第142話 『相良』と『witch』
屋根裏といえば、埃やごみに塗れた薄汚いものを想像しがちだが、この黒羽の屋根裏は年季の入った外見とは裏腹に、最新のセンサーや温度感知器など大量の防犯機器が設置されていた。
特に赤外線等の部類は目に見えない分、察知するのが大変だったが、長年こうした仕事をしてきたシリスにとっては突破するのには何の問題もない。
ただ、その数がかなり多い。もう屋根裏に入ってから5分も経過しているが、数々の防犯機器に道を阻まれているため、未だ到着できていないのもそのためだ。
長い道のり。早くしなければという焦りを抑え込んでひたすら進み、そして・・・。
{この辺りですね}
ポイントにたどり着く。
図面通りだとすれば、この真下に清十郎の部屋がある。
今すぐここを爆破して下に降り、そして暗殺すればいいのだが、仮に清十郎がいなければそうする意味がない。むしろ、破壊音で周りに自分の存在を知らしめることになってしまい、情けなく逃げ出さなければならないことになってしまう。
屋根裏に入ったときと同様、穴を開けて下の様子を見るのが一番なのだが、生憎ここら一帯は鉄で覆われており、とてもじゃないが手持ちのナイフで小さな穴を開けるなどという芸当はシリスにはできなかった。
気配を察知する方法も試したが、さすがにこの分厚い鉄越しにそれをこなすのも無理だった。もっと薄ければ出来ただけに、歯がゆい。
小さな穴も開けられなくて確認もできず、大きな破壊はできてもいなければ意味がない。頼みの綱の気配を察することも、これじゃできない。
どうすればいい。一体自分はどうするべきだ。
1度選べば引っ込みがつかない選択肢。どれが当たりではずれかわからない道を選ばなければならない。
・・・それならば、だ。進むしかない。進まない道なんてない。清十郎がいる可能性はここしかないのだ。ならば、もうやるしかない。確認ができないのならなおさらだ。
決心し、バッグの中から爆薬を取り出す。
その瞬間・・・
「え?」
視界がぐらつき、そして浮遊感に襲われる。
今まで見ていたものが上方にスライドしていき、落下する。
暗かった空間から明るい空間に移動し、とっさのことに一瞬混乱してしまう。
・・・なぜだ。
自分はまだ爆薬を使っていない。
センサーにだって、温度感知器にだって、振動感知器にも引っかかっていない。
気配だって完全に消しているから勘付かれてはいないはず。
それなのになぜ、自分はこうして屋根裏から天井裏ごと落下しているのだ。
「くっ・・・」
床に叩きつけられる寸前に受け身を取り、うまく着地する。
眩しさに目を細めながらも、部屋の中の状況を確認する。
そこに、いた。
「ほう、本当に潜んでおったか」
「・・・黒羽 清十郎」
堂々と装飾された豪華な椅子に腰かけている清十郎を、シリスは睨みつける。
全ての元凶。幸一を傷つけた男。そして、刹那と玲菜を殺そうと企む塵。
・・・今から殺されるというのに笑っているとはいい度胸だ。今から永遠の眠りにつかせてやる。
懐から迷うことなく銃を取り出し、そしてすぐさま引き金を引く。
弾丸は銃口から間違いなく発射され、清十郎の額目がけて一直線に飛んでゆく。
間違いなく殺した。弾丸の軌道から考えても外れることはまずないし、この距離から撃たれた銃弾を避けられるわけがない。
シリスは、そう思っていた。
だが・・・
「え」
飛んでいた弾丸が、突如吹いた風と共に・・・砕けた。
パァンとはじけるようにして吹き飛んだそれは、まるでかんしゃく玉か何かのおもちゃのようだった。
「さすがだ。さすがは『相良』。発射した弾丸に追いつくとは・・・くくく」
清十郎が、おかしくてたまらないといった具合に笑う。
その清十郎の前に、そいつは立ちはだかっていた。
形容しきれないおぞましい感覚をまとった殺し屋が。
『相良』が、そこに存在していた。
「・・・・・」
最強と呼ばれるのだから、少なくとも自分よりは強いだろうとは思っていた。
だが、目の前のこいつは次元が違う。
同じ人間では断じてない。
動いている弾丸に追いついて、あまつさえ消し去るなんて芸当など、人間にできるわけがない。
何だ。
何だこいつは。
こんなやつに、敵うわけないじゃないか。
「いやいや、『相良』よ。何とも言えん実力だ。まさしく、最強よの」
「・・・・・」
防刃や防弾の類は一切組み込まれていないと一目でわかるほど、ぼろぼろで薄汚い服。
右半分が黒、左半分が白という奇妙な仮面をつけていて、表情は見えない。
手には武器であろう、眩しいほど真っ白な日本刀が握られている。
細いが、決して痩せ細っているわけではない、男と一目でわかる体。
皮膚は東洋人独特の黄色みがかった色。
それが、初めて見る『相良』の外見だった。
「・・・今まで、どこに?」
自分がこの部屋に降りてきたとき、この男の姿は見えなかった。それどころか、気配は清十郎のもの1つしかなかった。一体、どういうトリックで自分の前に姿を現したのか、それが疑問でならなかった。
「後ろだ」
仮面の中から、くぐもった声が聞こえてくる。
「嘘は言ってもらいたくありません。気配はなかったです」
「察知できていなかっただけだ。俺はずっと、貴様の後ろに居た」
自分の後ろに、『相良』は居た。
それならば、急に自分の目の前に出てきたことは納得できる。
だが、なぜこいつの気配に、自分は気づかなかったのだ?
いくら気配を消していたとしても、この距離だと意識せずとも感知できる。それが例え、気配を殺していたとしてもだ。
「・・・そうですか」
・・・落ち着け。取り乱すな。
相手が化け物だということはわかっていたはずだ。
単に、自分がわからないほどうまく気配を消していただけの話。
経験と常識と自分の実力から考えると、神技と呼べるものを遥かに超えるほどの芸当だが、噂の中の『相良』ならばやってのける。
だから、動揺する必要はない。大丈夫、予想していたことだ。
「気配をそれほど消せるのでしたら、私の気配も悟られていたということですね」
「あぁ」
「この鉄で覆われた天井は、斬ったのですか。その刀で」
「あぁ」
自分ができなかったことを、いとも簡単にできる『相良』の実力に苦笑してしまう。
自分とこいつの実力の差はどれほどのものなのか、と。
・・・まともに戦うことができるわけないだろう、と。
「まさか直接清十郎の警護をしているとは・・・うかつでした」
「そんなことも考えられないとは、『witch』も衰えたもんだな」
「・・・また、ずいぶん昔の話をしますね」
「当時は、殺し屋の中のヒーローだったからな。俺も、知っているさ」
仮面をシリスのほうに向けながら、『相良』は懐かしむようにして言った。
かつて昔、アメリカを中心に動く腕利きの殺し屋が暗躍していた。
受け持っている仕事はかなりのものだが、それを全て期間内に片づけ、そして失敗することはないという、現在の『相良』と並ぶほどの存在。
かなりの実力を持ち合わせたその殺し屋が、まだ成人もしていない少女だと囁かれ始めたこともあり、たちまちその少女は殺し屋界のヒーローとなった。
―――あらゆる防犯設備を突破するその力は、まるで魔法のようだ。
その噂が、シリスがwitchと呼ばれる起源だった。
「仕事は名声の高さに比例して増える。
それを妬んだアメリカ中の殺し屋が手を組み、そしてwitchはこの世から消え去った。
・・・まさか、こんなところで生き延びているなんて思いもしなかったがな。
わざわざ名前も変えてご苦労なことだ、レベッカ」
「・・・私はシリスです。そんな昔話が、今何の意味があるのですか?」
「いや何。かつての英雄も、今じゃこの様だと言いたかっただけだ。
勇敢に乗り込んできたのも、むざむざ殺されにきただけだったのだとな」
そう言って『相良』は手に持っていた真っ白な日本刀をすっと抜く。
どうやら、もう始める気らしい。
「始める前にお訊きしたいことがあります。貴方はなぜ清十郎の元に?」
「金で雇われただけさ、難しい理由などない」
「それを聞いて安心しました。やはり、清十郎を殺せば貴方は止まるのですね」
「そうなるな。だが、それは無理だ」
「理由をお聞きしても?」
「俺は依頼された仕事は完璧に遂行するからだ。
貴様をここで殺した後、木下 刹那、ならびに佐々木 玲菜の居場所を探りあて、そして抹殺する。
貴様は清十郎氏を殺す前に、俺に殺される」
「なるほど。・・・ですが」
持っていた銃を今度は『相良』に向け、そして言い放つ。
「私も抵抗はさせていただきます。ここで大人しく死ぬことなどできませんので」
言い終わった後すぐさま引き金を引く。
自分のほうに放たれた弾丸を、『相良』は当然のように剣を振るい粉々に砕く。
その一瞬の隙を見逃さず、シリスは窓のほうへと踏み出し、そのままガラスを突き破って外に出て、待ち伏せる。
中から『相良』が出てくる。
瞬間、シリスは『相良』に急接近して銃口を仮面にくっつけ、
「・・・・・」
そのまま弾丸を放った。
もう少しだけ「殺し屋」よろしくお願いします!