第27話 駆け引きの果て
現在、9回の裏、2対1、2アウト2、3塁、一打同点という場面で、理恵はマウンドに上がっていた。額の汗を腕で拭い、ロージンと呼ばれる滑り止めを手に塗し、グラブに収まっている白球を握ってバッターを見据える。・・・・・汗がだらだらと流れてきて鬱陶しい。これじゃ拭っても拭っても意味がない。
対して、バッターボックスに立つのは本日2打数2安打の4番、斉藤。本大会で7割という打率を叩き出した、プロ入り確実とされている強打者である。
この化け物バッターを仕留めれば勝ちだが、何せ7割という実績がある。いや、そんなことよりも理恵の剛速球を2打席とも打ち返しているのだ。一筋縄では仕留められないし、下手をすればサヨナラ負けだ。今までにない緊張が、グラウンドを包み込む。
再び落ちてくる汗を腕で拭った理恵はキャッチャーに視線を送って構えるように指示する。キャッチャーはすっ、と体勢を低くしインコースに構えた。
{だめ。インコースは持っていかれるわ}
首を横に振ってミットの位置をずらさせる。キャッチャーは理恵の指示通り、ミットをインコースからアウトコースに構えなおした。・・・これなら大丈夫だ。このバッター、力は強いが目が悪い。メガネをかけているのが何よりの証拠だ。それに、このバッター打ち返した剛速球は全てインコースに投げられている。打ち取ることができる可能性は、アウトコースしかない。
腕を一回転させてボールを投げる。ロージンのおかげでボールが滑らず、アウトコース一直線に白い矢がミットに突き刺さった。
パァアアアン!!
グラブにボールが収まる音が、静まったグラウンドに響き渡った。少し遅れて、主審が叫んだ。
「ットライークッ!!」
斉藤はバットを構えたまま微動だにしなかった。・・・・・最初の打席も、前の打席も初球から鋭く振ってきたのに、アウトコースに放られたら振る素振りすら見えなかった。だが、まだわからない。本当にアウトコースが苦手なのか、それともたまたま見逃しただけなのか、判断するには1球だけじゃ足りない。
キャッチャーに目配せをし、もう一度アウトコースに構えさせる。そして再び、白い矢をミットめがけて放つ。
ッチ!! パァアアン!!
「トライーク!!!」
今度はしっかり振ってきた。だが、かすっただけだ。少しのかすりは投球には何の影響もない。理恵の放ったボールは再びストライクを奪い、3振まであと1つ。
これで斉藤はアウトコースに弱いことが判明した。同じところに2球放られたのに、この化け物バッターがヒットにできないわけがない。
キャッチャーは一度ボールカウントを取ろうと、アウトコースの際どいところに構えた。確かに、2つストライクを取っているのだから、落ち着いて空振りを誘うのもいいかもしれない。
だが、斉藤の前ではそんな小細工など無駄だ。ボール球なら絶対振らないし、ストライクならば振ってくる。追い込まれているのならなお更だ。つまり、ここでボールカウントを増やしても、大して意味はない。短期決戦で行くしかないのだ。
そのことを目配せしてキャッチャーに伝えたが、さすがに3球連続で同じところに投げることに抵抗があるのか、一度外そうとミットの位置を動かさなかった。
理恵は何度も何度も根気良く首を振り続けた。キャッチャーもついには折れ、大人しくアウトローにミットを構えた。そのミットをじっと見据え、腕を回転させてボールを放つ。
ガギィ!!!
金属音が響いた。慌てて目をボールの行方を追う。ボールは・・・・・
「ファーウル!!」
ボールはライト観客席のポールの外側を通り、場外へと消えていった。・・・・・あの打球がもしあと10センチ左だったらと思うと・・・ゾクッとする。こんなところでサヨナラ負けなんて、たまったものじゃない。
斉藤は小さく舌打ちをすると、転がしたバットを握って再びバッターボックスに入った。そして、今度こそサヨナラにしてやる、と言わんばかりの視線を理恵に向けた。理恵も負けず、次で終わらせてやる、と斉藤睨みつけた。
キャッチャーは、さすがにもうアウトコースに構えるのは限界だと感じたのか、真ん中より少し下のほうにミットを構えた。・・・・・さすがに、あそこまでボールを飛ばされて平然とそのままアウトコースに構えるなんてできるわけがないか。
だが、その場所よりだったら、もっといいコースがある。理恵は首をくいくいっと動かしてミットを動かすよう指示した。キャッチャーは、そのコースにミットを動かすよう理恵に指示された瞬間、いきなり立ち上がって主審にタイムを要求した。
「タァイム!!」
声がかかった瞬間、キャッチャーは理恵のそばに寄り、口をミットで塞ぎながら小声で言った。
「理恵! あんた、正気なの?!」
「何がよ?」
「だって、あんた! 何でよりによって斉藤の得意なインコースにミット要求してんのよ?!」
・・・・・そう、理恵の考えた真ん中よりもいいコースは・・・・・理恵の剛速球を弾き返したインコースだった。
「だめよ! そんなところに投げたら本当にサヨナラになっちゃう!」
「じゃあ、あんたはどこに投げてほしい?」
「ぅ・・・・・」
アウトコースはさっきホームランにされかけたからだめだ。インコースは斉藤が得意な箇所だから論外。残るは・・・・・やはり、最初に構えた真ん中周辺しかない。
「真ん中しか・・・・・ない」
「真ん中も同じよ。斉藤にはもうコースがどこだろうと関係ない。ストライクゾーンに投げたら確実に打ってくる」
「だからって、インコースはないじゃないの!」
「うぅん。インコースじゃないとだめなの。インコースでしか打ち取れない」
「・・・・・どういうことよ?」
「とりあえず、アタシを信じて。絶対打ち取ってみせるから」
どうして、そこまで言えるのだろうか? 1度だったらまだしも、2度も打たれているコースなんだぞ? それなのに、どうしてそのコースに投げようという気持ちが沸いてくるのだろうか? 普通なら沸かない。絶対投げたくないコースだ。自分だってこんな危険なコース投げさせたくない。投げさせたら最後、サヨナラ負けになってしまうからだ。
だが、理恵の声は不思議な安心感があった。何と言うか、絶対に何かやってくれる、と思わずにはいられない安心感と期待感を持たせてくれる声だ。そんな声と、真っ直ぐで希望にあふれた目。理恵は、決して勝負を諦めてない。投げやりになったわけじゃないんだ。・・・・・信じてみよう。だって、理恵の投球がここまで連れてきたって言っても過言じゃないんだから。
「・・・・・わかった。じゃあ、お願い」
「うん。任せて。絶対勝つから」
キャッチャーが主審に一礼し、しゃがんでミットを構える。もちろんコースは、インコース。
「プレイ!!」
理恵はおそらく最後の1球になるだろうボールをギュッと握り締め、力いっぱい踏み込んで力を解き放った。
勢い良く回した腕が風を切り、ヒュッという音が鳴る。しなやかな腕が曲がり、指先で回転をつけながら投げる。・・・・・この試合の中で一番早い球だった。斉藤を打ち取るには、うってつけの好球だ。コースは・・・・・インハイ、内角高めだ。今まで投げた3球全てがアウトコースだったから、いきなり体が邪魔になるこのコースに投げ込まれたらいくら斉藤でも打ち損じるはず。・・・勝ったか?
{・・・・・嘘!?}
斉藤はニヤッと笑い、足を思い切り前の方に踏み込んだ。そう・・・・・読まれていたのだ。
いくら体が邪魔になって打ちにくいと言っても、予め振りのモーションを早くしておけば、問題ない。アウトコースのときと同じだ。違うのは、今度こそ柵を越えてサヨナラになってしまうことだけだ。
斉藤の鋭い振りが、理恵の放った白い矢を・・・・・捕らえ―――
「振ってくると、思った」
「!? な、に?!」
斉藤のバットは、理恵の放った白い矢にかすることなく空を切った。少し遅れて、ミットにボールが収まる音がグラウンドに響いた。
・・・・・おかしい。ちゃんと捕らえたはずだ! コースも完璧に見切っていたし、タイミングも完璧だった!! バットのスイング時もぶれていなかった!!! それなのに、なぜ空振りなのだ?! おかしい、おかしい!!!
納得のいかなかった斉藤は、ボールがどのコースに来ていたのかを確認するためにキャッチャーの方を振り向いた。
白球の収まっているミットの位置は・・・・・インロー。早い話、内角低めだ。
それを見た瞬間、斉藤は全てを理解した。あぁ、そうか。最後の1球・・・・・真っ直ぐじゃなくて、フォークだったのか。このピッチャー、真っ直ぐしか投げてこなかったから・・・・・騙されたわ・・・・。わたしの、負け・・・か―――。
「ットライーク!! バッターぁアウト!! ゲームセットぉぉ!!」
審判の声と共に、グラウンドは歓声に包まれ、勝利投手である理恵はチームメイトに胴上げされたのであった。
今回は理恵が主役のお話でした。野球のほうはわかるんですが、ソフトのほうはわからなかったのでちょぴり苦労しました。
それと、ここ数日アクセス数がかなり増えてきているのですが・・・・・正直戸惑ってます。素直に喜んでいいのでしょうか?
とりあえず喜んでおきます。皆様、アクセス大変ありがとうございます。これからもいっそう頑張っていきたいと思いますので、「殺し屋」よろしくお願いします!