ぼっちキングのスローライフ
リーズの夜が明け、喧騒が遠のいても、皆人の心には心地よい酔いと仲間たちの笑い声が残っていた。
激動の防衛戦、そして『兵庫』での一ヶ月に及ぶメンテナンスを経て、皆人は自分の中に一つの変化を感じていた。それは、むやみに戦いへと身を投じることへの「疲れ」ではなく、今ここにある平穏をもっと大切にしたいという、ごく当たり前の渇望だった。
「少し、のんびりさせてもらうよ」
ギルドへの報告を済ませた皆人は、そう宣言した。
幸い、街の再建は順調に進んでおり、大規模な魔物討伐の依頼も当面は落ち着いている。
皆人はリーズの自宅ではなく、街から少し離れた静かな湖畔に建つログハウスの方を当面の拠点に据えることにした。
そこは、深い森に囲まれ、朝霧が湖面をなでる幻想的な場所だ。
この隠れ家での生活において、皆人が最もこだわったのが「食」である。『兵庫』の合成食も悪くはないが、やはりこの世界の新鮮な食材を、確かな腕を持つ者に調理してほしかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、リーズの街で評判だった若き料理人、ロッタだった。
「私が……皆人様の専属シェフ、ですか?」
最初は目を丸くしていたロッタだったが、皆人が提示した条件――リーズの自宅と湖畔のログハウスの両方に専用の個室を与え、移動の際は常に同行してもらい、常に新鮮でレアな食材が提供されるという待遇に、彼女は頬を紅潮させて快諾した。
「はい! 喜んで! どこへでも、美味しい料理を作りに行きます!」
こうして、皆人の贅沢なスローライフが始まった。
朝は湖畔のウッドデッキで、ロッタが淹れた香りの高い茶を楽しみ、日中はボートを出して釣りを楽しむ。気が向けばクリスタルクリアな湖水に飛び込み、火照った体を冷やす。
そんな皆人の隠れ家に、エルザやミラたちが放っておくはずもなかった。
「ちょっとカイト、一人でいい思いしすぎじゃない?」
呆れたような、それでいて楽しげな声を上げて、エルザたちが頻繁にログハウスへ押し寄せてくる。
そんな時、ロッタの腕が鳴る。
湖で釣れたばかりの魚を香草で焼き、森で採れたキノコをふんだんに使ったスープを作る。皆人が『兵庫』からこっそり持ち出した、この世界の基準を遥かに超える芳醇な高級酒が並べば、そこはたちまち最高級のレストランへと変貌した。
「……最高ね。正直、もう一生ここでいいわ」
エルザが高級酒のグラスを傾け、蕩けたような表情で呟く。
「ロッタさんの料理、毎日食べられるカイトさんが羨ましいです……」
ミラも幸せそうに頬を緩めている。
ロッタ自身も、新しい環境での生活を心から楽しんでいるようだった。皆人が移動するたびに、彼女は自分専用の調理器具を大事そうに抱え、遠足前の子供のような笑顔でついてくる。
だが、平穏というものは、あまりに長く続くと毒に変わる。
一ヶ月、二ヶ月と過ぎるうちに、皆人の中に、そしてエルザたちの中に、ある種の「飢え」が頭をもたげ始めた。
「……カイト、そろそろ身体が鈍ってこない?」
釣竿を眺めていたエルザが、不意にそう切り出した。
「ああ。正直、この平和も少し飽きてきたところだ」
皆人は苦笑しながら応じた。どれだけ高級な酒を飲み、美食に舌鼓を打っても、彼らの本質は冒険者であり、戦士なのだ。平穏を享受する権利は十分に行使した。次は、その平穏を守るための「力」を振るう番だった。
一行がリーズに帰還すると、待ち構えていたかのように大きな依頼が舞い込んできた。
「とある港町の沿岸に、水棲竜が居着いてしまったらしい。おかげで漁師は海に出られず、流通も完全に止まっている。これを討伐してほしい」
相手は海の覇者とも呼ばれる巨大な魔物。並の冒険者では近づくことすら叶わない難敵だ。
「よし、行くか」
皆人の言葉に、エルザ、セーラ、バルカス、そして今回はロッタも「戦地食の担当」として同行することになった。
港町に着くと、そこには絶望の色が広がっていた。
波止場には無数の船が係留されたまま腐りかけており、屈強な男たちが手持ち無沙汰に地面を見つめている。
「あんな化物に勝てるわけねぇ……」
そんな弱音が漏れる中、一人だけ目をぎらつかせている娘がいた。漁師の娘、ジルだ。
「あんたたち、本当にあのトカゲを仕留めてくれるんだね? だったら、あたしの船を出してやる。臆病風に吹かれた野郎どもの代わりに、あたしが特等席まで連れてってやるよ!」
勝ち気なジルの操船で、一行は沖へと漕ぎ出した。
「来るわよ!」
エルザの叫びと共に、水棲竜の露払いとも言える水棲モンスターたちが海面から飛び出してくる。
「任せて!」
セーラが魔導杖を掲げ、正確無比な雷撃で空中の敵を撃ち抜く。エルザもまた、揺れる船上という悪条件をものともせず、飛び込んでくる魔物を鮮やかな剣筋で切り捨てていく。
バルカスは、モンスターからの遠距離攻撃を重い盾で食い止める。
そして、ついにその巨体が姿を現した。
海面を割り、山のような質量を持った水棲竜が咆哮を上げる。その一鳴きで海は荒れ、ジルの船が木の葉のように揺れる。
「カイト、どうするの!? 近づくのも一苦労よ!」
「ああ、心配ない。ここからは俺の仕事だ」
皆人は右腕を掲げ、空を見上げた。
「『兵庫』、座標固定。目標、水棲竜。光学兵器による精密狙撃を許可する。出力……最大だ」
『了解。衛星軌道上より、対地レーザー射撃を開始します。着弾まで、3、2、1……』
次の瞬間、曇天を貫いて一本の純白の閃光が降り注いだ。
轟音すらない、光そのものの暴力。
水棲竜が反応する暇もなかった。閃光がその脳天を直撃した瞬間、巨体は内側から蒸発し、一撃でその生命を散らした。海面には巨大な水柱が立ち上がり、しばらくして、静寂が戻った。
「な……な、んだい、今のは……」
ジルが舵を握ったまま呆然と立ち尽くす。エルザたちも、何度見ても慣れない「神の雷」のような一撃に、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
港に戻ると、そこは一転して狂乱の宴に包まれた。
「英雄だ! 海の英雄が帰ってきたぞ!」
漁師たちは狂喜乱舞し、積もり積もった鬱憤を晴らすかのように、獲れたての海の幸を次々と運び込んでくる。
ロッタもプロの血が騒いだのか、地元の漁師たちと協力して、見たこともないような豪華な海鮮料理を仕立て上げていった。
「あはは! 食え食え! 今日は全部タダだよ!」
ジルの豪快な笑い声と、上質な酒の香りが海風に乗って流れる。皆人もまた、仲間たちと共にそのもてなしを心から楽しんでいた。
だが、その宴の最中。
皆人の左手首に装着されたデバイスが、鋭い警告音を発した。
周囲の喧騒が、一瞬で遠のく。
デバイスのホログラムが映し出したのは、かつて皆人がシャルフィヤに「護身用」として渡した腕輪の、強制作動信号だった。
(……シャルフィヤになにかあったのか!?)
あの悲しい目をした少女の顔が脳裏をよぎる。
腕輪が作動したということは、彼女の身に、彼女自身の力ではどうしようもないほどの危機が迫っていることを意味していた。
皆人は立ち上がり、コップを置いた。
「……悪い、急用ができた」
「カイト? どこへ行くのよ、こんな時に!」
背後でエルザの声がしたが、答える時間はなかった。
「『兵庫』、今すぐ降下艇を寄こせ! 座標はブラウスウェイト伯爵領、シャルフィヤの腕輪の発信地点だ。全速で飛ばせ!」
夜空の向こうから、大気を切り裂く光が降りてくる。
豪華な宴と海の幸、そして仲間たちの笑顔を背に、皆人は再び戦いの中へと――今度は誰かを守るための戦いへと、飛び込んでいった。




