ぼっちキングの憂鬱
リーズの街には大した被害を出さず、防衛戦は終わりを告げた。が、三人の貴族やその家臣たち、そして数百人にのぼる冒険者や兵士を失った影響は、リーズや周辺の都市に大きな不安感をもたらした。
皆人にとって一番の頭痛の種は、他でもない、自らの手でブラウスウェイト伯爵を討ち取ったという事実であった。たとえ相手がアンデッド化し、理性を失った怪物に成り果てていたとしても、一国の有力貴族を殺めたという事実は重い。政治的な火種になりかねないその報告を携え、皆人は重い足取りで伯爵領へと向かうことになった。
伯爵家から遺体の回収に来た部隊に同行し、たどり着いたブラウスウェイト領。
そこでの出迎えは、皆人が予想していた以上に冷ややかなものだった。
門をくぐる際、居並ぶ家臣たちの視線は鋭く、そこには明確な「拒絶」の色が混じっていた。彼らにとって皆人は、領主を救えなかったばかりか、その命を奪った忌まわしい異邦人に映っているのだろう。
「……よくぞ、父の遺骸を送り届けてくださった」
次期当主となる長男が口にした言葉は、感謝というよりは形式的な儀礼に過ぎなかった。彼の瞳には野心と困惑が入り混じり、皆人を直視しようとはしない。
「これからも、よしなに」
その言葉の裏には、「これ以上、我が家の騒動に関わるな」という暗黙の拒絶が透けて見えた。
そして、何よりも皆人の心を締め付けたのは、シャルフィヤの姿だった。
彼女は喪服に身を包み、広間の隅で幽霊のように佇んでいた。かつて皆人に向けられた、あの春の日差しのような笑顔はどこにもない。
彼女は少し距離を置いたまま、潤んだ、けれど酷く冷めた悲しい目で皆人を見つめる。その唇が微かに震えたが、言葉が紡がれることはなかった。
皆人とブラウスウェイト家の間に、修復不能な亀裂が走ったのは確かだった。
「……失礼します」
シャルフィヤと他人行儀な別れの挨拶を交わし、皆人は逃げるように屋敷を後にした。背後に残る壮麗な館が、今はひどく遠い世界の出来事のように思えた。
帰路、馬を急がせる気にもなれず、皆人はのんびりと街道を進んでいた。
初夏の風は心地よく、戦場や貴族の屋敷でのドロドロとした空気とは無縁の穏やかさだ。
「……ふぅ、これからどうしたもんかな」
皆人が独り言を漏らした、その時だった。
街道の先、一本の古ぼけた街灯の影に、不自然な立ち姿の男がいた。
その姿を見て、皆人は思わず手綱を引いた。
右腕の袖が力なく垂れ下がっている。かつて皆人と死闘を演じ、その右腕を奪い去った「謎の男」が、そこに立っていた。
かつての彼からは、肌を刺すような殺気と、呪いの剣による圧倒的な魔力が溢れ出していた。しかし、今の男からはそんな威圧感は微塵も感じられない。魔力は一般人と同程度まで衰え、何よりその表情には覇気というものが欠落していた。
危機感を覚えるまでもなく、皆人は馬を降りた。
「……生きていたのか」
「死に損なった、という方が正しいかもしれんがな」
男は力なく笑った。その声には以前の冷徹さはなく、どこか隠居した老人のような枯れた響きがある。
「用件は何だ。今のあんたに、俺を殺せるとは思えないが」
皆人の問いに、男は視線を落とし、自らの失われた右腕の付け根を見つめた。
「勧誘に来た。……ブラウスウェイトの娘と距離が生じたのだろう? 貴族どもの打算と、恩を仇で返すような仕打ち。嫌気がさしたのではないか」
皆人は沈黙した。図星ではあったが、それを肯定する気にもなれない。
「だとしたら、あんたたちの仲間に加われと?」
「そうだ。貴公ほどの知識と力があれば、我らの目的はより早く達成される」
あまりに突拍子もない誘いに、皆人は鼻で笑った。
「断るよ。あんたたちが何を企んでいるかは知らないが、俺は俺のやり方で生きていくと決めている」
「……そうか」
男はあっさりと引き下がった。もっと執拗に食い下がるか、あるいは力ずくで連れ去ろうとするかと思っていた皆人は、拍子抜けしてしまった。
男は背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「待て」
皆人が呼び止める。
「結局、あんたたちの目的は何なんだ。なぜそこまでして、この世界をかき乱そうとする」
男は足を止め、振り返らずに答えた。
「先史文明の復活だ。この停滞した世界を、かつての栄光ある理へと戻す。……それだけだ」
男の姿は、街道の向こう側に広がる夕闇の中に溶け込むように消えていった。
かつてはあんなに激しい憎悪や敵意を抱いた相手だったはずなのに、今の皆人の心に残っているのは、奇妙な空虚感だけだった。
「先史文明の復活、か……」
皆人は天を仰いだ。
シャルフィヤの悲しい瞳。貴族たちの冷淡な態度。そして、目的を語って去った片腕の男。
守ったはずの街の未来が、どこか砂の城のように脆いものに思えてくる。
皆人は何だかひどく途方に暮れた気持ちになりながら、再びゆっくりと馬に跨った。
その背中に降り注ぐ夕日は、どこまでも静かで、冷たかった。
男の姿が完全に見えなくなると、皆人は大きく溜息をつき、頭上の虚空を見上げた。
「『兵庫』、聞こえるか。今すぐ降下艇を回してくれ。帰りたい」
『了解しました、カイト。光学迷彩を展開した状態で指定座標へ向かわせます』
数分後、大気を切り裂く微かな風切り音と共に、銀色の流線型をした無人艇が舞い降りた。
問題は、ここまで連れ添った愛馬だった。
「おい、頼むから大人しくしてくれ。別に食おうってわけじゃないんだ」
見慣れぬ鉄の塊に怯え、荒ぶる馬をなだめるのは一苦労だった。無理やり貨物室に押し込むわけにもいかず、結局、皆人は馬の目を布で覆い、自ら手綱を引いてタラップを登った。閉所恐怖症に陥ったのか、機体が浮上するたびに嘶く馬の首筋を撫で続け、皆人は離脱までの時間を冷や汗と共に過ごした。
大気圏を突破し、重力から解放される感覚が全身を包む。
ドッキングベイで馬を『兵庫』のドロイドたちに預けた皆人は、ようやく自分の足で母艦の展望デッキへと向かった。
強化ガラスの向こう側に広がるのは、息を呑むほどに広大で、美しい惑星の姿だった。
渦巻く白い雲、深い群青の海、そして境界線に輝く陽光のリング。眼下で繰り広げられていた陰惨な殺し合いも、貴族たちの醜い権力争いも、ここから見ればすべてが矮小で、塵芥のようなものに思えた。
「……綺麗だな」
こびりついていた血の臭いや、シャルフィヤの拒絶、あの男の不気味な言葉。それらによってささくれ立っていた皆人の心が、宇宙の静寂の中でゆっくりと解きほぐされていく。
本来ならすぐにリーズへ戻り、事後処理に参加すべきなのは分かっていた。エルザたちが首を長くして待っていることも予想がつく。
だが、今の皆人には休息が必要だった。
結局、皆人はその後、一ヶ月近くを『兵庫』で過ごした。
欠損していたナノマシンの再充填、右腕の兵装ユニットの全面的なオーバーホールといった本格的なメンテナンスに加え、バイタルチェックを兼ねた精神の安定化措置。
人工太陽の柔らかな光の下で、何も考えずに眠り、誰の顔色もうかがわずに食事を摂る。その時間が、崩れかけていた皆人のアイデンティティを繋ぎ止めてくれた。
一ヶ月後。
十分に英気を養い、馬と共に再びリーズの街へ降り立った皆人を待っていたのは、ギルド前の酒場から飛び出してきた仲間たちだった。
「……あら、やっと帰ってきたのね」
エルザが腕を組み、不機嫌そうな顔をして立っていた。バルカスは酒瓶を片手に鼻を鳴らし、セーラは「無事でよかった……」と胸をなでおろしている。
皆、表面上は「別に気にしていなかった」という風を装ってはいるが、その瞳の奥には隠しきれない安堵の色があった。
「悪い。ちょっと寄り道が長引いちまってね」
皆人は苦笑しながら謝罪し、馬の背から降ろした大きな木箱をテーブルの上に置いた。
「お詫びと言っちゃなんだが、いい酒を持ってきたんだ。これ、あっちでも最高級のやつなんだぜ」
『兵庫』の備蓄庫から持ち出した、ラベルの剥げた黄金色の古酒。
栓を抜いた瞬間、芳醇な香りが酒場全体に広がり、酔客たちが一斉にこちらを振り返った。
「な、なんだこの香りは……!? 貴族の祝宴でもこんなのは拝めねぇぞ!」
「ほら、今日は俺の奢りだ。遠慮するなよ」
皆人は仲間たちのコップに、惜しみなく黄金の液体を注いでいく。
戦いの傷跡はまだ街のあちこちに残っているし、ブラウスウェイト家との縁も切れたままだ。謎の男の言葉も、いつか現実となって牙を剥くかもしれない。
だが、今はいい。
笑いながら酒を酌み交わし、下らない冗談に肩を揺らす。
皆人は、自分を待っていてくれた仲間たちの温かさに触れながら、久しぶりに心の底から宴を楽しんだ。
リーズの夜は更けていき、酒場の灯火はいつまでも明るく輝き続けていた。




