第144話 孤独
時間としては、里奈が全速力で『相良』を追い始めたころだろうか。
月明かりがあるのにも関わらず吹雪いていて、視界がこの上なく悪い中、A・B・K社の屋上で幹部の1人が、ただただこのA・B・K社周辺に近づいてくる気配を感じ取っていた。
もちろん、ちゃんと目で見るという確認も怠らない。ここは最後の砦だ。侵入を許せば、もうその時点で終わりだと言っても過言ではないのだ。
「・・・・・」
ただただ気配を感じ取る。この吹雪の中、多少の月明かりが出ていたとしても何の慰めにもならない。頼りになるのは気配だけだ。これしか能がない自分の、唯一役に立てること。
気配を感じ取ることだけに関しては譲れない。例え、A・B・K社でNO.1の実力を持ち合わせているシリスといえども、それだけは絶対に負けはしない。
「・・・・・」
自分たちには特別な日でも、一般人に関しては普通の日となんら変わりのない今日。
A・B・K社周辺に近づいてくる気配の数は、優に1000を超えるものだった。
単に近くの道路を通っただけの者。
面接の日に間違えないよう、場所を確認しにきた者。
有名な企業なのだと、一度見にきただけの者。
通りすがりの者。
たったそれだけの理由で近づいた無関係の者の気配まで察知しなければならない。それも、何百回という膨大な回数を。
気が遠くなると言えば嘘になる。こんな精神に来る仕事、たぶん他にはない。
だが、ここで止めるわけにはいかない。気を抜いたほんの一瞬、黒羽の殺し屋が来るかもしれないのだ。
そのことを、下の階にいる幹部たちに知らせるのが自分の仕事。ちょっとやそっとのことで、へこたれるわけにはいかない。
「・・・・・?」
数々の気配を感じ取れる。10や20とは言わず、その倍以上の数が。
だが、その中で1つだけ、極端に気配が薄い者があった。
例えるのならそう・・・消えかけの蝋燭の火。ほんのちょっとした風が吹いてしまえば、たちまち消えてしまうくらいの、とても弱々しい。
・・・明らかに、故意に気配を消している感じだった。唯一違うのは、今まで感じたどんな気配よりも薄く、自分程の力がなければ感じることもできないくらい上等な消し方だということだ。
どう考えても普通の殺し屋ではない。これは・・・『相良』だ。そうでなければ、この消し方に説明がつかない。
「・・・・・」
別に不思議なことではない。『相良』ほどの実力があれば、幹部たちの包囲網は突破してくるだろうということは予想済みだ。
懐から無線を取り出し、そして下の階に待機している幹部をまとめている1人に連絡を取る。
「・・・こちら屋上。『相良』が接近中」
『・・・こちら、社長室。それは、本当、ですか?』
「間違いないです。あの気配の消し方・・・シリスさんでもできませんよ」
『・・・わかり、ました。あなたは、すぐに、避難して、ください。私たちも、直に』
「わかりました」
短いやりとりを終え、すぐさま屋上から飛び降りる。
・・・気配からして、『相良』が突入してくるまでほんの1、2分といったところだろうか。
自分ができることはもうない。あとは、下の階にいる連中の対策次第だ。
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「ん〜で? 美羽っちは何て言〜ってたん?」
無線のやりとりを聞いていた幹部が、そう尋ねる。
「・・・困り、ました。『相良』が、接近して、いるそう、です」
「くぁ、ホントかよ。オレたちみんな死ぬじゃねぇか」
額に手をやり、諦め半分な口調で幹部の1人がそう言う。
言いたくなるのもわかる。ここにやってきたということは、幹部の包囲網を突破してきたということだ。
そうなれば、自分たちが束になってかかっても勝てる通りはない。あっちには里奈もいるのだから、それだけで自分たちもよりも強いことになるのだから当然だ。
「・・・皆さんは、逃げて、ください」
「ん〜? 優子っちは?」
「・・・残り、ます。ここに、踏み入れて、無傷では、済ませたく、ないので」
陰鬱な笑みを浮かべ、そのまま社長室の出口へと向かった。
「あ〜たしも手伝っちゃおっかにゃ〜? なんて・・・」
「・・・邪魔に、なるので、結構です。最悪、私の、罠に、ひっかかって、死ぬかも」
「う〜わ・・・。そりゃ勘弁。大人しく逃げさせても〜らいますよ」
幹部たちは皆、この女の罠の厄介さを知っている。
即死級の罠をあらかじめ仕掛けておき、それに誘導するように攻撃を仕掛けるのだ。
逃げようとすれば罠にはまるし、はまるまいとすれば攻撃される。その手口が何とも、いやらしいのだ。
「・・・そんじゃ行くぜ。オレはこいつに殺されたくねぇ」
「し〜たのほうにいる2人にも声掛けてから逃〜げることにしちゃう。頑張ってね、優子っち」
「・・・はい。目にもの、見せてやります。ふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
背筋が凍るような笑い声をあげ、優子と呼ばれた幹部は社長室から出て行った。
それを見届けた2人の幹部も同じようにして出て行き、下へと向かった。
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「ここか・・・」
A・B・K社の前に到着し、そう呟く。
この地下にターゲットがいる。それを殺して終いだ。
・・・呆気のない仕事だった。『witch』が現れたときは少しは楽しめるものだと思っていたが、それも期待外れだった。
最盛期だったころと戦えればまた違ったかもしれない。
自分が尊敬してやまなかった、あの時代のシリスならば。
だが、現実は残酷なものだ。魔法のようだと言われたその力は、実際に見てみれば小細工のようなものに過ぎなかったし、動きも亀のように鈍ければ攻撃だって単調。
・・・殺す価値もないくらいの、塵に等しい力だった。
つまらない。孤高はいつだってつまらない。
競う相手もいなければ、自分の存在を脅かす者だって現れない。
自分の師だって苦労して殺した覚えもないし、死ぬんだなと本気で思ったときだって今まで1度もない。
誰も俺を止められず、誰も俺を越えられず、そして誰も俺のことをわかっていない。
・・・孤独だった。
孤独な俺が成すべきことは、その力を誇示し続けることだけだった。
そうすれば、俺を越えようと戦いを挑んでくる者が現われるかもしれない。
だから、今までずっとそうしてきた。
俺の思惑通り、噂を聞きつけた腕利きの殺し屋がたくさん俺の目の前に現れた。
現れたそいつらを、俺は全て殺してやった。
現われては殺し、そしてまた現われて殺していく。
俺を追い詰めた殺し屋は、1人たりともいなかった。
誰も、俺を止めることはできなかった。
つまらない。世界はいつだってつまらない。
この仕事も、また同じか。
「・・・来ました、ね」
「・・・あぁ、来たさ」
暗い雰囲気だった。
俺の前に現れたということは、こいつもまた俺を越えようとする者なのか。
「・・・俺と戦うのか?」
「・・・もち、ろんです。ここからは、踏み込ませ、ません」
言い終わって、目の前のそいつは銃を取り出した。
反動が小さく、殺傷力があるという優れものの銃だった。
「・・・罠に悶え、苦しんで、死んで、くださいね」
ふふふ、と気味の悪い笑い声を出す。
その笑い方は、俺のことをまったく恐れていなくて。
ただ俺を殺そうとしているだけの笑いだった。
・・・楽しませてくれ。
勝てるとまではいかなくても、俺の心を埋めてくれるくらいに。
もう少しだけ「殺し屋」よろしくお願いします!