第137話 黒幕
「こちらになります」
老執事が案内した先は、清十郎が待ち受けているであろう部屋の扉の前。
荘厳な飾り付けが施されているそのドアは持ち主の厳格さを表しているかのようでもあり、また存在の大きさを示しているようでもあった。
・・・この先に、いる。刹那の祖父、そして黒羽家の当主である清十郎が。
刹那を狙った理由。まずはそれを聞きださなければならない。もしその理由がくだらないものであったのなら、生かしてはおけない。自分たちに無益な殺しをさせようとした報いだ。間髪入れず、隠し持っていたもう1つの銃で撃ち殺す。
心に静かな怒りを灯しながら、幸一はドアを2度叩く。
「失礼致します」
そう言って部屋の中に入る。
・・・豪華絢爛の言葉が相応しかった。敷かれている絨毯も、窓辺のカーテンも、机も椅子も置き物も、どれもが一目見ただけで高額だとわかるほどのものばかりだった。
そして、そいつは居た。
黒羽 清十郎が。
老いてはいるものの、それを感じさせない圧迫感があり、それは数々の死線に立ってきた幸一でも思わず尻ごみしてしまうものだった。
目にはどす黒いものが渦巻いており、澄んだ瞳を持っていた刹那とはどうやっても似つかない。
そして、娘である早苗とも似ていなかった。本当に血が繋がっているのかと疑いたくなるくらいに。
「・・・玩具屋の社長が何の用だ?」
手を組んだまま、不意に清十郎が口を開く。
「私のことをご存じでしたか」
「・・・日本一の業績を持つ企業の社長だ。顔くらいわかっておるわ」
「なるほど」
「それで、どういうわけでここへ来た? 企業合併の話なら喜んで受けるつもりだが?」
「・・・生憎ですが、今日はおもちゃ屋の社長としてここへ来たわけではありません」
「ほう・・・なら何の用で来たのだ?」
「殺し屋企業A・B・K社総責任者、佐々木 幸一として、今日は確認したいことがあって訪問させていただきました」
言った途端、清十郎の表情が少し変わった。驚愕とまではいかずとも、多少の驚きを含んだ表情だった。
この表情を見て、幸一は確信した。やはり、刹那の情報を改ざんした原因はこいつだ、と。
肉親が本当にそんなことをするのかという迷うが、今完全に消えた。
「身に覚えがありますね?」
念のため、そう尋ねる。
「・・・どこからそのことを?」
「あなたが圧力をかけた、ひいきにさせてもらっている情報屋からですよ。しらばっくれていましたが、証拠を出したらあっさりと口を割ってくれましたよ。それで、どうなのですか?」
「確かに奴の・・・刹那の情報を改ざんさせたのは、この儂だ」
隠すこともなく、そっけなく言ってのけた。隠し通すつもりだと踏んでいた幸一にしてみれば、意外な行動だった。
「理由をお聞きしてよろしいですか?」
最重要事項である動機。いくら考えてもわからず、本人に聞くしか知る術ない事。
最悪、口を割ってくれなくても構わない。罪のない人を殺させようとしたのだから、清十郎を殺すことには何の問題はない。以前から行ってきた、汚い政治家を葬ることと何の変わりないのだから。
喋るか否か。どっちつかずの間が空いたあと、清十郎はふと口を開いた。
「・・・我が黒羽家は、何十年何百年と前から栄えてきた大富豪だ」
ようやく真相を聞けると思いきや、遠回りな話から始めてしまう。幸一にしてみれば、そんなことはどうでもいい。単刀直入に話を聞かせてもらい、そして全てを知りたいのだ。
「・・・・・っ」
そんなことはいいから早く動機を話してくれ! と叫びたい。怒鳴り散らして、そして話してもらいたい。
しかし、そんなことをしては逆に真実から遠退いてしまうかもしれない。激昂することで、話すのを途中で止めるという可能性も完全には捨てきれないからだ。
高ぶった感情を抑え込み、冷静になる。・・・ここで大人しく聞けば、おのずと真実に辿りつける。多少回りくどいがそこは我慢だ。
心の中の動きを表情に出さず、幸一は作った微笑を浮かべながら清十郎の話を聞く。
「栄えるものもいつか滅びる。そんな言葉があるのにも関わらず、我が黒羽家は発展をしつづけた。なぜだかわかるかね?」
「・・・いえ」
「優れたものを頭首としてきたからだ。悪いものは捨て、良きものだけを選ぶ。それが例え血の繋がっておらぬものでも構いはせぬ。『良き才能』と『血筋』こそ、我々のすべてだからだ。そう、早苗のようにな」
早苗のように。その言葉が意味することは、たった1つしかない。
「・・・貴方と早苗さんは、血は繋がっていないのですか?」
「いかにもだ。早苗は儂を実の父と思っていたようだが、違う。才のある人間の赤子を奪い取り、我が娘としたのが早苗だ」
通りで、と幸一は思った。清十郎の堅苦しくて、重い雰囲気と、早苗の優しくて包み込んでくれるような温かい雰囲気。そして容姿から何まで、似ているところなど存在しない。血が繋がっていないのであれば、それも納得できる。
「早苗は儂が見込んだ通り、天才だった。ありとあらゆる知識を詰め込み、そして振るってみせた。この儂をも超える才能を持っていた。
だが、早苗は愚物が蔓延った世界が大層気に入っていたようだった。一流の学校を嫌い、凡人たちが集うろくでもない学校へ勝手に進学したのだからな」
「・・・・・」
「それくらいならまだいい。学校で学ばずとも、ここで学ばせればよいのだからな。短い時間でも、早苗は物事をすぐさま吸収できる才があった。だから、そのまま俗世にて過ごすことを許可した。学業の妨げにならなければいいのだからな。・・・だが、愚物どもと過ごしている間に、どうしても許せんことがあった」
「・・・それは?」
「何の才のない愚物の子を宿したことだ。挙句、その愚物の子を産むとまでほざきおった。黒羽家の頭首にするつもりだっただけに、儂の怒りは計り知れないものだった。
わかるか? 手塩にかけて育てた我が作品を、低俗な世界に住んでいる愚物如きに台無しにされたこの気持ちが? ・・・わかるまい。わかるわけがあるまい」
低俗な愚物。
作品。
親友の侮辱。
非人間としての扱い、言動。
幸一は、心の奥底から徐々に湧き出てくるどす黒いものを、必死で押さえこんでいた。
もちろん、表情を変えず、作った微笑のまま。
「壊れた作品などもはやいらぬ。この世に存在する必要などありはしない。いくら愚かとはいえ、黒羽家の者である早苗を俗世に放すことは我が矜持が許せぬ。儂は命じた。早苗を亡き者にしろとな」
「・・・ちょっと待ってください。早苗さんは事故で死んだはずですが?」
「愚か者め、まだわからぬか。早苗を轢いたトラックは、我が黒羽家の配下にある小さな小さな運送業のものだ。
そこの社長に、一家全員路頭に迷ってもよいのかと一言言ったら、顔を青くして引き受けおったわ。
・・・もっとも、殺したのはその息子だと聞いていたがな。一度、やってみたかったらしくての」
やってみたかった。
それは経験してみたいという、人間としては当たり前の衝動。
その衝動に、本来善悪はない。それをやればどうなるのだろうという、純粋な探究心があるだけだ。
だが、人を殺すことを経験したいというのは、純粋な探究心だけなのか?
何の罪もない人を殺めたいと思う気持ちが、本当に探究心だというのか?
・・・違う。そんなもの存在しない。あるのは完全な悪意だけだ。
この男は、その悪意を利用して早苗を殺させたのだ。
幸せの絶頂だった木下家を、一瞬して崩壊させたのだ。
・・・こんなこと、許されるはずがない。
許していいわけが、ない。
「・・・殺そうと思えばすぐに殺せたはずです。それなのに、なぜ刹那君が生まれてから実行したのですか?」
「儂は優しいのでな。家族全員が揃い、幸せの絶頂の時に殺してやろうと思ったのだ。そのほうがいいだろう? 1人で寂しく死ぬより、全員で死ぬほうが幸せだろう?
・・・まぁ、結果早苗1人だけ死ぬことになったがな。哀れなものよ」
「・・・つまり、あなたが早苗さんを殺害するのを、赤の他人に強要したというわけですね?」
「いかにもだ。本当ならば我が専属の殺し屋に依頼すべきだったのだがな、凡人が人を殺した罪に苦しみ、のたうち回る様を見たかったのだ。
その点だけに関しては、その運送業の社長は素晴らしかった。間接的とはいえ、人を殺した罪に散々苦しんだ挙句、それに耐えれず自殺しよったのだからな。
素晴らしく滑稽で、惨めな最期であった。おかげでずいぶんと楽しむことができたわ」
何という・・・何という男だろう。
人が苦しむ様を見て、この男は楽しめたと言っている。
人を殺させてしまった。私怨も何もない無関係な人を、殺させてしまった。
罪の重さ、やったことの後悔、そして望まずして手に入れてしまった命の重さ。
それに耐えかねて自らの命を絶った人を、こいつは滑稽だと、楽しいと、そう言っている。
・・・狂っている。もはや目の前にいるこの男は、自分たちと同じ神経の持ち主ではない。あるべきはずの思考が、完全に欠如している。
一体、何がどうなればここまで外道になれるのだろうか。
「・・・早苗さん一家の殺害に失敗した後は?」
「早苗の夫と子供に専属の殺し屋を向かわせた。さすがにこれ以上素人に任せてしくじるわけにもいかなかったのでな。・・・だが、そこで誤算が生じた。
その頃になって、ちょうど良く貴様の会社が殺し屋のしての機能を持ち始めたのだ。バックにはもちろん貴様らがつき、そして守った。
下手に手を出せば、こちらもただでは済まぬ。殺し屋の質はそちらのほうが上だったからな」
「・・・最後です。なぜ刹那君を私たちA・B・K社に抹殺させようとしたのですか?」
「言っただろう、貴様らがバックについていて手が出せなかったと。ならば、わざわざ無理をせずとも、貴様らに消してもらえばいいと考えたのだ。
情報を改ざんさせ、奴を殺すように仕向ければすぐさま消してくれるものだと思っていたのだが・・・貴様らは偽りの情報に気がつき、そしてここまで来た。
予想外だったが、問題はない。つい先ほど、木下家に専属の殺し屋を向かわせたからな」
「・・・ほう? 今まで我々を恐れていたというのに、ずいぶん強気ではありませんか」
挑発するように、幸一がそう言い放った。
それに応えるように、清十郎は口元を禍々しく歪める。今までに見たことがないほど、それは吐き気がして、気分が悪くなるような笑みだった。
「素晴らしい人材を手に入れたのだ。史上で最も優秀な殺し屋機関と呼ばれたA・B・K社を相手にしても構わないほどのな。
・・・貴様も、殺し屋業を営んでおるのなら1度は聞いたことがあるだろう。
『相良』だよ。
誰にも止めることができない最強の殺し屋を、儂は手に入れたのだ。世界一の力の持ち主をな。くくくくく」
堪えられないといった風に、清十郎笑った。
『相良』
その名が殺し屋の世界に囁かれ始めてから、もう10年も前になる。
ある人はその者を世界で最も華麗だと言い、ある人はその者を世界で最も強いと言う。
出身国も、性別も、そして年齢も全てが謎。居場所だって特定できるのは稀だ。
ただ強く、依頼を失敗することは天地がひっくり返ってもありえない。
有名な殺し屋が世界中に点在する中、その頂点に君臨する化け物。
それが、『相良』だった。
清十郎は、伝説とも呼ばれるその殺し屋を手に入れたと言っている。
・・・そんなこと、誰が信じる? はったりにしか聞こえない。
そう言って、親友の息子を、娘の夫となる刹那を殺させようとした復讐を取りやめると踏んでいるのならば大間違いだ。
そして・・・親友を、早苗を間接的にとは言え殺したこの救いようのない屑を、幸一は許す気など一切ない。
「・・・もう、いいか?」
「?」
「もう、死ぬ前に言うことは、ないな?」
あったとしても、もうこれ以上聞く気はない。
怒りは頂点に達し、もはや幸一の我慢は限界をとうに超えていた。
隠し持っていたもう1つの銃を取り出し、その銃口を迷うことなく清十郎へと向ける。
「てめぇは死ぬべき人間だッ!! この世に存在するべきじゃないッ!!
てめぇみてぇなのがいるからッ!! だから俺たちの仕事はいつまで経ってもなくならねぇッ!!」
「・・・・・」
「ここでてめぇを殺すッ!! 例え刹那と明と早苗が許してもッ!! 俺は絶対に許さないッ!!!」
「・・・なら撃ってみるがいい」
「あぁッ!?」
「撃ってみるがいい。それで、全て済むと思っているのならな」
挑発的な清十郎の言葉。
それが、ただでさえ昂っている幸一の怒りに油を注ぐ結果となる。
「なら死ねッ!!」
幸一は人差し指にかかっている引き金を迷うことなく引く。
何度も味わった衝撃が腕に伝わって、1発の弾丸が清十郎の額目がけて発射されたのを、幸一は視認した。
それなのに清十郎は、
笑ったままだった。
これからも「殺し屋」よろしくお願いします!