第113話 過去編2 〜決意
それから何分か経過し、ようやく明が落ち着いたところでもう一度話を切り出す。
「もう一度言うね。私達の子供ができたの」
「・・・・あぁ」
子供ができた、という事実は、明の精神に大きくのしかかっていた。
自分も、早苗も、まだ高校生なのだ。それも、入学してまだ月日も浅い現役の高校生だ。夢と希望を追いかけ、勉学に励まなくてはならない大切な時期。その大切な時期に、明はとんでもないことを早苗にしてしまったのだ。早苗を、妊娠させるという、やってはいけないことを。
思い当たることはあった。中学の卒業式の後のことだった。早苗が部屋に来て、ささやかなパーティをして、そのあとに・・・・・。
その場の雰囲気に流されて軽はずみなことをしてしまったことを、明はただただ悔やむしかなかった。
「・・・どうする?」
「どうするって・・・何が?」
「・・・産むか、おろすか」
もう一度言うが、明と早苗はまだ高校生だ。おろすとなれば、それ相当の負担が体にかかるし、何よりも自分達の子供の命を奪ってしまった、という重い重い十字架を一生背負い続けていかなくてはならない。それが、中絶の苦しみだ。若いうちから十字架を背負っていくのには、少し酷すぎる話だが、仕方ないだろう。
産むとしても、やはり問題になってくる。まず高校を辞めなければならない。通いながらの子育てなど学校の名誉にも関わるし、第一とても困難なことだからだ。
高校へ進学するのには様々な理由があるが、明も早苗も夢を追い求めて高校に通っている。しっかりと将来を見据えた勉強をし、就きたい職業に就くため一生懸命努力をするために高校へ入学した。それを辞めるとなれば、夢を諦めなければならない。追い求めている夢を捨てなければならない。
そして、問題なのが経費だ。子供を産むのには、親は絶対反対するはずだ。明の保護者である叔父も、早苗のほうも確実といっていいほど了解はとれない。当然、子育てに必要な経費も出してくれるわけがない。
明も、食費等はバイトで生計を立てていたため、子育ての経費も上乗せされるとなれば相当の労働をしなければならない。早苗はもちろん働くなどということはできない。子供に何らかの影響があるかもしれないからだ。
産むか、おろすか、どちらにしても苦痛になることは明確だ。・・・明は自分の軽薄さを今実感していた。一時の感情に任せて早苗を妊娠させてしまったことに、後先考えない自分の身勝手に早苗をつき合わせてしまったことに、明はただ俯いて歯を食いしばるしかなかった。
「・・・明君、どうしたい?」
「お、俺・・・か?」
「うん。明君は、どうしたい?」
自分は・・・どうしたいのだろう。
確かに、夢は諦めたくない。小さい頃からずっとあこがれてきた夢を、諦めたくなんてない。
小さい頃に見た、あの包丁さばき、鍋の振り方、芸術ともいえる手さばき、今も鮮明に覚えている。孤高の天才料理人、明はずっとその人を目標にしてここまで頑張ってきた。
色んな本を見て勉強した。ビデオを何回も見直した。包丁のさばき方から調味料の振り方まで、覚えた。色んなところを模倣した。努力した。諦めなかった。
学校の調理実習のときだって、ただひたすら積極的に包丁を振るった。先生からアドバイスもたくさん貰ったし、友達からも褒められた。・・・うれしかった。自分の道は、その地点で決まっていた。
だが、子供を産むことで、その夢はまるで弾丸を打ち込まれたガラス窓のように、粉々に砕けてしまう。今までずっと努力してきたことが、全て泡となって消えてしまうのだ。自分の信じてきたことが、全部意味を失ってしまうのだ。そんなの・・・つらすぎる。あんまりだ。
でも、だからと言って、自分は早苗の腹の中にいる新しい命を・・・消すのか?
俺と早苗が愛し合った証を、壊すのか?
俺たちの子供を、殺すのか?
・・・できない、そんなことできない。できるわけがない。
中学の保健で、中絶のことを少しだけ勉強したが、そんなのありえないことだと思って蔑ろにしていた。まさか自分がそんな過ちを犯すなんて考えられない。だからあのとき先生の話もあんまり聞かなかったし、耳に入れようともしなかった。その結果が、これだ。
ちらっと聞いた話よりも、苦しく、怖く、つらい。自分を許せなくて、早苗に申し訳なくて、自業自得の罪悪感に怯えてしまう。
心の中が、異常なくらい乱れている。どうすればいいのかわからない。物事を落ち着いて考えられない。様々な感情が混じり、自我を乱す。こんなこと生まれて初めてで、怖かった。自分が自分でなくなるみたいだった。
でも、そんな明にもある1つの考えが浮かんできた。乱れた心でも、これだけは浮かべることができた。
それは・・・夢だった。幼い頃からの夢、憧れてきた夢、ずっと欲してきた希望。それを壊されるなんてたまらない。諦めるなんて、できない。
その思いを1つ1つ紡ぎ合わせて、言葉にし、それを真剣な眼差しを向けてくる早苗に伝えた。
「俺は・・・・・産んでほしい。俺と早苗の子を、産んでほしい」
「明君・・・」
「働くよ。早苗と子供のために死ぬ物狂いで働く。学校だって辞める。絶対早苗を1人にしない。一緒に生きていく。だから・・・産んでくれないか?」
「・・・・・・・
はい」
早苗は明の言葉を聞いて、涙を流した。だが、表情はとても嬉しそうで、安心しきっていて、ほっとした表情だった。
そう、明は夢を諦めることなんてできなかったのだ。だから、早苗に子供を産んでほしかった。自分と早苗の分まで、夢を追い続けてもらうように。叶えられなかった分、自分の子供には叶えてもらいたいから。
早苗は涙をぬぐい、明に抱きついた。背中に手をまわして、きゅっと少し強めに抱きしめた。明もそれに答えるようにして抱きしめた。
「・・・ほんとはね、明君がおろしてほしい、って言ってもね、産むつもりだったの」
「・・・そうだったのか」
「うん。だからね、明君が産んでほしい、って言ってくれたときね、すごく嬉しかったんだよ。とってもとっても嬉しくてね、涙が出てきちゃったんだよ」
「そっか」
明がおろしてくれ、と言えば、当然のことながら早苗は1人きりで子供を産む手段を考えなくてはいけなくなる。1人で町を歩いて仕事を探し、1人で腹の子供に話しかけ、1人で周りの冷たい目に耐えていかなければならない。それのなんと寂しく、つらいことか・・・。
でも、明が産んでくれ、と言ってくれた。一緒に生きていくと言ってくれた。自分は1人なんかじゃなかった。明が居てくれた。一緒に、生きていこうと言ってくれた。
早苗は幸せだった。自分が世界で一番大好きな人に、一緒に生きていこう、と言ってもらえたから、早苗は幸せだった。
同じように明も幸せだった。早苗が自分を必要としてくれたから、自分と早苗の子供を産んでくれると言ってくれたから、明も幸せだった。
これからも「殺し屋」よろしくお願いします!




