってしまった事実』があるからだ。
あの時、わたしはあの力でバーモンを倒して―――違う。
"倒す"なんて曖昧な言葉で誤魔化しちゃいけない。
・・・"殺して"しまったんだ。
もう後になんて戻れない、と今はじめて実感した。
だって、あの戦闘で壊しちゃったビルとか、道路とか、戦いを煽るような真似をした国連軍の人たちとか・・・
「もう取り返しがつかない・・・」
愕然と、ただそう思った。
「マスター」
わたしの右手を、アイリスがぎゅっと、両手で包み込むように優しく握ってくれていた。
彼女は下を俯いているわたしの顔を下から覗き込むように見つめる。
「大丈夫です。ワタクシに妙案があります」
わたしは泣きそうな顔を上げ、彼女の瞳を見つめた。
「請求を取り消すことはワタクシの権限ではできません。ですが、請求を別の形にすることはできます」
「別の形・・・?」
次に彼女から出てきたのは、意外な言葉だった。
わたしの人生・・・運命さえ決めてしまうような、重大な言葉。
「マスター、1000万円の借金をしてください」
◆
朝。
不思議なことに気分の良い目覚めだった。昨日の事なんて、全部夢だったと思いたくなるほど、心地よく眩しい朝日が窓から差し込んできている。
「・・・でも、夢じゃないんだよなあ」
目覚まし時計アプリを起動させていたスマホが、昨日の下校時まで使っていたものと違っていることが、それを物語っていた。
「はよー。・・・って」
制服への着替えや洗顔、歯磨きをした後。
わたしはそう言いながらキッチンが併設されているリビングの扉を開けた。しかし。
「相変わらず誰も居ない、と」
母さん、仕事。
姉さん、授業前の勉強会。
美湖、集団登校。
我が織部家の朝は早いのだ。・・・わたし以外はね。
綺麗にラップがかけられていた朝食を電子レンジで温め、焼け過ぎなくらい焼けたトーストを食べながらそんな事をぼんやりと考えていた。
『昨日夕方、御崎市で魔力爆発を観測。規模は中規模と発表されました』
BGM代わりにつけていたテレビから、興味深い話題が聞こえてきた。
『ただちに国連軍が出動、出現したバーストモンスター中規模型の討滅に成功したと国連は発表し・・・』
どうやら国連軍はわたしがやったバーモン退治の功績を勝手に自分達のものだと横取りし、事実を隠ぺいして発表することにしたらしい。
それも当然か。
魔力爆発震源地付近ではあらゆる記録媒体が機能を停止する。わたしが魔法少女としてバーモンを倒したことを知っているのなんて、あの場に居た国連軍の兵士くらいなものだろう。
『このニュースで気になる点があるんですが』
テレビの中に居る、中年男性コメンテーターが口を開いた。
『巷では妙な噂が飛び交っていましてね』
『妙な噂、と言いますと?』
『このBMと国連軍との戦闘中、白と金の発光体が空を高速で移動していたのを見たという人が後を絶たないんですよ』
コメンテーターの言葉を聞いて、女性アナウンサーはいぶかしげな表情だ。
『そして奇妙な事にね、日本の御崎市だけじゃないんですよ。シアトル、ロンドン、イスタンブール、シドニー・・・これら四都市で起きた魔力爆発の直後に、同じような発光体の目撃情報が出てるんです』
わたしは昨日、アイリスと話したことを思い出していた。
世界中で宣伝活動を行う・・・
恐らく、その発光体の正体はわたしと同じ、魔法少女となった女の子達なのだろう。
『今までの事例と照らし合わせてみて、今回の御崎市に出現した中規模型討伐にかかった時間があまりに短すぎるんです。ネット上ではUFOがBMを攻撃したのではないのかという・・・』
「ごちそうさまでした」
コメンテーターが熱弁を奮っているテレビをリモコンで消して、鞄に手を伸ばした。
救世主とかUFOとか、バカじゃないの。そのような存在のものが、都合よく現れるわけがない。
(昨日までのわたしなら、そう思えてたんだろうな)
火の元を確認すると、しっかりと玄関に鍵をかけて二階建ての一軒家を後にした。
・・・昨日、起きたことを噛みしめるように、思い出しながら。
―――アイリスはわたしに1000万円の借金をさせて、夜のうちに家から出て行った。
「・・・はい、これで完了です」
少し申し訳なさそうに、しかし営業スマイルとも言うべき相手を不快にさせない程度の笑顔を浮かべながら、アイリスはそう言った。わたしがした事と言えば、相変わらずスマホのボタンをタッチしたことくらいだけど。
・・・今度は、穴が空くほど利用規約を熟読して。
「良いの?」
「何がでしょうか?」
「この借金、利子が無いじゃん」
利用規約を熟読したから分かることだった。
この規約にはハッキリと「無利息無金利」だと書いてあるのだ。
「はい。W.I.T.C.H.プログラム"試作一号機"の豪華七大特典の一つ、"無利息キャッシング"です」
「ヤバそうっていうか、ヤバさしか感じないネーミングだわ・・・」
インターネットで検索したら、グレーゾーンの金融業者が見つかりそうなワード。
「あれだけ規約をご覧になっていたマスターなら今更言う必要もないとは思いますが」
わたしが超真面目に利用規約を読んでいた様子を思い出したのだろうか。苦笑を浮かべると、アイリスは床に手をついてこちらにずいっと乗り出してきて。
「身体を売ることは出来ないようになっておりますので、ご注意を」
と、随分と真剣な表情で声のトーンを落とす。
「分かってるよ。アンタを国連に売ろうとした時と同じようになるんでしょ?」
「はい。夢と希望を届ける魔法少女にスキャンダルなどあってはならないことですから」
「夢と希望・・・ね」
要するに、強力な自衛機能。
規約に書いてあった通りなら、こちらの意志ではなく、相手の方がそういう事をしようとしてきた瞬間に、向こうの身体が粉々になってオシマイらしい。
・・・にわかには、というか普通に考えればとても信じられない話だが。
それプラス、自爆による証拠の抹消が行われる場合がある。わたしから他人に迫った場合。その時はわたしの身体が爆発する、と。この規約にはそう書いてあった。
『爆発』って、発想が年齢一桁だろ。
「その時はワタクシも廃棄処分になりますから」
アイリスはわたしの右手を再び両手で握りしめると。
「ワタクシとマスターは一心同体! 運命共同体というわけなのです!」
目をきらきらと輝かせながらそう言った。
「・・・まあ、身体を売ろうなんてこの規約見なきゃ思いつきもしなかったけど」
そういうやり方もあるんだ、と規約を読んで感じた。
元々そう言う事に疎いということもあり"その発想は無かった"とビックリしたものだ。
「マスター、初心そうですものね」
「・・・そんなんじゃねーしっ」
強い否定が出来ない。
くすくすと笑いをこらえきれない様子のアイリスに向かって、そんな事を言ってみたりする。
こんな風に他人と笑ったりすることなんて、どこか別世界の話で。わたしには無縁だと思っていた。
だけど事実として今。
わたしはこの女の子と同じ部屋で笑っている。
なんだかその空気感というか、雰囲気がたまらなくこそばゆかった。
・・・耐性無いなあ、わたし。
―――1000万円の借金。
とんだ災難が降ってきたが、彼女と・・・このアイリスとの出逢いは大切にしたい。
なんとなくだけれど、そんな風にも考えられるな、とは思えないこともない、かな。




