第131話 電話越しに
電話の前に立ち、2、3回深呼吸する。
気持を落ち着けたところで、受話器を取った。
{そういえば、何回親父に電話したっけな}
幼少のころ、刹那はあまり明に連絡をしなかった。
自分を放っておいた父親に話すことなどない、という考えからだった。
どうしても連絡をせざるをならなかったときは、ずいぶん迷いボタンを押したのを覚えている。
だが、今は違う。
自分勝手な思い込みはもうなくなったのだ。
だから、迷いなんてもうなかった。
記憶している番号を打ち込み、受話器を耳に当てる。
・・・・・
『はい、明です』
「親父、俺」
『ん? 刹那か。どうした、珍しいな』
久しぶりの明の声。
何も変わらず、普通に接してくれている。
一番の理由は、君を殺したくなかったから・・・いや、違うな。君がとても大事だったからだよ
幸一の言葉が、思いだされる。
大事なもの。
明は自分を大事に思ってくれていた。
その大事なものに嫌われ続けてきた明は、どんな気持ちだったのだろう。
大切なものに恨まれ続け、1度たりとも好きと言ってもらえなかったつらさは、一体どれくらいのものなのだろう。
自分は、一体どれだけひどい仕打ちを明に与えてきたのだろう。
『? どうした?』
「いや・・・何でもない、何でもないよ」
そう答えるので、精一杯だった。
それ以上続けたら、泣き出してしまいそうだったから。
『おかしなヤツだ。それで、今日は何の用だ?』
「・・・あぁ、ちょっと、大切な話があるんだ」
こみ上げてくる熱いものを必死に押さえつけて、刹那は続けた。
「玲菜って、わかるよな?」
『・・・馬鹿にしてるのか。知ってるよ』
「うん、それで大事な話っていうのが・・・玲菜が妊娠したんだ」
『・・・は?』
素っ頓狂な声が電話越しに聞こえてくる。
こんな驚いた声、初めて聞いた。それが、おかしかった。
『いやいやいや、本当か?』
「あぁ、本当」
『えっと・・・まぁ、それで? 幸一には連絡したのか?』
「したよ、ちゃんと。産むって方針で納得してもらった」
『・・・そうか。で? お前はどうするんだ?』
「学校を辞めて働こうと思う」
『・・・そっか』
明は溜息をついて、それからは何も喋らなかった。
いきなりの出来事で、何を話せばいいのか迷っているようだった。
同じ立場になったときがないからわからないが、自分も同じような反応をするような気がした。
自分からも何も言えず、明も何も言えない。
沈黙が包み込み、何とも言えない重い雰囲気が電話越しに伝わってくる。
『・・・俺のことは、幸一に聞いたか?』
ようやく絞り出した言葉が、それだった。
「・・・全部。あと、外国に行くのにも事情があったんだってことも」
『・・・そっか。全部言われちまったか』
「・・・ごめん、今まで、勘違いしてた」
自然と零れる言葉。
別に許しが欲しいわけではなかった。今までの自分、思い、行い、それらにけじめをつけたかった。
謝ったところで、今まで勘違いしてきた時間は戻ってこない。でも、謝らなければこれから先を進んでいくのは無理だ。ずっと抱いてきた嫌悪感を引きずることになってしまうから。
『・・・俺もいきなりとは言え、お前を手放してしまった。事情云々なんて言い訳にならないと思うが、俺も謝る。今まで悪かった』
「・・・・・」
何か言いたい。
そんなことはない。俺だって悪かったんだ。親父が謝る必要なんてこれっぽっちもない。
・・・でも、言えなかった。
長い時間、親子と言える付き合いもなく、触れ合いもなく、ずっとすれ違ってばかりきた2人。それが、やっと和解できた。ちゃんと、親子になれた。
泣きたくて、でも泣けなくて、堪えるのが精いっぱいだった。
『・・・刹那、どうした』
「・・・何でもないさ」
『そうか。とにかく、話はわかった、学校には俺も連絡を入れておく』
「あぁ、ありがとう」
『・・・刹那、いいか』
明の声色が変わる。真剣な声だった。
心して、耳を傾ける。
『俺のときは時期が悪かった。幸一が居てくれなかったら、たぶんお前も、俺も死んでいた。就職の大氷河期ってやつだった。だから、それ相応の地獄を見た。・・・思い出したくないくらいのな。
今はその氷河期は過ぎ去った。俺のときよりは幾分かマシだろう。だが、それでも地獄だっていうことには変わりない。頭を下げて、今までやったことのないようなことだってうまくこなして、何回も怒鳴られないといけない。
お前だけの力で何とかしてみろ。俺は金銭的な援助しないぞ。銀行の振り込みも、事が落ち着くまでストップする。ダメだったら助けてもらえるなんて、甘い考えは捨てるんだ。そうじゃないと、新しい命を誕生させるなんてできやしない。
刹那、俺はやってみせた。お前も、やってみせろ。いいな?』
「・・・わかってる。やってみせる。幸一さんにも、同じようなこと言われた」
『そうか、ならいいんだ』
これから自分がやることはつらいことかもしれない。
でも、刹那のとなりには玲菜がいる。
玲菜さえいれば、怖いものなんてない。どんなつらいことだって、乗り越えられる。
『・・・がんばれ、刹那。俺と早苗の子なら、これくらい乗り越えてみせろ』
「あぁ、乗り越えてみせる」
『・・・じゃあな。体、大事にしろよ』
それを最後に、電話は切れた。
受話器を置き、刹那は自分の目の前で拳を握る。
自分の決意を表すかの様に、力強く。
これからも「殺し屋」よろしくお願いします!