ぼっちキングの休日
数日後、リーズの街の喧騒から遠く離れた北方の山岳地帯に、皆人の姿があった。
背中には、冒険者ギルドで購入した大容量のバックパック。中には折り畳み式のテントや調理器具、そして予備の衣類が詰まっている。
いつもの見た目は普通なのに中身は科学の粋を集めた高性能服ではなく、現地で調達した丈夫な麻のシャツと革のズボンという、ごく一般的な「旅人」の格好だ。
「……よし、ここなら誰にも邪魔されないだろう」
皆人は、目の前に広がる光景に満足げに頷いた。
切り立った渓谷の底を、透き通ったエメラルドグリーンの川が流れている。川辺には真っ白な砂利が広がり、その一角からは湯気が立ち上っていた。天然の温泉だ。
「『兵庫』、周囲の索敵を。半径500メートル以内に知性体、および危険な魔獣の反応は?」
『……スキャン完了。大型個体の反応は皆無です。野生のシカやウサギ、および低脅威度の水棲生物のみ。まさに、カイトが求めていた「安らぎの地」と言えるでしょう』
「最高だな。今回は『過剰な力』は封印だ。せっかくの休暇なんだから、この世界の自然を、文字通り等身大で楽しむことにする」
皆人はそう宣言すると、さっそくキャンプの設営を開始した。
設営を終えた皆人が次に取り出したのは、一本の釣り竿だった。
これも街の道具屋で買った、ごく普通の木製の竿だ。『兵庫』のサポートによる「自動追尾式魚群探知機」や「超音波集魚装置」の使用も、今回は厳禁とした。
「いいか『兵庫』、今日はナノマシンの演算による予測も禁止だ。俺の勘と、この世界の魚との知恵比べを楽しむんだからな」
『了解しました。では、私はバックグラウンドで環境音の録音と、カイトのバイタルチェックのみに専念します。……おや、さっそく当たりが来たようですよ?』
川面に浮かんだウキが、ピクピクと跳ねた。
皆人は息を呑み、竿を握る手に力を込める。
「……今だ!」
バシャッ! と水面が割れた。
手応えは……重い。というより、異常に「重い」。
「っ、なんだこの引きは!? 根掛かりか?」
『いいえ、生命反応です。対象の質量、および筋力指数を計算……あ、禁止でしたね』
皆人は歯を食いしばり、踏ん張った。
だが、獲物は並の魚ではなかった。水面から飛び出したのは、体長2メートルを超える、全身が鋼鉄のような鱗に覆われた巨大な魚――「アイアン・サーモン」の変異種、通称「魔魚」だった。
これでもモンスターではなく、ただの魚だ、一応。
「ちょ、待て! 普通の川にこんなのがいるのか!?」
ドォォォンッ!
魔魚が跳ねるたびに、周囲に高圧の水弾が飛び散る。それはもはや釣りではなく、格闘戦だった。
「くっ、竿が折れる……!『 兵庫』、アバターの出力を最小限に……いや、ダメだ、我慢しろ俺!」
皆人はあえて強化筋肉を使わず、自らの「生身」に近い筋力だけで耐えようとした。しかし、魔魚は口から氷の息を吐き、皆人の足元の水を凍らせて滑らせようとしてくる。
「ただの魚が魔法を使うなよ! 反則だろ!」
30分に及ぶ格闘の末、皆人は泥まみれになりながら、なんとか魔魚を陸に引き揚げた。
ピチピチと跳ねる魔魚の尾びれが、皆人の頬を強打する。
「……ふぅ。……はは、面白いじゃないか。釣るだけで死ぬ気になるとはな」
皆人は顔の泥を拭いながら、心地よい疲労感に浸っていた。これこそが、圧倒的な力で一方的に蹂躙するのではない、この世界の「手応え」だった。
夕暮れ時。
辺りは美しい紫色の空に包まれ、渓谷にはヒグラシに似た虫の声が響いていた。
皆人は釣った魔魚を下ろし、焚き火でじっくりと焼きながら、念願の温泉へと向かった。
岩場に囲まれた天然の湯船。
温度は、兵庫の測定によればちょうど 42℃。
「ふぅ……最高だ……」
皆人は全ての装備を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で湯に浸かった。
人造のボディとはいえ、神経接続された感覚受容器は、お湯の柔らかさや肌をなでる風の涼しさを完璧に伝えてくる。
オークとの戦い、ギルドでの緊張、未来への不安……それら全てが、お湯の中に溶け出していくようだった。
「『兵庫』……この星に来て、初めて『生きてる』って気がするよ」
『カイトの脳内エンドルフィン値が、過去最高を記録しています。リラックス効果は絶大のようですね』
「ああ。これなら、明日からもまた上手くやっていけそう――」
その時だった。
『警告。カイト、リラックスモードを強制終了してください』
『兵庫』の無機質な声が、静寂を切り裂いた。
「……おい、せっかくいい気分なんだ。空気読めよ」
『冗談ではありません。周囲の岩壁、および水中から複数の生体反応。光学迷彩を解除し、急速に接近中。……個体識別:デザート・ロック・エイプ、およびポイズン・サーペント。数は……30以上』
「はぁ!?」
皆人が湯船から飛び出した瞬間、周囲の岩場が「動いた」。
岩に擬態していた猿型のモンスターたちが、一斉に姿を現したのだ。さらに川からは、紫色の毒液を滴らせた大蛇が鎌首をもたげている。
彼らは、皆人が調理していた魔魚の匂いに引き寄せられたのだ。
そして、その獲物を横取りし、ついでに「裸で丸腰の獲物」を食い尽くそうという算段らしい。
「嘘だろ……今、服も武器もあっち(テント)なんだぞ!」
「ウガァァァッ!」
先頭のロック・エイプが、岩のような拳を振り下ろす。
皆人は咄嗟にバックステップで回避したが、足元は濡れた岩場だ。
「おっと……危ねぇ!」
『カイト、アバターの戦闘プログラムを起動しますか?』
「待て! 」
皆人は自分の股間をチラリと見た。
「……この格好で派手なエフェクトを出すのは、精神的ダメージがデカすぎる!」
『理解不能な判断基準です。しかし、敵は待ってくれません』
蛇が毒液を噴射した。
皆人は湯船に飛び込んでそれを回避し、水面を蹴って岩壁へと跳躍した。
「クソッ、やるしかないのか!『 兵庫』、物理干渉力のみを右拳に集中! 重力制御は最小限だ!」
皆人は空中で身を翻し、一番近いエイプの眉間に「全裸の飛び蹴り」を叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
岩の皮膚を持つエイプの頭部が、粉々に砕け散る。
「次だ!」
着地と同時に、皆人は地面に落ちていた鋭利な石を拾い上げた。
ナノマシンで指先のグリップ力を極限まで高め、それを弾丸以上の速度で投擲する。
シュッ、シュッ、シュッ!
石礫は空気を切り裂き、次々とエイプたちの急所を貫いていく。
だが、ポイズン・サーペントが背後から皆人の足に噛み付こうと迫る。
「させないっての!」
皆人はあえて蛇の頭を素手で掴むと、そのままジャイアントスイングの要領で振り回し、迫り来るエイプたちの群れへと投げつけた。
「必殺、蛇棍棒!」
『……ネーミングセンスに深刻なエラーを検出しました』
「うるさい、必死なんだよ!」
全裸の男が、月明かりの下で魔獣を次々と投げ飛ばし、殴り飛ばす。
その光景は、端から見れば狂気の沙汰だった。
しかし、皆人の動きには一切の無駄がない。服がないことで、かえって空気抵抗が減り、皮膚感覚が研ぎ澄まされている(と、彼は自分に言い聞かせた)。
最後に残った、群れのリーダー格である巨大なエイプが、皆人に向かって咆哮を上げた。
皆人は静かに構える。股間を隠す余裕など、もはやない。
「……悪いな。お前たちのおかげで、休暇が台無しだ」
皆人の瞳が、冷たく発光する。
「少しだけ、本気で行かせてもらう」
皆人が地面を一歩踏みしめた。
その瞬間、足元の岩盤がクモの巣状にひび割れる。
一瞬で距離を詰め、エイプの懐へ。
皆人の脳内で、衝突エネルギーの計算が完了する。
アバターの右拳が、エイプの胸部にめり込んだ。
ドォォォォォォンッ!!
衝撃波が渓谷を駆け抜け、温泉の湯面が大きく波打つ。
エイプの巨体は後方の岩壁まで吹き飛び、そのまま沈黙した。
「……終わったか」
皆人は荒い息をつきながら、周囲を見渡した。
転がっているのは、数十体のモンスターの死骸。
そして、月明かりに照らされた、完璧なまでに全裸の自分。
『お疲れ様です、カイト。戦闘終了。衣類の無事を確認しました。また、焼き魚の方も、ギリギリ食べ頃を維持しています』
「……そうか。それは良かった」
皆人は急いで服を着ると、焚き火の前に座り込んだ。
すっかり冷え切ってしまった体には、焼き上がった魔魚の熱さと、脂の乗った身が染み渡る。
「……美味いな。死ぬ思いをした後のメシは、格別だ」
『それは、生命の危機を乗り越えたことによる報酬系回路の活性化ですね』
「『兵庫』、お前はもうちょっと情緒を学べ」
皆人は魔魚の身を口に運びながら、夜空を見上げた。
静かなキャンプを計画していたはずが、結局はいつも通りの「オーバーキル」な戦いになってしまった。
だが、不思議と後悔はなかった。
「自重するって決めたけど……この星で普通に暮らすってのは、それ自体が命がけなんだな」
『はい。この星の生態系は、カイトの故郷の基準からすれば「恒常的な戦場」に等しいですから』
「……だったら、無理に力を隠すこともないか。俺が俺らしく、この世界を楽しみ抜く。それが一番の自重かもしれないな」
皆人は最後の一口を飲み干すと、テントの中へと潜り込んだ。
明日は、また別の場所へ行こう。
次はもう少し、丈夫な水着を持って。
「『兵庫』、明日のルートを。……今度は、もう少し『普通の魚』が釣れる場所にしてくれよ?」
『了解しました。データベースから「魔魚の出ない平和な湖」を検索します……。おやすみなさい、カイト』
渓谷の夜は更けていく。
焚き火の爆ぜる音だけが、静かに、そして力強く響いていた。




