第1話 事の始まり
雨の激しいある夜の出来事だった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
空から降ってくる滝のような雨に打たれ、その雨のせいで溜まっている浅い水溜りに足を何度も捕られそうになりながらも、男は必死で走る。いや、ただ走っているのではない。逃げているのだ。後ろから息も切らさず恐ろしい速度で追いかけてくる『あいつ』から。
「はぁ、はぁ、はぁ、・・・・・」
自分がなぜこのような状況に陥っているか、男は何となくわかっていた。おそらく、裏金の問題を隠蔽しようとしたことが原因で今このようなことになってしまったのだろう。いや、それだけではない。国税をうまく誤魔化し、一般の市民を容赦なく金を騙し取る。そんなことを繰り返しているうちに、あの『組織』から警告がきてしまった。これ以上悪事を働くのならば、と。
くそっ、こんなことになるのだったら大人しくしておくべきだった。そう悔やんでももう遅かった。その警告を無視し、金と権力で弱いものを虐げ、その光景を笑って見ていたのは自分なのだから。
慣れない全力疾走のため、息を切らして走っていた男は必死で動かしていた足を止めなければならなかった。行き止まりだったからだ。目の前に道はない、あるのは高い高いコンクリートで出来た壁だけ。
「っひ・・・・・た、助けてくれ・・・・頼む・・・・。か、金ならいくらでも・・・」
壁に背を向けへたり込み、もう逃げることができないと悟ったのかゆっくりと歩いてくる『そいつ』に命乞いをする。自分でも情けなかった。下げたことのない頭を地面にこすり付けるように下げ、顔は恐怖で引きつらせている様子を、情けないと言う以外なんと言えばよいのだろうか?
「お金ならいくらでも払う?ふざけないで。そのお金は誰から奪ったものよ?誰から騙し取ったものよ?」
「っひ、っひぁ・・・・・」
「私たちの警告を散々無視したあげく、弱いものに暴力を働いてお金を手にしたのは誰よ?あなたでしょう。散々悪事を働いたのに、その果ては命乞い?ふざけないでよ」
そう言うと、『そいつ』は懐からリボルバー式の黒い銃を取り出す。弾はもうすでに装填されているのか、マガジンを確認することなく銃口を男の頭に押し付けた。
「ひぃ、あぁ・・・・・た、助け・・・・」
男の口からはそれ以上言葉は出てこなかった。『そいつ』は銃の引き金を引いたのだ。発砲音が響き渡ったあと、弾は男の頭を貫通し、壁に埋まった。―――人を殺すには十分な威力だ。
男の首に手をやり、いつも通り脈がないのを確認した『そいつ』は、ためらうことなくその場を後にした。
++++++
「ただいま戻りました社長」
「おっかえり〜〜〜僕のかわいい玲菜ちゃ〜〜ん。僕とぉぉっても寂し―――へぶし!!」
「社長、ここは会社です。普通にその行為はセクハラになります」
報告に来た途端抱きつこうとした中年の男の横っ面に、ありったけの力を込めた鉄拳を食らわす。その男はしばらくじたばたと悶絶し、たまに「ぐぉぉぉぉ」やら「いぎぃぃぃ」などとわけのわからない言葉を言っていた。
ここは「A・B・K」と呼ばれる会社の社長室だ。この会社は主にはおもちゃの開発、販売をして利益を得ている。子供に人気なフィギュアから大人が好むTVゲームまで幅広いおもちゃを提供しており、その利益は日本おもちゃ会社のトップになるほどの実績を上げていた。
今悶絶しているのがご察しの通り、「A・B・K」社の現社長、「佐々木 幸一」である。若いときに勢いで会社を設立し、その勢いのままとうとう日本トップにまで上り詰めた人物だ。経営力だけではなく、人柄が気に入られているのか、人望も厚い。事実、この人のためなら死ねる!と宣言した社員もいるくらいなのだから。
日本のトップに立つおもちゃ会社。だがそれは社会一般に知られる顔でしかなかった。裏では依頼人に頼まれた人物をこの世から消し去る職業、「殺し屋」を営んでいる会社だった。
異常なまでの戦闘力を持ち合わせている幹部が直接動き、抹殺を行っている。頼まれた依頼は確実にこなし、何よりも早い。相手がどんな屈強な人間でも、1日あれば抹殺に取り掛かれるといった、かなりの実力を持っている会社だ。この会社がその気になれば、日本どころか世界まで征服することができる、という噂が後をたたない。
だが、この会社もポリシーというものが存在する。それが「世の中に必要ない人物しか殺さない」だった。気に入らないだとかの私怨はもってのほか、ターゲットがどんなに人々から嫌われていようが、世の中に必要だと社長である幸一が判断すれば、その依頼は白紙となる。
そのため、主な暗殺のターゲットは薄汚い政治家となっている。国民を騙し、自分だけが甘い汁をすすっているなどというふざけた政治家は、依頼がなくとも暗殺する。
一見物騒に見える会社だが、自分の人生を人に迷惑をかけない程度に楽しく過ごしていれば、人を傷つける『剣』どころか、危険から身を守る『盾』になってくれる会社なのである。会社の名前だって、「A(悪人は)BK(殺す)」の略(命名幸一)なのだから、この会社は絶対的な正義を貫き通している。それゆえ、害のない人間にとってはまさに剣を防いでくれる盾に値する会社なのだ。
長い悶絶から立ち直った幸一は、社長独特の皮製のふわっとした椅子に腰をかけ、目の前にいる大人の一歩手前くらいの女に話しかけた。
「それで、ちゃんと始末できた?」
「はい、問題はありません。後片付けは姉がやってくれると思うので」
「うん、それならいいんだ。・・・・・・・はぁ・・・・・・・」
「? どうなされましたか?」
「いやなに、まだ若いのに人殺しなんてことさせて申し訳ないって思ってさ」
目の前にいるついさっき暗殺を終えた女、「佐々木 玲菜」は今年で17になる。物心ついたときには銃を握り、10歳頃には人を殺していた。そして、初めて人を殺してから7年経った今、玲菜が殺した人数は104人。もちろん先ほどの仕事の人数も含めてだ。7年の時間にしては人数が少ないのは、幸一の配慮からだった。
普通ならば友達と一緒におしゃれして町へ出かけたり、良い男と一緒に映画でも見る年頃のはずなのに・・・・・・。それに、玲菜は美人だ。そこら辺のちゃらちゃらと偽者のブランド品で身を固めている女とは比べ物にならない。なろうと思えば、ハリウッドだってびっくりの大女優にだって簡単になれるくらい、玲菜は美人だった。表舞台に出れば、この会社を遥かに上回る富や名声を得ることができるのは断言できる。
そういうことも含めて、殺し屋などという日の当たらない仕事をさせている幸一は罪悪感を隠せなかった。殺しと言う精神にダメージを与えるような仕事を、本当ならやらせたくなかった。
そんな幸一に、玲菜は優しい笑みを浮かべて答えた。
「気にしないでください。捨てられていた私とお姉ちゃんを助けてくれたのは社長・・・・お父さんじゃない。私何とも思ってないよ、後悔もしてない。お父さんの役に立てて幸せだよ。だからそんな顔しないで。ね?」
「れ、れいなぁぁぁぁぁぁぁ―――あべし!!」
「だからやめてってば」
再び幸一の横っ面に鉄拳を食らわす。幸一は先ほどと同じく頬を押さえ悶絶し、「いぎぎぎぎぎ」やら「あががががが」などとわけのわからない言葉を放っていた。
はぁ、と少しため息をつき、玲菜は腕を組んだ。
「それで?次の仕事は?」
「いたたた・・・・この男だよ」
幸一はデスクから一枚の紙を取り出し、玲菜に手渡した。ターゲットの情報が書かれてある書類だった。現在住所、氏名、年齢、顔などの情報が紙いっぱいに書かれており、暗殺時には欠かすことのできない貴重な情報源だった。
名は「木下 刹那」、年齢は玲菜と同じ17歳。顔は至って優しげで、見る限りではそんなに害を及ぼす人間には見えなかった。
「・・・・・ずいぶん、優しそうな人ね。年も私と一緒じゃない」
「僕も最初は疑ったよ。まさか、とは思ったけど・・・・・」
「やってた・・・?」
「実際に見てはいないけど、この会社の情報網は確かだ。残念だけど、消すしかない」
幸一は残念そうに、下を向いて答えた。玲菜は、幸一がこんなに残念な顔をしているのはあまり見たことがなかった。
「・・・・・わかった。それじゃ、行ってくるね」
そう言い、社長室の戸に手をかけたときだった。社長が少しだけ心配そうに玲菜にたずねた。
「玲菜ちゃん、具合悪くない?声が少し変だよ?」
「雨の中ずっと追いかけてたからね。でも大丈夫だよ、そんなにひどくないから」
幸一の心配をやんわり受け止め、玲菜は社長室から出て行った。
+++++
{・・・・・無理しないで休んどけばよかったかな・・・・・}
玲菜は今、ターゲットの自宅に向かっていた。時間は夜。風がやたらと吹いており、冷たい空気が玲菜の体温を奪っていった。
玲菜は風邪をこじらせていた。そう、前の仕事のときに降っていた雨のせいだった。冷たい雨に加えてこの強風、風邪を悪化させるにはもってこいの環境だ。
{ちょっと・・・・・まずい、かも・・・・}
頭がボーっとし、視界がぼやける。体には力が入らず、足を引きずるようにして歩いていた。典型的な風邪の症状だった。
体の具合の悪さに耐えて歩いているうちに、ついにターゲット「木下 刹那」の家に着いてしまった。決して大きくはなく、少し新しい感じの家。この中に・・・・・ターゲットはいるのか?いや、いない。電気が点いていないからだ。時間は夜であってもまだ8時頃、青年の寝る時間には少し早い。―――つまりは留守、ということになるのだろうか。
{なんで、こうタイミングが悪いかなぁ・・・・・}
早く抹殺して家に帰って休みたいのに、肝心なターゲットがいなければ話にならない。このまま待っているしかないのか・・・・・いや、それはできない。理由は至って簡単だ。玲菜は、
{あ・・・・・・・}
倒れてしまったのだから。
どしゃ、とアスファルトの上に倒れこみ、玲菜はそのまま意識を失った。
連載開始です。
短編で続きが読みたいと感想を下さった皆さん、大変お待たせいたしました。
「殺し屋」、これからよろしくお願いします!