ぼっちキングと決着
リーズの街門を潜ったとき、皆人を待っていたのは歓迎の調べではなく、喧騒と困惑の渦だった。
街道での惨劇は、生き残った御者によって一足先に街へと伝えられていた。ブラウスウェイト伯爵家の令嬢を預かるはずだったリーズの別邸は、まさに蜂の巣をつついたようなパニック状態に陥っていたのだ。
「シャルフィヤ様! ご無事で……ああ、なんというお姿に……!」
「警備兵は何をしていた! 街道の安全も確保できんのか!」
詰め寄る家令や怯える使用人たち。本来ならここで皆人の任務は終了し、街の守備隊に引き継がれるはずだった。しかし、今のリーズにあの「怪物」を止められる戦力など存在しないことを、皆人は嫌というほど理解していた。
「……落ち着いてください。シャルフィヤ様の身の安全が最優先です。彼女の部屋の周囲は、引き続き俺が固めます」
皆人の低い、だが芯の通った声に、場がわずかに静まり返る。
「銀嶺の英雄」の称号は伊達ではない。血に汚れたマントを羽織り、鋭い眼光を放つ少年の姿には、伯爵家の人間さえも気圧される圧倒的な説得力があった。
その夜。別邸のバルコニーに立ち、冷たい夜風に吹かれながら、皆人は脳内のパートナーと対話していた。
「状況はどうだ、『兵庫』。例の男の分析は進んだか?」
『……完了しました。カイト、あまり愉快な報告ではありませんが、聞く準備はよろしいですか?』
網膜に投影されるホログラム。そこには、先の戦闘で記録された「男の剣」と、以前皆人が死闘を繰り広げた「ベヒーモス」のデータが並んでいた。
『あの日、ベヒーモスの右肩に深く突き刺さっていた「黒い槍」。覚えていますか? あれを構成していた物質の波動パターンと、あの男が振るった「呪いの剣」の魔力波長が、99.8%の確率で一致しました』
皆人の眉間に皺が寄る。
「……つまり、あの男がベヒーモスを操っていた、あるいはあの怪物を生み出した張本人だってことか?」
『その可能性が極めて高い。あの武装は、通常の魔法金属ではありません。負の感情、あるいは世界の歪みそのものを結晶化させた「因果律兵器」の一種。既存の物理法則や魔法防御を無視して、「存在そのものを削り取る」性質を持っています』
「厄介だな。どおりで、剣を合わせるだけで魂が削られるような気がしたわけだ」
皆人が自嘲気味に呟いた、その時だった。
『緊急警告! 空間位相に急激な歪みを確認! 座標――ここです!!』
空気が凍りついた。
物理的な衝撃ではなく、世界そのものが「嫌悪感」を示しているような、おぞましい気配。
バルコニーの直上、虚空が音もなく割れ、そこから「彼」が這い出してきた。
「――やはり、ここか」
あのフードの男だ。
警備兵の検問も、魔法障壁も、彼にとっては意味をなさない。
「また来たか……! 『兵庫』、リミッター解除! 出力最大!」
『了解。魔導回路、オーバーロードを許容。……カイト、死なないでくださいね』
皆人は一気に加速し、抜刀する。
夜の静寂を切り裂き、二つの影が衝突した。
ドォォォン! と、重低音の衝撃波が別邸を揺らす。
「な、何事だ!?」
「敵襲! シャルフィヤ様の寝室へ急げ!」
階下が騒がしくなる中、皆人は必死に食い下がっていた。
皆人の剣は、科学技術と魔導工学の粋を集めた業物だ。だが、男の「呪いの剣」が触れるたび、刀身から魔力が吸い取られ、構造が不安定になっていく。
「ぐっ……!」
「無駄だ。お前の武器は『理』に基づいている。だが、この剣は理の外側にある」
男の剣が、蛇のようにしなる軌道で皆人の脇腹を狙う。
皆人は空中で姿勢を制御し、魔導銃を連射してその軌道を逸らすが、男は意に介さず、転移魔法を織り交ぜた神速の連撃を繰り出す。
(速すぎる……!『 兵庫』のアシストがあっても、予測が追いつかない……!)
皆人は追い詰められていた。
背後の扉の向こうには、震えるシャルフィヤがいる。一歩も退けない状況が、皆人の動きを硬くさせる。
その時だ。
「――天にまします、清らかなる光の源よ」
背後の扉が開き、そこにはシャルフィヤが立っていた。
恐怖に膝を震わせながらも、彼女は逃げ出さず、両手を胸の前で組み、祈りを捧げていた。
「この地に蔓延る邪悪を、どうか一時だけでも遠ざけたまえ……!」
彼女の身体から、淡く、だが圧倒的に透き通った白い光が溢れ出した。
その光が男の「呪いの剣」に触れた瞬間――。
「……ッ!? なんだ、これは……!」
男の動きが、目に見えて鈍った。
どす黒い霧を纏っていた剣が、まるで硫酸をかけられたかのように煙を上げ、その禍々しさが減退していく。
『カイト! 今です!』
『兵庫』の鋭い声が響く。
『シャルフィヤ嬢の祈りは、特定の高周波魔力による「中和」です。あの呪いの剣の共鳴を一時的に打ち消しています。有効時間は、長くて三秒!』
「三秒あれば十分だ……!」
皆人は自身の全魔力を右腕に集束させた。
ブーストポッドが火を噴き、皆人の身体が雷光と化す。
「おおおおおっ!」
男が反射的に剣を構え直そうとするが、呪いの力が弱まったその瞬間、彼は「物理的な速度」に完全には対応しきれなかった。
閃光が走る。
肉を断つ嫌な感触と共に、宙を舞ったのは――「呪いの剣」を握ったままの、男の右腕だった。
「…………がぁ、あぁぁぁッ!!」
初めて、男の口から人間らしい絶叫が漏れた。
切断面からは、血ではなく、どろりとした黒い液体が溢れ出している。
「貴様……! その女……やはり、私の『神』を拒む鍵か……!」
男は左手で右腕の傷口を押さえ、憎悪に満ちた目で二人を睨みつけた。
皆人が追撃の一歩を踏み出す。
「逃がさないと言ったはずだ!」
だが、男の足元に再び黒い魔法陣が展開される。
「……覚えておくがいい、イレギュラー。そして、聖女の末裔よ。その光がいつまでも続くと思うな」
男の姿が、今度は爆発するように黒い霧となって霧散した。
『ターゲット、消失。生命反応、消失。……カイト、追撃は不可能です。空間の座標が完全に乱れています』
皆人は剣を地面に突き立て、激しく肩で息をした。
右腕が、無理な魔力出力のせいで激しく震えている。
「……終わった、のか……?」
「カイト様……!」
光が消え、暗闇に戻った廊下で、シャルフィヤが力尽きたように倒れ込む。皆人は慌てて彼女を抱きとめた。
彼女の体は冷たく、だが確かに生きている。
「助かりました、シャルフィヤ様。……あなたの祈りがなければ、今頃俺は……」
「いいえ……私は、ただ、あなたが死んでほしくなくて……」
皆人は、意識を失いかけた彼女を強く抱きしめた。
その視線の先、床には男が落とした右腕と剣――ではなく、ただのどす黒い灰の山が残されていた。
『カイト。分析結果を補足します』
リーズの夜が明けていく頃、『兵庫』が静かに告げた。
『あの男がシャルフィヤ嬢を狙う理由が判明しました。彼女の魔力特性は、あの「呪い」の唯一の天敵です。……そして、あの男の腕を切断した際、私のセンサーが捉えました。彼の体内には、人間のものではない「核」が存在していました』
「……人間じゃないって言いたいのか?」
『分かりません。ですが、一つだけ確かなことがあります。
今回、彼は致命傷を負い、その武器を失いました。……しかし、あの執念は消えていない。
次に会うときは、より直接的な、暴力的な手段で来るでしょう』
皆人は窓の外、朝日を浴びるリーズの街並みを見つめた。
街はまた、何事もなかったかのように一日を始めるだろう。だが、皆人の戦いは、ここからが本当の始まりなのだ。
「ああ。……今度は、こちらから仕掛ける番だな」
皆人は拳を固め、静かに決意を固めた。




