第135話 判明
子供が『未来』という名に決定してから1ヶ月。刹那はあれからも汗水を垂らして働いていた。
誰よりも早く仕事場に行き、そして誰よりも遅く仕事場を出る。肉体的にも精神的にもかなりの負担がかかったが、玲菜と未来のことを思えば何でもなかった。
最初こそ会社では、最近の若いやつは、と陰で色々言われていたが、並大抵ではない仕事ぶりと熱意が通じたのか、今や一目置かれる存在になっていた。もう誰もが認める、立派な社会人だった。
くたくたになって帰宅し、そして玲菜と色々なことを話す。その時間が、刹那の娯楽だった。楽しい時間だった。
そうしてサイクルを繰り返していく。たぶん、未来が生まれてからもずっと。
・・・つらくなるだろうとは毛ほどにも思わなかった。だって、玲菜と未来がいるから。だから、大丈夫だと、そう思った。
―――だが、『それ』は起きる。
今までとは比にならないくらいの大事件が。
+++++
刹那は働いている。だが、毎日毎日休まず永遠と働いているわけではない。
当然のことながら休日が存在する。労働基準法に基づいている通りだ。
・・・もっとも、刹那はそれに反しないギリギリの休みで働いているわけなのだが。
そして、今日は刹那の数少ない休日の日。日頃の仕事で疲れた肉体と精神を休めるための大事な日。もちろん、玲菜と1日中過ごす貴重な日でもある。
雪も降り積もっており、外へ出ることはさすがに玲菜の体に障るため断念したが、家の中でのんびり過ごすことならできる。
そんなわけで、刹那と玲菜は居間で何でもない会話をしていた。お茶を啜り、暖かな部屋で、幸せな時間を送る。
「仕事場の内藤さんがな、とっても面白い人でさ。いつも場を和ましてくれるんだよ」
「ムードメイカーだね。そういう人ってすごいよね、なかなかいないよ、そんな人」
「あぁ。みんなから好かれてるし、すごいって思うよ。・・・ギャグのセンスはいまいちだけどな」
「あはは、やっぱり面白い人だね」
他愛ない話。それでも、玲菜と一緒に話しているだけで、幸せだと思える。
この時間が心地いい。とてもいいものだ。心から、そう思えた。
ピンポーン♪
突然聞こえるチャイムの音。せっかくの至福の時を邪魔されてしまった。・・・早く済ませてしまおう。
「俺が出てくるよ」
「あ、うん。お願いね」
すっとイスから立ち上がり、玄関先へと向かう。
サンダルを履いてドアを開ける。そこには、
「ご無沙汰しております、刹那様」
「何だ、元気そうじゃないの。やつれてるかと思ったのに」
「いきなり失礼な人ですね!」
玄関先に居たのはシリスと里奈。頭に雪が少しだけ付いているところを見ると、どうやらまた徒歩できたようだ。(もっとも、2人の速度が徒歩と言えるのかどうかは定かではないが)
2人とも、玲菜の妊娠が発覚してから会っていない。何でも、家に来れば手助けしたくなるから、だそうだった。
未来が生まれるまでは2人きりで頑張らなければならない。そのことから幸一が止めていたはずなのだが、今日は一体どうしたのだろうか? 何か用事があるとか?
「今日はどうしたんですか?」
「はい、そのことなのですが、報告をしたいと思いまして」
「報告?」
「はい、例の情報屋の件に関するものです。全てわかりましたので、今日はそれについて」
・・・急に空気が重くなったような気がした。
自分の情報を改ざんさせ、命を奪おうとした黒幕。
それがわかったと、シリスは言っている。
「・・・ま、話は中でするわ。入ってもいいわよね?」
「・・・はい」
怒り、困惑。どっちつかずの気持ちのまま、刹那はシリスと里奈を迎え入れた。
2人を居間まで連れていく。そして、その姿を見た玲菜は驚いたような表情で言った。
「シリスさん、お姉ちゃん・・・。ど、どうして?」
「あ〜、シリスさんの名前を先に呼んだ〜・・・。お姉ちゃんショック〜・・・」
「お久しぶりです、玲菜お嬢様。今日は刹那様の件でお話が」
「刹那のこと? ・・・まさか」
「はい、そのまさかです。全てわかりました」
シリスの話を聞いた玲菜は一瞬驚き、そして神妙な表情になる。
自分たちを影で操作し、不当な殺しを、刹那を殺させようとした敵。
・・・玲菜は、自己の中にふつふつと沸いてくる怒りを感じ取っていた。許せない。絶対に。
「・・・どうぞ座ってください」
「では失礼します」
「あたしも座らせてもらうわね」
「ん、じゃ俺も」
そして4人はテーブルに着く。
・・・何だか懐かしい。初めてシリスが来た時も、確かこんな感じになっていたことを思い出してしまう。
あの時は容疑者として。
でも、今は被害者として。
・・・知りたい。誰がこんなことをしたのか、誰が仕組んだのか。刹那は、シリスの口が開くのを、今か今かと待ちわびていた。
「・・・ではお話しします。まず、刹那様はご自身のお祖父様のことをご存じですか?」
祖父。つまり、明か早苗の父親のことだ。
だが、明には父親がいない。となれば、シリスの言った祖父というのはやはり早苗の父親のことだろう。
「今まで会ったことなんてないですし、どんな顔なのかもわかりません」
「それでは刹那様のお母様、早苗様の名字が『黒羽』だったということもご存じありませんね?」
「はい、全然」
「お教えします。早苗様の本家である黒羽家は・・・世界に名高い大富豪なのでございます」
「大富豪?」
「はい。富豪界の中で知らない者はいないほどの名門。早苗様はその家のお嬢様でした」
「母さんが・・・」
初めて知らされる事実。呆気に取られ、それが事実かどうかさえも疑ってしまう。
「でもシリスさん、それが刹那のことと何の関係があるんですか?」
「・・・まだわかりませんか? 刹那様の情報を改ざんし、我々に暗殺させようとしたのは、
刹那様の祖父、『黒羽 清十郎』でございます」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
肉親に殺されかけた?
顔見知りで、何かひどいことをしたのならそうなるのも頷ける。
だが、刹那は清十郎と会ったことなどない。それどころか、今の今まで名前すらわからなかったのだ。
それなのに、どうして? どうして殺されなければならない? 理由もなく、なぜ?
「刹那、大丈夫? 顔が真っ青だよ?」
「・・・だ、大丈夫。ちょっと気分が悪くなっただけ」
玲菜の声で刹那は落ち着きを取り戻し、深く深呼吸をする。
1度、2度、そして3度。それが終わると、刹那は先ほどと同じ、話を聞く真剣な表情に戻っていた。
「落ち着いたようですので、続きをお話させていただきます。私たちは犯人を突き止めることには成功いたしました。しかし、まだ肝心なことがわかっていないのです」
「肝心なこと?」
「あんたが今思ってたことよ。つまり、何で殺さなくちゃいけないか。『動機』がわかってないのよ」
「犯人はわかっておりますので、今社長が直接清十郎の元へ動機を聞きに行っております。・・・喋らなければ問答無用に殺すと申しておりました」
「・・・そうですか」
ぽつりと、刹那はそう呟いた。
肉親が殺されるかもしれない。にも関わらず、刹那の心は不思議と落ち着いていた。
だって、他人だから。血はつながっているかもしれないが、会ったこともない存在など、刹那にとっては他人同然だったから。
TVのニュースと同じだ。毎日人が死んでいるというニュースを見て、涙を流し本気で悲しんでいる人間がこの世に何人いるだろうか? おそらく、ほとんどの人は気にもかけない。『そういうことがあったんだな』で済ましてしまう。
刹那の心境も、まさしくそれと同じだった。
「本当ならば全てがわかってからご訪問するつもりでしたが、ちょっと事情がありまして今日ご報告をしにやってきたわけでございます」
「事情?」
刹那が首を傾げる。
「それはね、あたしが今日と明日非番だから」
にや〜っと何だか嫌な笑みを浮かべている里奈。
・・・いや、まさかとは思うが。
「・・・えっと、里奈さん。まさか今日、泊まりに来たんですか?」
「え!お姉ちゃん泊まるの?!」
「ピンポーン! その通り。本当はルール違反なんだろうけどね。ま、細かいことは気にしないってことで」
「・・・構いませんけど、玲菜が嫌がるようなことはあまりしないでくださいね。出産も近いんですから」
一応釘を刺しておく。
・・・まぁ、そんなことをしても、たぶん無駄なんだろうけど。
「何言ってんの、あたしがいつ玲菜ちゃんの嫌がることをしたっていうのよ」
どの口が言うんだ、そんなこと。
「・・・・・」
「あ、ひっど〜い! 玲菜ちゃん、どうしてお姉ちゃんをそんな白い目で見るの!?」
「自分の胸に訊いてみればいいじゃないですか・・・」
「うん。・・・・・わかんないや」
「あんた自分を振り返るってことをしないんですかね?!」
「あたしは常に前しか向いてないからね!」
「かっこいいこと言ってるみたいですけど、それって単にめんどくさいからしないだけですよね?!」
「うっさい黙れ!」
「結局行き着くところはそこですか!!」
「お姉ちゃん! 刹那をいじめないの!」
「はぁ〜い・・・」
たまにやってきてもいつも通りの人だった。
この人が妹離れする日はいつやってくるのだろうか?
・・・永遠に来ないような気がする。
「そういうわけです。騒がしいかと思いますが、里奈お嬢様も会社で溜息をついている日が多くなってきて・・・」
「つまりは、仕事にならないから息抜きに、と?」
「・・・申し訳ございません、その通りです。ご迷惑かもしれませんが、何卒よろしくお願い致します」
深々と頭を下げるシリス。
そんなにかしこまれても、こちらが困ってしまう。
「顔を上げてくださいよ。1日くらい何ともないですって」
「そそ、シリスさんも心配症なんだから。刹那、あんたたまにはいいこと言うわね」
「あんたには遠慮ってものがないんですかね?!」
真面目な雰囲気はどこへやら。
刹那たちはしばらく談笑をして時間を過ごしたのだった。
+++++
「広いですね」
黒いリムジンに乗っている幸一は、隣の執事にぼそっと呟いた。
「当然にございます。黒羽家先祖代々から受け継がれしこの土地、そこら辺の成金どもの敷地と一緒にされては困ります」
自慢げに老執事はそう呟いた。
黒羽家の土地が広いということは幸一の情報にも確かにあった。昔、明と共に早苗を家まで送ったときにも高い塀を一度見ていたから、中もかなり大きいであろうということは予想済みだった。
だが、これは広すぎる。大豪邸どころの騒ぎではない。入口からリムジンに乗り、10分経過してもまだ本家は見えてこない。個人がここまで土地を保有できるものなのかと、幸一は黒羽家の財力に寒気がした。
「・・・お尋ねしますが、幸一様は一体何用で清十郎様とお会いになるのでしょうか」
穏やかながらも厳格のある声で、老執事は幸一にそう訊いた。
「ええ、少しだけ確認したいことがありまして」
「懐に銃を隠して、どのような確認をするつもりですかな?」
ぴくっと幸一の眉が動く。
幸一は確かに銃を懐に入れている。だが、動きは問題なかったはずだ。何百回とやってきた銃の存在を悟らせないというその動きに、幸一は少なからず自信を持っていた。バレるわけがない、と。
「・・・いつからわかっていましたか?」
観念した幸一は、そう老執事に尋ねた。
「おやおや、的中でしたか。この爺の目も、まだまだ現役ですな」
にやっと嫌な笑みを老執事は浮かべた。
・・・嵌められたことに気がつき、幸一は心の中で舌打ちをした。
動きがどうのこうのではない。単に引っかけられただけだった。
手を出してきて、老執事は言う。
「では拝借いたしましょうか。もちろん、お帰りの際にはお返し致しますゆえ」
「・・・・・」
幸一は無言で懐に手を突っ込み、愛用の銃を取り出した。
それを残念そうに眺め、やがて老執事に手渡した。
「確かに」
「・・・身の安全の保証はしていただけるのですよね」
「貴方様の行動と言動次第にございます。・・・見えました、あれが黒羽家のお屋敷でございます」
老執事の言うとおり、とてつもなく大きな屋敷が見えてくる。リムジンを時速100kmほどで走行し、約20分のことだった。
ここに、いる。
刹那を自分たちA・B・K社に殺させようとした黒幕、『黒羽 清十郎』が。
これからも「殺し屋」よろしくお願いします!