第124話 過去編13 〜姉妹
あの人との出会いは、夕日の眩しい公園だった。
あたしと玲菜は、公園のベンチに寄り添うように座っていた。公園には時間が時間なのか、人が全くいなくて、世界中にあたしと玲菜の2人だけなんじゃないのかな、って思うくらい、そこは人気がなかった。
日が沈んできて、急に寒くなったのを思い出す。玲菜も、膝のところで拳を握って寒さに耐える素振りを見せていた。あたしは無意識のうちに玲菜の手を握っていた。少しでも自分の体温を分けて上げられれば、と思って。
「・・・おなか空いたね、お姉ちゃん」
「そうだね、玲菜ちゃん」
もう、あたしたちの体力も限界だった。もう3日も何も食べていない。柔らかい布団も風を凌ぐ家もないから、睡眠だって満足に取れなかった。
このままいけば、あたしたちは死ぬんだな、って思った。でも、怖くなんてなかった。死ぬっていうのは怖いことのはずなのに、どうしても怖いって思えなかった。
それは、あたしが『死』というものをうまく理解できていなかったせいかもしれないし、玲菜がいれば死ぬことなんて怖くない、って思ってたからかもしれない。
今夜はどこで夜を過ごそうかな。そう考えていたとき、あの人が現れたんだ。
「お前らこんなとこで何やってんだ? 両親の人はどうした?」
「・・・お兄ちゃん、誰?」
「俺か? 俺はな、社長だ!」
腰に手を当て、胸を張って威張るその男は、何だか少し間抜けに見えた。
「・・・あたしたちね、捨てられちゃったの」
「? 親にか?」
「うん」
あたしたちが捨てられた、ということを理解したのだろうか。その男は驚いた表情をしていた。
と、いきなり男はポッケに手を突っ込んで小さなおもちゃを取り出した。黄色くて小さい、あひるのおもちゃだ。
「ほら、これやるから元気出せ」
「・・・いらない」
「私もいらない」
「ぐっはぁああああああ!!! 俺の自信作のあひるちゃんが!!」
・・・何なのだろう、この男は。あたし達にちょっかいを出して楽しいのだろうか。いや、普通だったら自分達に関わろうともしないはずだ。関われば、絶対めんどうなことになるのは目に見えているからだ。
でも、そんなことお構いなしにこの男は話しかけてきたり、変なあひるのおもちゃをくれようとする。意味がわからない。何だってそんなことをするのだろう。
男は悲しそうにあひるのおもちゃをポッケにしまって、あたし達の目線に合わせるようにしゃがみこんだ。
「お前ら、親がいない、って言ってたよな」
「うん。いないよ。あたし達2人だけ」
「そんなら、俺ん家に来い。今日から、お前らは俺の娘だ」
「・・・は?」
いきなりすぎて、理解できなかった。今、この男はなんと言った? あたし達が、今日からこの男の子供・・・?
「ちょ、ちょっと待ってよ! 何であんたがそんな・・・」
「だってよ、お前ら親いねぇんだろ? しかも、毎日寒い夜に外で野宿してるなんて、危なっかしいだろうが」
この男は、知っていたのだ。ずっと前から、あたし達には帰るところがない、ということを。
でも、どうしてこの男はあたし達を助けようとするのだろうか? あたし達には能力も才能も何もない。引き取っても、何のメリットもない。なのに、どうしてなのだろう。
その男は、あたしの考えがわかったのか、にやっと笑って言った。
「俺はな、おもちゃ屋の社長なんだ。俺が何でおもちゃ屋の社長になったか、わかるか?」
「・・・・・」
「最初はな、親友のためだったんだ。親友にな、子供ができてよ。その子供のために、な。
でも、今は違う。今はその子供のためにじゃない。世界の子供のためにだ。俺はな、世界の子供たちを笑顔にするために、おもちゃ屋の社長になったんだ。だから、目の前で泣きそうな顔して途方に暮れてる子供を、俺は見捨てるわけにゃいかねぇんだよ」
「・・・世界中には、あたし達よりもずっとつらい思いをしてる子がいるんだよ? そんな子供が、まだまだいるんだよ?」
「わかってる。だから、俺は可能な限りやるんだ。自分のできる範囲内で、でも精一杯に。だがな、俺は今に世界中の子供たちに笑顔を届けてみせるぜ! いつになるかわからないがきっとだ!」
・・・何の根拠があって、この男はこんなことを言うのだろうか。世界中の子供に笑顔を届けてみせる? 無理に決まってる。戦争で親を亡くした子供、実の親に虐待されている子供、いじめられている子供。そんな子供が、この世界に何百人、いや、何千人いるのだろう。その子供たち全てに笑顔を届けるなんて、絶対無理だ。
でも、でもどうしてだろう。この男の自信に満ちた表情を見てると、それが叶うような気がする。絶対に、叶えてくれるような気がする。
「・・・いいの? あたし達、女の子だから手間かかるよ?」
「安心しろ、社員にゃ女のやつだっている。知識だったらそいつらから教えてもらうさ」
「いっぱい食べるよ? 欲張りだよ?」
「おぉ、構わないさ。俺の娘だからな、わがまま言ってくれて結構だ」
こんな言葉、初めてかけられた。優しい、温かい言葉。思わず、涙があふれてきてしまって、それがもう、止まらなくて、止まらなくて、嬉しくて・・・。
「う・・・うぅ・・・ひっく・・・・」
「お姉ちゃん、よかったね」
「おらおら、泣くなよ。じゃ、名前を教えてもらおうか、俺の娘達」
「あ、あたし・・・ひっく、里奈・・・」
「私は玲菜」
「そっか。里奈と玲菜か。俺は佐藤 幸一。今日からお父さん、って呼べよ? なぁ娘達!!」
夕日は、今最も輝き始めていた。
+++++
佐藤 幸一・・・お父さんの経営しているおもちゃ会社の裏の顔を知ったのは、ひょんなことがきっかけだった。
冬の寒い夜。玲菜がトイレは1人じゃ怖いと言ったので、あたしがついていってあげた。・・・まったく、怖い怖いって幽霊が出るわけじゃないんだから。でも、そんな玲菜が可愛い・・・。
玲菜がトイレに入っている間、隣の部屋の戸が開いていて、そこから光が漏れていた。誰かが、まだ起きているのだろうか? そっと中をのぞいてみる。そこには、お父さんと秘書のシリスさんがいた。
2人はなにやら紙を見つめて深刻そうな顔をしている。・・・一体どうしたのだろうか? 経営のほうが危なくなってきているのだろうか?
「・・・社長」
「わかってる。足りない、な」
「はい。しかし、これ以上は増やすことができません」
「それもわかってる。・・・どうすればいいんだろうな。このままあのゲスに好き放題させておくわけにもいかねぇしな」
「ですが、今在社している殺し屋はもう私と社長しかおりません。仮に私が出て行ったとしても、所詮それはその場凌ぎ。殺し屋の人数問題が解決するわけではありません。せめて、あと2人いれば補うことができるのですが・・・」
殺し屋!? あたしは信じられないことを耳にしていた。この会社は、一体何をしているのだろうか? 少なくとも、おもちゃを作っているだけの平凡な会社ではない、ということだけはわかった。
その考えが頭に浮かんだと同時に体が勝手に動いていて、その部屋に足を踏み入れていた。・・・どうしてそんなことをしたのかわからない。ただ、体が勝手に動いた。
「お、里奈じゃねぇか」
「社長、娘さん達の前では言葉遣いを改めるよう言っていたはずですが?」
「・・・り、里奈ちゃん。どうしたの?」
・・・シリスさんはお父さんの荒っぽい口調も直してしまいたいようだった。とにかく性格のほうも丸くしたいらしく、口調が荒っぽい感じに戻るたびに言って聞かせている。
まぁ、今はそんなことどうでもいい。問題は、さっきのことだ。
「お父さん、殺し屋って、何?」
「・・・・・お、お芝居の練習だよ。ね? シリスちゃん?」
「そ、そうですよお嬢様。今度みんなの前で披露しようと秘密の特訓を・・・」
「あれ? お父さんにシリスさん、こんな遅くに何やってるの?」
トイレが終わったのか、玲菜が部屋の光に惹かれてやってきた。・・・眠いのだろうか、目をこすっている。
あたしは、玲菜がいるのにも構わず話しを続けた。
「お父さん、この会社・・・ただのおもちゃ会社じゃないんでしょ?」
「え? お姉ちゃん、どういうこと?」
玲菜が尋ねてきたことに、あたしは答えなかった。ただ、お父さんととシリスさんの返事を待った。
「お芝居だよお芝居。今度みんなに見せてびっくりさせようって話なんだよ。ね? シリスちゃん?」
「そうですよ、お嬢様たち。後で見せてあげますから、寝室に戻ってください。明日は学校です。 早く寝ないと、明日がつらいですよ?」
あくまで白を切るつもりらしかった。・・・そのとぼけ様が、何だか悲しかった。自分は、蚊帳の外なんだって思えてきて、悲しかった。
「お父さん。あたし、お父さんの子供だよね?」
お父さんは疑問符を浮かべながら、こくり、と頷いた。それを確認して、あたしは先を続けた。
「でも、血は繋がってないよね? あたし達が捨てられていたから、お父さんが拾ってくれた。そのことはとっても感謝してるし、学校にも行かせてもらえた。何でも世話をしてくれて、ありがとう、お父さん」
「あはは、照れちゃうな」
「・・・社長、話の途中です。最後までしっかり聞いてください」
「だから、あたしはね、お父さんのために何かしたいの。それは、たぶん玲菜も同じだと思う。面倒見てもらって、あたし達は何もお父さんに返せてない。大きな恩を受けておきながら、何1つ恩返しできてない」
お父さんは、笑ってあたし達に言った。
「僕はね、君たちがすくすく育ってくれるだけでいいと思ってる。それが恩返しだよ」
「それは、お父さんだけの満足でしょ? あたし達はそれで満足なんてしない。お父さんのために働きたいの。だから、本当のこと話して。それで、あたし達に力になれることなら・・・」
「里奈」
お父さんの真剣な声に、あたしの言葉は途中で途切れてしまった。今まで見たことのない、真剣な表情をしていた。
「いいか? 世の中には知らなくていいことがある。それがさっき話してたことだ。お前らは知らなくていいんだ。知らないほうが幸せっていうヤツだ。お前らは、まっとうな人間として生きていけ。この会社の裏の顔には絶対関わるな。いいな?」
「で、でも・・・・」
「いいな?」
お父さんの真剣な言葉に、あたしはもう何も言い返せなかった。言い返しても、意味がないということは明白だった。だから、あたしはもう、何も言わなかった。
「お父さん、「殺し屋」って、がんばれば私達にもなれるのかな?」
今まで口を開かなかった玲菜が、里奈の一番言いたかったことを言った。
お父さんは慌てていた。・・・当然だ、今まで知らないものだと思っていたのだから。
「れ、玲菜・・・。お前、どこでそれを聞いた?」
「私は前々から知ってたよ。オフィスのほうの隠し部屋を見つけて、中に入って見たら武器とターゲットの情報がいっぱい。テレビで失踪した、って言ってた人も情報の中にあったから、それで全部わかっちゃった」
・・・お父さんは、もう誤魔化せないでいた。何も言わないで俯いていた。たぶん、娘にこの会社の裏の顔を知られてしまったというショックを受けているのだろう。それも、あたしみたいに曖昧な推測ではなく、「殺し屋を営んでいる」と、はっきりとした形で言われてしまったのだから。
玲菜は、そんなことを構わないで続ける。
「私も、お姉ちゃんと同じ。お父さんに感謝してる。だから、恩返しがしたいの。それが汚いことでも構わない。それくらいしないと、今までずっと迷惑をかけてきたお父さんに恩返しなんてできない。どんなにつらいことでもちゃんとする。我慢だってする。訓練でも何でもお姉ちゃんと2人で頑張ってみせる。だから、お父さん・・・私達を、殺し屋にして」
お父さんは、もう何も言わなかった。いや、言えなかった、のほうが正しいのかもしれない。娘にここまで役に立ちたい、と言われた、でもそんなことをさせるわけにはいかない。どうすればいいのだろうか? ・・・お父さんの顔を見れば、そんな考えが簡単に伝わってきた。
しばらく、沈黙が辺りを包み込んだ。沈黙と同時に緊張感も辺りを支配した。これから、どうなるのだろうか・・・?
その沈黙を破って口火を切ったのが・・・シリスさんだった。
「わかりました、2人を一流の殺し屋にしてみせましょう。ただし、明日から学校は辞めていただきますし、今までの生活のリズムも狂うでしょう。痛みに体が悲鳴を上げるかもしれません。死ぬようなことがあるかもしれません。・・・それらは覚悟しておいてください。いいですね?」
「シ、シリス!! お前、何てこと・・・」
「社長こそ、お分かりですか? この2人が、どれだけ貴方の恩を感じてきて生活していたのか。どれだけ貴方の役に立ちたい、と思っていたのか。・・・こうなることを、この2人は望んでいたのです。貴方のために働く、ということを」
「・・・・・・」
「・・・大丈夫です。この子達なら、大丈夫。貴方の娘なのですから、きっと乗り越えられますよ」
話は決まったようだった。あたしと玲菜は、シリスさんのおかげでお父さんに恩を返すチャンスを得たのだった。
・・・あたしと玲菜の「殺し屋」になるための特訓は、これから始まる。
つらいかもしれない、厳しいかもしれない、ひょっとしたらもう駄目だって思うときもあるかもしれない。
でも、それでも、あたし達は乗り越えてみせる。絶対、絶対・・・。
過去編終了です。
これからも「殺し屋」よろしくお願いします!