第146話 最後の砦
2人だけで居るシェルターの中。
外の映像もなければ、音も聞こえない。
情報が全く遮断されたその中で、刹那と玲菜の呼吸だけがその場に響いていた。
もう何分も会話がない。あの出来事があってから、2人は無口のまま時間が流れている。
だが、別にどうということはない。お互い、触れ合っているだけでいい。
手と手、肌と肌、鼓動と鼓動。
それだけあれば十分だった。今はもうこれだけでいい。他には何もいらない。
目を瞑った刹那は、近い将来のことを考えていた。もちろん、お互いが黒羽に殺されていないという、明るい将来のことだ。
この抗争が終わったら、未来が生まれる。
自分と玲菜の、大切な大切な子供だ。
きっと保育園の入園式なんてきっとすぐで、そしてすくすくと大きくなっていくだろう。
男の子でも女の子でも、ちゃんと健康に育ってほしい。
そして、玲菜みたいに明るくて素直な子になってほしい。
「・・・なって、くれるよな」
「? 何が?」
「未来、ちゃんと育ってくれるよな」
「当たり前じゃない。刹那と私の子供だもん、絶対元気でいい子になるに決まってるよ」
「2人で、未来の入園式に出ような」
「うん。とびっきり可愛い未来の姿、ちゃんと写真に写すから」
「・・・悪いことしたら、叱ってやろうな」
「泣いちゃったら、ぎゅって抱っこしてあげようね」
「色んな所に連れていって、たくさん楽しいことをしような」
「あんまりはしゃぎすぎて転ばないといいね、未来」
「それから・・・それから・・・」
まだある。
まだあるんだ。
やりたいことなんて、こんなもんじゃない。
ありすぎて、それが言葉にできなくて。
それを伝えようと心の中で言葉を組み合わせて。
口を開こうとしたそのときに―――
悪いが・・・それはできないな。
―――不気味な、そして聞き覚えのある声が心の中に響いた。
ゾッとしたような感覚が刹那の体を駆け巡り、瞬時に青ざめる。
・・・何だ今の声は。別に殺気だった声だというわけではない。脅しや、恐ろしい言葉だというわけでもない。怖がる要素は、どこにもないはずだ。
それなのに、刹那は震えが止まらなかった。今まで味わったことのない、純粋な恐怖だけがそこにあった、
「刹那? どうしたの?」
「・・・来る」
「? 誰が?」
「わからない。わからないけど・・・ものすごく強くて、恐いやつ」
「それってどういう―――」
玲菜が最後まで言い終わらないうちに、『それ』はきた。
耳を劈くような轟音がして、目の前の壁が一瞬にして粉々になる。
まるでそう・・・砂でできた城を、子供が蹴り壊すような、そんな感じだった。
壁はかなりの強度を持っているはずなのに、それなのにあっさりと破壊される。
破片とは言えない小さな粒が飛んでくる。
一瞬のうちに、刹那は守るように玲菜の前に立ち、その破片を背中に受けた。
・・・対して痛くはない。破片が砂のように細かかったのが幸いした。
背中にぶつかってくる感覚が消える。どうやら止んだらしい。
後ろにいるとんでもない敵。
その姿を見据えようと、震えながら刹那はゆっくりと振り向いた。
「・・・木下 刹那に、佐々木 玲菜だな?」
半分が黒、半分が白という奇妙な仮面を中から、確認の声が聞こえてくる。
その問いに答えることができず、ただ沈黙が流れる。
「・・・返事はなしか。それでも構わん。ここにいるということは、つまりそういうことだからな」
・・・やはり、どこかで聞いたことがある声だ。聞き覚えがある。
だが、それがどうにも思い出せない。一体、どこで聞いたことがあったのだろうか?
「・・・覚えていたか。意外だった」
「やっぱり、会ったことがあったのか」
「・・・あぁ。これで、わかるだろう」
言うなり、そいつはおもむろに仮面に手をやって、ゆっくりと仮面を顔から外した。
「・・・これでわかったか?」
「!? あんた、あの時の!」
顔を見て・・・ようやく思い出した。
理恵と2人きりで町に遊びに行ったときに行った、あのラーメン屋の店員だった。
あの時とは目の色こそ違うものの、特徴的である無表情な顔。・・・間違いない。
「その通りだ。改めて自己紹介させてもらおう。俺は『相良』。ただの殺し屋だ」
「『相良』・・・? 嘘・・・」
信じられない、といった具合に玲菜が呟く。
その声色は怯えにも似たような感じで、間の前の男がいかに凶悪であるかを玲菜の表情が物語っていた。
「『相良』って・・・そんな・・・。伝説が、どうして・・・」
「黒羽に雇われただけだ。お前たちを、殺せと、そう言われてな」
それだけ言って、『相良』は再び仮面を顔につける。
・・・『相良』のことを知っている玲菜。その怯え方が異常だった。
自分自身の体を抱き締め、そして真っ青になって震えている。
目にはうっすら涙を浮かべていて、かちかちと歯も鳴らしている。
玲菜をここまで恐怖させる『相良』。刹那が最初に感じたものは、やはり気のせいではなかった。
「・・・訊きたいことがあるんだけど」
「何だ」
「どうして初めて会ったあの時、俺を殺さなかったんだ?」
刹那の問いかけに、『相良』が答える。
「まだ清十郎氏が痺れを切らしていなかったからだ。
そのときは、まだA・B・K社の連中からかかった貴様の容疑が完全に外れていなかった。
だから清十郎氏は待った。いくら俺を雇ったからと言っても、なるべくなら面倒事は避けたかったはずだからな」
・・・合点がいった。あの時に殺しておけば全てが終わっていたはずなのに、どうしてそれをしなかったのかという疑問がやっと解けた。
「・・・そろそろ、いいな?」
すっ、とゆっくりとした動作で、『相良』は手にある真っ白な刀を抜く。
綺麗なその刃は信じられないくらいの美しさで、一切の穢れを感じさせないくらいの清さを持ち合わせた逸品だった。
そして、刀身には『唯我独尊』の4文字。言葉通りの、紛れもない唯一無二の刀だった。
「痛みはない。感じる間もない。いつ死んだのかさえわからない。与えられるのは、一瞬の恐怖だけだ」
死刑宣告のように冷たく言い放ち、『相良』は刀を振り上げる。
・・・死ぬ前には、目の前の動きがゆっくりになるということをよく聞く。今の刹那はまさにそんな感じだった。
逃れられない絶体絶命の危機。確実に殺されてしまうというこの状況。
そんな中で、刹那は今しなければならないことをちゃんと理解していた。
それは逃げることでもなく、戦うということでもなく、もっと別なこと。
そう、それは・・・
―――死ぬその時まで、玲菜と未来を守る。
たった、それだけだった。
「・・・何の真似だ?」
「刹那!?」
玲菜の声を背に受けながら『相良』の前に立ちはだかり、そして大きく手を広げる。
そんなことをしても何もならないことはわかっている。
たったそれだけのことで、目の前のこいつが止まりっこないということも承知だ。
でも、これしか自分にはできない。
玲菜と未来が死ぬその時を少しでも遅らせることしか、刹那にはできなかった。
「何の真似だと訊いている」
「・・・守る」
「何を」
「玲菜と未来」
「そこまでして守るものか?」
「あぁ。あんたにはわからないかもしれないけど、後ろの2人が俺のすべてだから」
「そんなことをしても、意味がないことはわかっているか?」
「だって、これしか俺にはできないから。だから、やる」
「・・・そうか」
とん、といきなり背中に軽い衝撃。
同時に胴に回される細い腕。
「私、刹那と一緒がいい」
震える声の主は・・・玲菜しかいない。
「一緒がいい。別々は、嫌だから・・・そんなこと、しないで」
腕に力を込め、玲菜は刹那を強く抱きしめる。まるで、絶対に離さないと言っているかのように。
何か言おうと思って・・・刹那は何も言うことができなかった。
それは駄目だとも、絶対に守るからとも言えず、ただ広げた腕をゆっくりと下ろした。
・・・2人とも諦めているのだ。この状況を打開するということを。
あがいても無駄。戦っても無駄。それならば、一緒に死ぬのがいい。
そうすれば・・・きっと怖くないだろうから。
「・・・やりたくはないが、仕事なんでな」
『相良』がそう言い終わって、刀を振り下ろす。
眼前に刃が迫り、それが2人の体に食い込む。
そのとき
突風が起こった。
そして・・・・・
ガギィィッ!!!
2人を両断するかと思われた相楽の刀は
また別の刀によって防がれていた。
「諦めが早いわね。ま、いい覚悟だけど」
突風と共に出現したその美女は
『相楽』の持つ白い日本刀とは対照に
闇のように黒い日本刀で
その鋭い刃を見事受け止めていた。
その黒い日本刀の刃には、『天上天下』の四文字。
持ち主は・・・・・そう。
「はぁい♪ 玲菜ちゃん。お姉ちゃんの登場よ♪ ちょっとギリギリだったり?」
「お姉ちゃん!!」
「里奈さん!!!」
里奈は2人の呼びかけに満足したのか、笑顔を消し、思い切り刀を振りぬいた。
「よっとぉっ!!」
「・・・・・」
バッドでも降るかのように強引に刀を振り、里奈は『相良』を弾き飛ばす。
吹っ飛ばされた『相良』はうまく受け身をとり、そして構えた。
「・・・わざわざ殺されにきたか」
「そうよ、わざわざ殺されに来てやったわ。感謝してよね」
いつもの軽口を叩くように、里奈が言う。
「・・・いい覚悟だ、すぐに楽にしてやる」
「ちょっと待ってよ、死に場所くらい選ばせてちょうだい。ここじゃ死にたくないわ」
「・・・っふ、いいだろう。先に行け」
「はいはい」
そう言って、里奈は刹那と玲菜に背を向ける。
・・・戦うつもりなのか? こいつと。見るだけで息が苦しくなる、この怪物と。
もしかしたら・・・勝てる見込みが? それで、こんな無謀な戦いを?
・・・あるわけないだろう。無理だ。運がよほど露骨に味方してくれない限り、勝てっこない。
止めてほしい。逃げてほしい。死ぬのは自分たちだけでいい。
そんな思いで、心がいっぱいだった。
「お姉ちゃん・・・逃げて・・・お願、だから」
半泣きになりながら、玲菜がそう言う。
大好きな姉。小さい頃から後を追いかけていた姉。今だって、その想いは変わっていない。
それが、自分のために死にに行くと言っている。守るために、戦うと言っている。
・・・行かせたいわけがない。死なせたいわけがない。
でも、里奈の足は止まらない。止まってくれない。ゆっくりとシェルターの外へ出て、そして死地に赴こうとしている。
「・・・泣かないで、玲菜」
一瞬だけ振り向いて、そして里奈は笑顔で言った。
「お姉ちゃんに任せなさいって♪」
ウインクしながらそう言い残して。
里奈と『相良』はほぼ同時に消えた。
もう少しだけ「殺し屋」よろしくお願いします!