第138話 シリスの決意
全身血まみれで、瀕死の状態で幸一が帰ってきたのは、刹那たちがA・B・K社に到着してから間もなくのことだった。
幸一が血まみれになっているのを見たシリスは、大声を上げて幸一の近くに寄った。
「社長!! お怪我を!!」
「・・・す、まねぇ。仕留め、損な、った」
途切れ途切れにそう言った幸一は、そのまま無様に床に倒れこんだ。
その幸一のそばに、シリスが慌てて駆け寄る。
「社長!! お気を確かに!!」
そう叫ぶようにして声をかけるが、幸一は顔を苦痛に歪めたまま、血がどくどくと流れてくる腹部を手で押さえていた。
・・・幸一だって殺し屋だ。
社長という肩書は伊達ではなく、さあすがにシリスに劣るとは言え、そこら辺の殺し屋に劣るような実力ではない。
その幸一が、この様だ。
体のあちこちに切り傷がついていて、もう死ぬ寸前。
・・・一体、黒羽家で何があったのだろうか?
何が幸一をここまで痛めつけたのか?
「・・・・・」
それを聞きだそうとして・・・シリスは冷静に考える。
今はそれどころではない。
医療班に頼み、闇医師にかからなければ間違いなく死ぬ。
聞きだすのは・・・・報復するのは後でいい。
とにかく、今は迅速に動かなければ。
「社長、少々お待ちを!」
すぐさまシリスは立ち上がり、添えつけてある電話の受話器を取る。
『開発部』と下に書かれているボタンを押し、そしてコールする。
・・・一般の社員もいる中、殺し屋専属である『医療班』の名は出すべきではない。
そう判断したシリスの配慮で、医療班は開発部と合併することにより、一部の人間・・・すなわちA・B・K社の殺し屋にしかわからないようになっている。
そのため、相手のほうは仕事に追われているせいで一向に電話に出てくれない。おもちゃの仕事ももちろん大事だが、今はそれどころではない。社長である幸一の命がかかっているのだ。
・・・もどかしい。早く出てくれないと、手遅れになってしまうかもしれない。
苛立ち始め、あまりの力に握っていた受話器にひびが入りかけた瞬間、コールが止んだ。
「はい、こちら開発部」
「シリスです。医療班をお願いします」
「了解しました。場所は?」
「社長室です。大けがですので、そのまま闇医師の元へ運んでください」
「わかりました。すぐ参ります」
了解の返事を受け取ったあとシリスは受話器を置き、弱々しい呼吸をしている幸一のもとに寄り手を握った。
「社長、もうじき医療班が来ますから!」
「シ、りす、よく聞け。もうすぐ・・・黒羽家、の、殺し屋・・・が、来る。刹那と、玲菜、を・・・守って、くれ・・・」
「承知しました。大丈夫です、あの子たちは絶対に守ってみせます。安心してください」
「・・・『相良』が、いる」
「『相良』? 黒羽家に・・・いたのですか!?」
それで全て合点がいった。黒羽家の殺し屋のレベルは決して低くはない。それでも幸一がここまで深手を負うなどおかしいとは思ったが、まさか『相良』が絡んでいたとは。
だが、幸一に大怪我を負わせたのが『相良』だとすれば、幸一は死んでいなければおかしい。今まで『相良』から逃げきれたものはいない。皆殺されている。
ならば、なぜ幸一は生き延びたのか。・・・簡単だ。わざと逃がしたのだ。幸一にこれから起こることを伝言させようと、黒羽がそう仕向けたに違いない。
「・・・俺の、デスクの・・・引き出しに・・・・」
苦し紛れに、幸一はそう言った。だが、それは最後まで言い終えることはなく、幸一は気を失った。
「社長? 社長!?」
呼びかけても、幸一は何の反応を示さない。
頬を叩いても、手を握っても、幸一は目も開けず、返事もしなかった。
一瞬だけ嫌な予感が頭をよぎり、取り乱しそうになった瞬間、社長室のドアが勢いよく開いた。
「医療班、到着しました」
4、5人の班員が到着した。電話してからほんの20秒たらず。
仕事に追われていた割には、迅速な行動だった。
「こっちです! 社長です!」
「しゃ、社長!? まずい、早く運べ!」
幸一の容態がよっぽどだったのか、医療班は慌てて幸一を抱き起こすとそのまま社長室を出て行った。・・・後は、任せるしかない。自分にはやるべきことがある。
幸一が気絶する間際に言った言葉。『自分のデスクの机の中』。そこに、きっと何か役に立つ物があるに違いない。
シリスは立ち上がり、幸一のデスクに駆け寄る。引き出しを開け、そして見つけた。
幸一がどうしてもシリスに見つけてほしかったもの。それは、たった1枚の紙切れだった。
「・・・地下シェルター?」
1枚の紙切れには、地下シェルターの詳細が記されていた。
どうやらそのシェルターは幸一が独自で作ったものらしく、このビルの地下に存在しているものらしい。
その存在は幸一と製作者(故人)しか知らず、シリスもこのことは一切知らされていなかった。・・・大方、知られたら怒られるだろうと思って黙っていたのだろう。
しかし、それならかえって好都合だ。存在が知られていないということは、黒羽の人間だって知っているはずがない。そこに刹那と玲菜を隠しておけば、シェルターを知られでもしない限りもうあいつらは2人を傷つけることができない。
あとは降りかかってくる火の粉を振り払うだけ。刹那と玲菜を殺そうとしている愚か者を全て屠れば解決する。
・・・問題は、『相良』だ。今まで流れてきた数々の噂が本当だとすれば、まともに戦ってはまず勝てない。だって、『最強』なのだから。最も強い殺し屋に、普通の殺し屋が勝てる道理がどこにある?
ならばどうする? どうやって『相良』を止める? 止めなければ、刹那と玲菜の命はない。
「・・・・・」
殺し屋には2種類いる。
1つは他人に依頼された人物を殺害する最もシンプルな殺し屋。仕事を遂行した後は依頼人との縁も切れ、また新しい依頼人から仕事を受けるというタイプ。
もう1つが個人の元に雇われ、上の命令のもとに護衛から殺人まで行うオールラウンドの殺し屋。A・B・K社と、黒羽家の殺し屋がこれに当たる。
前者は、前払いで料金が支払われる場合が多いため、例えターゲットが感づいて依頼人を消したとしても、殺し屋としてはすでに料金を受け取っているわけだから、依頼をそのまま実行する場合が多い。
もちろん、そのまま料金だけ貰って仕事を放棄する殺し屋も存在する。依頼人はすでに死んでいるのだから、もはや殺す意味がないと考える殺し屋だ。・・・もっとも、めんどくさいからと言ってのけるろくでもない奴もいるのだが。
後者は定期的に資金を支払われるから働くわけであり、資金を払わなければ仕事をする必要性がなくなる。つまり、雇っている人間を消せば、よほど依頼者に心酔して仇討でも考えない限り、依頼もその時点でストップすると考えていい。
つまり、だ。『相良』と直接闘わなくても、その雇い主である清十郎を殺してしまえば、『相良』を止めることができる。
それに関して挙がる問題は、『相良』が清十郎を殺した後に仇討に来ないかどうか、だ。
それは実際にやってみないとわからない。『相良』が多額の金額を積まれて雇われたのか、それとも清十郎という人間に尊敬の念を抱いて自ら下についたのか、現状ではそれらを判断することができないからだ。
だが、雇い主である清十郎を殺すという案は、実際に『相良』を撃破するするという案よりは可能性がある。やってみなければ刹那と玲菜は助けられない。ならば、これに賭けるしかないだろう。
「・・・よし」
意気込み、シリスは刹那たちが待っている応接間へと向かった。
もう少しだけ「殺し屋」よろしくお願いします!