ぼっちキングの補修
銀嶺での死闘から数日。
リーズの街が戦果の噂で持ちきりになる中、皆人は喧騒を避け、人里離れた北の湖畔へと足を運んでいた。そこは、切り立った岩壁と深い針葉樹林に囲まれた、知る人ぞ知る静謐な場所だ。
「……ようやく、一息つけるな」
カイトは、湖にせり出した桟橋に腰を下ろし、重い溜息を吐き出した。
目の前に広がる湖面は、鏡のように静かで、遠くの雪山の稜線を鮮やかに映し出している。
『カイト、生体バイタルは安定していますが、左腕部の損傷は深刻です。神経接続の末端にノイズを確認。早急なメンテナンスを推奨します』
「分かってるよ、兵庫。……さあ、始めようか」
カイトはジャケットを脱ぎ捨て、左腕の義肢を露わにした。
あのトライホーンの突進を受け止めた際、内部のナノマシン結晶構造が限界を超えて焼き付いている。だが、今回の彼には「最高の素材」があった。
傍らに置いたアタッシュケースを開くと、そこには青白い光を放つ、純度98%のミスリル原石が鎮座している。
「これを使えば、ただの修理以上のことができるはずだ」
『了解しました。ミスリル原石の分子再構成を開始。ナノマシンを媒介に、神経伝達回路をミスリル合金で置換します。……警告、かなりの痛みを伴いますよ』
「いつものことだ。やってくれ」
カイトが歯を食いしばると同時に、左腕から火花が散り、青い光が皮膚の下を這うように広がった。
ミスリルは、この世界の魔力だけでなく、カイトの持つテクノロジーとも驚異的な親和性を見せた。焼け焦げた人工筋肉が剥がれ落ち、代わりに銀色に輝く新たな繊維が編み込まれていく。
数時間に及ぶ「自己修復」。
滴る汗を拭い、カイトは新調された左腕を握り締めた。
以前よりも軽く、それでいて内側に秘めた出力は数倍に跳ね上がっている。
指先を動かすたびに、ミスリルの細かな粒子が空中の魔力と共鳴し、小さな光の粒をこぼした。
「ふう……。体の方も、なんとか馴染んだか」
左腕だけでなく、全身の強化骨格の接合部にもミスリルを補強材として組み込んだ。今のカイトは、外見こそ普通の青年だが、その内側は文字通り「銀嶺の要塞」の破片を宿した超人へと変貌していた。
作業を終えたカイトは、携帯式のコンロを取り出し、お気に入りの豆でコーヒーを淹れた。
香ばしい香りが湖畔の冷たい空気に溶け込んでいく。
誰にも邪魔されない、自分だけの時間。
この世界に来てからというもの、常に戦いと隣り合わせだった彼にとって、この静寂こそが何よりの贅沢だった。
「……いい味だ。『兵庫』、お前もこの風景が見えてるか?」
『記録としては完璧に。ですが、カイト。この平穏は、あと120秒で終了する予定です』
「……は?」
カイトが眉をひそめた瞬間、遠くの森から騒がしい声が響いてきた。
「おーい! カイトー! やっぱりここにいたわね!」
聞き覚えのある、勝気で通る声。
カイトが絶望的な気分で振り返ると、森の木々をかき分けて、赤い髪をなびかせたエルザが姿を現した。その後ろには、大きな荷物を背負ったバルカスと、苦笑いを浮かべたセーラも続いている。
「……エルザ。どうしてここが分かった」
「あんたの考えそうなことなんてお見通しよ。一人でこそこそ腕の治療でもしてるんだろってセーラが言うからさ」
「正確には、『カイトさんなら、一番景色のいい場所で自分を甘やかしてそう』って言ったのよ」
セーラが茶目っ気たっぷりにウィンクする。
カイトは天を仰いだ。
「……せっかくの休日が」
「固いこと言いっこなしだぜ、カイト! 今日はな、お前に最高の『礼』をしに来たんだからよ!」
バルカスが、背負っていた巨大な樽をドスンと地面に置いた。
「礼?」
「そう。いつもあんたには、コーヒーを淹れてもらったり、飯の心配をしてもらったり、果ては命まで救ってもらってるからね」
エルザがニヤリと笑い、自分の背後に隠れていた一人の少女を前に押し出した。
「紹介するわ。私の古くからの友人で、王都の三ツ星ギルドで腕を振るっていた一流の料理人――ロッタよ」
そこにいたのは、自身の体ほどもある大きなリュックを背負った、栗色の髪の少女だった。
彼女はカイトを見ると、深々とお辞儀をした。
「初めまして、カイト様! エルザさんからお話は伺っております。銀嶺の暴君を退けた英雄に、最高の食事を献上するために参りました!」
「いや、英雄だなんて……」
戸惑うカイトを無視して、ロッタは手際よく焚き火を組み、巨大な鍋と見たこともないような調理器具を並べ始めた。
「さあ、カイト! あんたは今日は何もしなくていいわ。そこで座って、大人しく『もてなされ』なさい!」
エルザに肩を掴まれ、無理やり特等席(倒木で作ったベンチ)に座らされる。
そこからの光景は、圧巻だった。
ロッタの包丁さばきは、もはや武技に近い。
バルカスが持ってきた樽の中身は、最高級の熟成肉と、王都直送の新鮮な野菜。
ロッタが楽しげに魔法の火加減を調整する。
やがて、湖畔にはコーヒーの香りを塗り替えるほどの、芳醇で暴力的なまでに食欲をそそる香りが立ち込めた。
「お待たせしました! 本日のメインディッシュ、『銀嶺の恵みと薬草の赤ワイン煮込み』、そして『熟成肉ステーキのトリュフソース添え』です!」
カイトの前に並べられた料理は、芸術品のような美しさだった。
一口、ステーキを口に運ぶ。
(……なんだ、これは)
噛んだ瞬間、肉汁が弾け、体内のナノマシンが驚喜するほどの高密度なエネルギーが全身を駆け抜けた。ただ美味しいだけでなく、蓄積していた疲労が霧散していくのが分かる。
「美味い……」
思わず本音が漏れると、ロッタは顔を輝かせた。
「良かったです! カイト様の体は、少し特殊なエネルギーを欲しているようでしたので、スパイスの配合を調整したんです」
「……お前、ただの料理人じゃないな?」
「ふふ、料理は科学であり、魔術ですから!」
エルザとバルカスは、すでに樽酒を開けて盛り上がっている。
「カイト、食え食え! 今日はあんたが主役なんだ。俺たちがこうして笑ってられるのも、全部あんたの左腕のおかげなんだからな!」
バルカスがカイトの肩を叩く。その力強さは、以前よりも信頼に満ちていた。
セーラがカイトの隣に座り、静かにグラスを傾ける。
「カイトさん。あなたはいつも、自分を削って誰かを助けてばかり。……たまにはこうして、誰かに甘えることも覚えないと、その左腕みたいに焼き付いちゃいますよ?」
その言葉に、カイトは少しだけ視線を落とした。
「……そうかもな。『兵庫』、どう思う?」
『……推奨します。精神のデフラグには、他者との交流と良質な栄養摂取が不可欠です。それと、カイト。……そのステーキ、私の分も分析用に少し残しておいてください』
「お前、食べられないだろ」
湖畔に笑い声が響く。
夕闇が迫り、焚き火の光が四人の顔を暖かく照らし出した。
一人で静かに過ごすはずだった休日は、騒がしくも温かい、忘れられない宴へと変わっていた。
カイトは、新しくなった左腕を見た。
人工皮膚下の大部分をミスリルに置換された腕は、月光を受けて静かに呼吸している。
この腕は、もう自分一人のための武器ではない。
この騒がしい仲間たちの背中を守り、共に明日に進むための力なのだと、彼は改めて実感していた。
「……さて。これだけ食わせてもらったんだ。次の任務も、きっちり働かないとな」
カイトがそう呟くと、エルザがワイングラスを掲げた。
「その意気よ、便利屋さん! でも、まずはその皿を空にしてからね!」
夜は更けていく。
湖畔に吹く風は冷たかったが、カイトの胸の奥には、どんな高性能なヒーターよりも温かい火が灯っていた。
その後、数時間が経過して……
宴もたけなわ、バルカスは焚き火の横で盛大な地響きのようないびきをかき始め、セーラもエルザの肩を借りて微睡んでいる。
カイトは一人、静かになった桟橋に戻り、夜空を見上げていた。
『カイト、提案があります』
「なんだ、『兵庫』」
『今回入手したミスリルと、ロッタ殿の調理技術から得たデータを統合した結果、あなたの左腕に新たな機能を追加できる可能性が出てきました。名付けて……「魔力共鳴式・過負荷」モードです』
カイトはふっと笑った。
「……休養中だってのに、お前は相変わらずだな」
『私はあなたのパートナーですから。……カイト、あなたはこの世界で何を成したいですか? 艦の修復? それとも……』
カイトは、眠っている仲間たちを振り返った。
「そうだな。……とりあえずは、この騒がしい連中が、明日も笑って飯を食えるように。そのために、この腕を磨き続けるだけだよ」
遠くの森で、夜鳥が鳴いた。
カイトの新しい左腕が、決意に呼応するように、一瞬だけ鋭い銀色の光を放った。
今回の休息で得られたもの:
左腕: 出力300%向上。魔力干渉を中和する特性を得た。
一流料理人のコネ: ロッタが専属契約を申し出たそうな顔でこちらを見ている。
心のデフラグ: 完了。




