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第119話 過去編8 〜永眠

明は・・・・・希望を失った。明が医師から聞かされたことは・・・・・あまりにも残酷なことだった。


もし、この世に神様がいるのなら、呪った。心の底から呪った。


どうして・・・・・こんなことをするのか、と。俺たちが一体何をしたのか、と。







*****







『―――もう、手遅れです。手術しても、もう助かりません』


『・・・・・な、なんで・・・・・』


『幸い、まだ意識はあります。・・・・・最後を、看取ってあげてください』


そういう・・・・ことだったのか。早苗の体にはまだメスが入れられていない。血が出るはずの体を、切ろうともしなかったんだ。助けようと・・・・・しなかったんだ。だから、この医師の白衣には血がついていなかったんだ。


この医者は・・・・・早苗を助けるよりも、俺に看取ってもらうことを選びやがったんだ!! 命を、早苗の命を救うことを諦めやがったんだ!!!


明は医師の胸倉を掴むと、そのまま壁に叩きつけ、叫んだ。


『おいッ!! ふざけんなよッ!! あんた医者だろ?! 人の命を助ける医者だろ?! 例え助かる可能性が1%でも、諦めずに命を救おうとするのが医者じゃないのかよ?! それなのに―――』







『私だって助けたい!!!』






『!?・・・・・あんた・・・・・』


医師の胸倉を掴む明の力が弱まった。いや、驚きのあまり弱めざるを得なかったのだ。

医師は・・・・・泣いていた。涙を流して、震える声で叫んだ。


『私だって助けたい!! 諦めたくない!! 人の命を諦めることなんてしたくない!! ですが・・・・・もう間に合わないんです!! 内臓の大半が損傷!! 内部で大量出血!! 脊髄の損傷!! 全身骨折!! もう・・・・・手の施しようがないんです!! 意識があるのが不思議なくらいなんです!!』


だらり、と、医師の胸倉を掴んでいた明の手がだらしなく垂れ下がった。そのまま、地面にぺたんと座り込んでしまった。


今、明の心は絶望によって塗り潰されていた。早苗は、絶対に助からない状況の中、意識を保ったままで手術台の上にいる。


自分は、今からその早苗に会い、最後を見届けなくてはならない。・・・・・そう、見ていられないくらいボロボロに傷つき、最愛の人が血まみれになっている姿を・・・・・見なくてはならない。


明は・・・・・なぜ自分がこんな目に合わなくてはならないのかわからなかった。自分の人生における最も幸せな時間を歩んでいくはずだったのに、温かい家庭に囲まれてずっと暮らしていくはずだったのに、それが全部台無しになってしまった。まさに、天国から地獄に叩き落とされた気分だった。


その挙句、傷ついた早苗の最後を看取れ、という。・・・ここまで酷い仕打ちなど、聞いたことがなかった。最愛の人が傷ついた姿を目に入れなくてはならない、その人が死ぬ瞬間を頭に焼き付けなくてはならない。あんまりだ、今まで身近にいた人の死の瞬間を見るなんて・・・。


明は立ち上がり、その足で手術室に入っていった。・・・絶望を心の中に宿しながら。







*****







早苗は・・・・・手術台の上で目を瞑って横になっていた。体は白い布で覆われており、首から下の部分は見えなくなっていた。・・・・・よかった。これで早苗の体にできた惨たらしい傷を見なくて済む。


明は、ゆっくりゆっくりと早苗の近くまで寄っていった。その足取りは、死刑囚が死刑台に歩いていくような、重い重いものだった。


早苗は、明がすぐ近くまで来たというのに、目を開けなかった。その瞬間、嫌な予感がした。




もしかしたら・・・・・もう早苗は・・・・・




「早苗ッ!!」


明は血相を抱えて、青白い顔をしている早苗の手を取り、強く握った。

いつもならこんなに力は入れないのだが、そうせずには入られなかった。

それは、心臓の止まっている人にする心臓マッサージのようなものだった。空っぽの体の中に生気を送り込むように、戻ってきてくれ、戻ってきてくれ、と願いをを込め、それを力として握る。


いつも冷たかった早苗の手・・・。でも、今はもっと冷たい。氷を触ってるみたいだ。だんだん、血の気が引いていくのがはっきりわかる。・・・命の火が、弱くなっていく・・・。


「あ、明・・・くん・・・・痛い、よ・・・・」


「早苗!! ・・・早苗・・・」


早苗は・・・・・返事をしてくれた。まだ、意識を手放してはいなかった。心配そうに自分を見つめる明に、微笑んでくれた。ぎゅっと、明の手を握り返してくれた。


そのことに安堵のため息を漏らし、明は手の力を緩めた。・・・・・よかった。まだ、いかないでくれる。まだ、自分の傍にいてくれる。


早苗は苦しそうに呼吸を繰り返していた。すっと軽く吸っては吐き出し、それをただ繰り返す。まるで全力で走っているときのような呼吸だった。ただ違うのは、呼吸が弱弱しいということだけだ。激しいはずの呼吸なのに、弱弱しい。こんな矛盾あるわけがないのに、今実際に目の前で起きていた。


・・・見てて、本当に痛々しかった。逃げ出したかった。今目の前に叩きつけられている現実を放り出して、どこまでも逃げていきたかった。そうすれば楽になれる気がした。今、心に渦巻いている絶望がなくなる気がした。


でも、そんなことをするわけにはいかなかった。現実をしっかり見据え、早苗のことを受け入れなければならない。それが・・・・・明の義務だからだ。人間としての、男としての、夫としての、義務だった。


苦しい呼吸をしている中、早苗は力を振り絞って口を開き、明に言った。


「せ、刹那の・・・・こと・・・・。お願い・・・ね・・・?」


・・・早苗は、こんなときにまで刹那を、自分の子供のことを気にかけていた。自分が死んだ後、ちゃんと刹那が育ってくれるか、心配しているのだ。もうすぐ死んでしまうというのに、もうすぐいなくなってしまうというのに、自分のことよりも、子供のことを考えていた。


早苗の呼吸が、どんどん弱くなっていくのがわかる。でも、明を掴んでいる手の力は弱まったりなんかしなかった。ぎゅっと、強く握り締めていて、全身の力を手だけに集中させてるみたいだった。


口を閉ざしたまま自分の手を握っている明に、早苗はもう一度言った。


「明・・・・くん・・・。刹那の、こと・・・・お願い・・・ね?」


「・・・・・」


明は返事をしなかった。ただ早苗の目をじっと見つめていて、唇を噛み締めていた。

・・・早苗は、どうして返事をしてくれないのかわからなかった。自分はもう死ぬ、だから残った刹那を明に託さなくてはならない。

でも、明は了承してくれない。もう時間がない。このままでは未練が残ってしまう。・・・それだけは嫌だった。死ぬのだったら、未練など残したくなんてない。


「あき、ら・・くん。お願い・・・頼まれ、て・・・・」











「・・・・・無理だよ」











「・・え・・?」











明の口から拒絶の言葉が出た瞬間、早苗は明に抱きしめられていた。ぎゅっと、強く抱きしめられていた。強すぎて、少し痛いくらいだった。・・・傷の痛みはない。感覚がとっくに麻痺していたのが幸いした。


「俺は、1人じゃ何も出来ないんだよ・・・、早苗。何も出来ない、クズなんだよ・・・。今まで死ぬ物狂いで働いてきたのも、お前がいたからなんだ。・・・お前がいなくなったら、俺は駄目になる・・・。何も出来ない、本当のクズになっちまう・・・。だから・・・無理だ」


「明君・・・」


「頼む、死なないでくれ・・・・生きてくれ・・・・。お前がいなくなったら俺は・・・・俺は・・・・」


明は、早苗がこの世で何よりも大切だ。だから早苗が妊娠したときも逃げず、現実に立ち向かった。早苗が出産を望んだときも反対はせず、早苗のために必死で働いてきた。早苗は、明の支えだった。早苗がいたから、今の自分があると言っても過言ではなかった。


早苗がいなくなってしまったら、明を支えるものがなくなってしまう。支えがなくなった建物はどうなるか? 簡単だ、脆く崩れさる。それと同じだ。明もまた、脆く崩れてしまうだろう。


明は早苗を抱きしめながら泣いていた。いかないでくれ、いかないでくれ、と、何回も口にしていた。・・・早苗には、明の気持ちが痛いほどわかった。支えを失う怖さがどれだけのものかわからない。でも、明が自分を抱きしめる強さを通して、それが鮮明に伝わってきた。自分が死ねば、明は駄目になると・・・・。


それでも、自分は生きることはできない。自分でもわかっている、もうすぐ死ぬ。目が霞む、力が入らない、体が冷たくなっていく。


明は、乗り越えていかなくてはいかない。自分の死を乗り越えて、生きていかなくてはいかない。自分はここで終わりだが、明は違う。まだまだ先の長い人生が待っている。


早苗は、自分を抱きしめている明に言った。


「明君・・・甘えないで・・・・・」


「・・・・・」


「私がいなくなっても・・・・刹那が・・・いるでしょ・・? そんなこと言っちゃ駄目・・・・」


「でもッ!! でも・・・俺は・・・・」


「ほら、顔上げて・・・・ね? お父さん・・・でしょ?」


「早苗・・・・」


いつも冷たい早苗の手・・・。いつもならば手を握っていると自分の体温が早苗に伝わって温かくなっていくのだが、今の早苗の手はいくら握っても一向に温まろうとはせず、自分の手の温かさだけが吸い取られているような感じがするだけだった。・・・もう長くないという合図なのだろうか?


早苗はにっこりと笑った。いつも自分が何か失敗したときや落ち込んでいるときに見せてくれる、あの優しくて温かい天使のような微笑だ。


明は、その微笑を見て決意した。やろう、と。早苗がいなくても、きちんと刹那を手のかからない1人の男にしてみせる、と。


「・・・わかった。あとは・・・任せろ・・・。絶対、立派に育ててみせる。約束する・・・」


「うん・・・・・約束・・・。ちゃんと・・・守ってね・・・」


早苗はそう言って、静かに、静かに目を閉じた。











早苗は、見ていてくれるだろうか? 











遠い場所からでも、ずっと俺たちを見ていてくれるだろうか?











そして、笑ってくれるだろうか? 











俺と刹那の生活を、あどけないあの表情で、笑って見てくれるだろうか? 











ずっとずっと、笑ってくれるだろうか?











笑っていてほしい。俺は、笑顔の早苗が大好きだから。


だから、笑ってくれる。


俺たちを見守りながら、笑ってくれる。絶対に・・・・・。











「明、君・・・」


「ん?」


「ごめ、んね・・・私、もっと一緒に・・・居たかった・・・。もっと、3人でずっと暮らして、居たかった・・・」


「・・・・・」


ぎゅっと、信じられない力で、早苗は明の手を握る。

同時に早苗の瞳から流れる、ひとしずくの涙。

・・・明かな、無念の涙だった。

なぜ、どうしてこんなところで力尽きなければならないのかという、自分の不運を悔やむ表情。


「まだ・・・やりたい、ことたくさん、あったのに・・・。

刹那の、入園式も・・・まだなのに、明君と、だって・・・これからなのに・・・

それなのに・・・それなのに・・・!」


「・・・・・」


「生きたい・・・・・もっと、生きたい・・・・・

やり残したことも、たくさん、あるの。

やりたいこと・・・だって、たくさん・・・あるの。

まだ・・・死にたくない・・・!」


・・・そうさ、まだ俺たちは何もしていない。

ここで早苗が死んだら、自分にはもうつらかった日々しか思い出せない。

指をさされて笑われ、暴言を吐かれ、頭を下げて回って、日に日に破滅への道を歩んでいくことを苦悩していることしか思い出せない。

その嫌なことも忘れてしまうくらいの綺麗な思い出が俺たちを待っているはずなのに。

3人で幸せで、楽しくて、ずっと笑っていられる日々を送るはずだったのに。

それなのに・・・どうして早苗がここで死ななくちゃならないんだ・・・!!

どうして・・・・・どうして・・・・・!!


「生きたい・・・死にたく、ないよ、明君・・・。

行きたく、ない・・・まだ、行きたくない・・・。

明君たちを置いて行きたくない・・・・・。







でも・・・ごめんね・・・。ごめんね・・・ごめんなさい・・・・明君・・・・」












涙を、抑えられなかった。












心配させちゃだめなのに、任せろって笑顔で言わなくちゃダメなのに・・・。












明は・・・早苗の手を握り締めて、泣いた。












「早苗・・・、早苗・・・!」


嗚咽を隠して、早苗の名前を呼ぶことが精いっぱいだった。

それしか、明にできることはなかった。


「ごめん、ね・・・。それと・・・













今まで、ありがとう・・・明君・・・」












微かな笑みのあと、












明が握っていた早苗の手が、











「・・・・・大好き」











力なく明の手から離れた。











「早苗・・・・・?」


早苗は返事をしなかった。微笑を浮かべたまま、息を引き取っていた。優しい笑顔のまま、遠い遠い場所へ、旅立ってしまった。





「う、う、ぁ・・・・・うぅ、あぁぁ・・・・・」





明は、早苗の冷たくなっていくその体を抱きしめて、静かに泣いた。

もう戻ることのない、自分と早苗と刹那の3人の幸せだったあの瞬間を思い出しながら、涙を流して泣いた。


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