ぼっちキングと強敵
数日後、皆人のもとに一通の依頼書が届けられた。
差出人はブラウスウェイト伯爵家。内容は、領地からリーズの街へと移動する令嬢・シャルフィヤの護衛任務だ。
「……彼女の、護衛か」
手紙を読み終えた皆人の口元が、わずかに緩む。
あの夜会で唯一、損得勘定抜きで言葉を交わした相手。他の貴族令嬢たちに囲まれて疲弊しきっていた皆人にとって、彼女の存在は砂漠で見つけた一筋の清流のようなものだった。
『カイト、表情筋の弛緩を確認。心理学的な分析によれば、これは「好意」または「期待」に分類される反応です。……「銀嶺の英雄」も、年頃の少年らしい一面があるということですね』
「うるさいな。……ただ、知っている相手ならやりやすいだろ? 準備はいつも通りだ。弾薬の補充、魔導回路の調整、それと……」
皆人は、少しだけ浮かれた気分を否定するように、淡々と準備を進めた。しかし、鏡の前で装備を整えるその手つきは、普段の魔物狩りの時よりもどこか丁寧だった。
そんな護衛任務も数日たった頃、皆人の意識が届かない高高度――衛星軌道上の『兵庫』は、冷徹な監視の目を地上に向けていた。
『広域スキャン開始。……異常なし。……待機。……街道北緯 35.42, 東経 139.75 地点。熱源反応なし、魔力残滓なし。しかし、光学演算ユニットが違和感を検知。空間の屈折率に 0.003% のズレを確認』
『兵庫』は、状況をより詳細に把握するため、待機させていた隠密偵察用ドローン『ハチドリ』を起動させた。高度な光学迷彩を纏ったその機体は、肉眼ではおろか、並の探知魔法でも捉えることは不可能だ。
ドローンが、その「違和感」の正体へと接近する。
そこには、道の傍らに立つ一人の男がいた。
襤褸を纏い、顔を深いフードで覆っている。一見すれば浮浪者のようだが、その立ち姿には、周囲の空間を切り裂くような鋭利な殺気が漂っていた。
ドローンが高度を下げ、男の顔を捉えようとしたその瞬間。
「――目障りだ」
男が、顔を上げることすらなく、ただ右手を払った。
次の瞬間、ドローンの視界が真っ赤に染まり、通信が途絶した。
『……! 偵察ユニット04、ロスト。破壊原因:物理的接触。……不可能です。ドローンの光学迷彩は完璧であり、かつ音響遮断も機能していました。それを、予備動作なしの素手で?』
『兵庫』のシステムが、演算速度を跳ね上げる。男の正体は不明。だが、その危険度はベヒーモスを優に超えると弾き出した。
『緊急警報。カイト、「獲物」が動きました』
カイトに『兵庫』からの警告が飛んだとき、シャルフィヤを乗せた馬車は、リーズまであと数キロという森の街道を走っていた。
「カイト様、どうかされましたか? 急に顔色が……」
向かい合わせに座っていたシャルフィヤが、不安そうに皆人を覗き込む。
「……いえ。少し、嫌な予感がしただけです。シャルフィヤ様、念のため、座席の下に身を隠していてください」
皆人が言い終わるのと同時だった。
凄まじい衝撃と共に、馬車が激しく横転した。
「きゃああっ!」
皆人は咄嗟にシャルフィヤを抱き寄せ、衝撃から守る。外からは、護衛の兵士たちの怒号と、それ以上に異質な「音」が聞こえてきた。
「なんだ、貴様は! 止まれ、止まらな……がはっ!?」
皆人が蹴破るようにして馬車から這い出すと、そこは地獄絵図と化していた。
街道の中央、一人の男が立っている。手には、どす黒い霧を纏った禍々しい片手剣――「呪いの剣」が握られていた。
「助けて……助けてくれ……!」
一人の衛兵が、男に肩を斬られ、地面を這っていた。傷口は浅い。だが、その兵士の瞳からは急速に理性が失われていく。
「あああああ! 殺してやる! お前も、お前もだ!」
狂乱した兵士が、守るべきはずの同僚に向かって剣を振り上げた。
「おい、何を……やめろ、落ち着け!」
「死ね! みんな死ねぇ!!」
「呪いの剣」によって傷を負った護衛たちが、次々と正気を失い、同士討ちを始めたのだ。互いに喉を突き、腹を裂き、血溜まりの中で笑い声を上げている。
「貴様……何をした!」
皆人が叫び、魔導銃を抜く。
「ふむ。イレギュラーか」
男が低く、掠れた声で呟いた。その声には感情の起伏が一切なく、まるで機械が言葉を発しているかのようだ。
「『銀嶺の英雄』。……お前の魂は、少しばかり「質」が良いようだな」
男が一歩、踏み出す。
その瞬間、皆人の視界から男の姿が消えた。
「速い……!」
皆人は直感だけで背後に銃口を向け、引き金を引いた。
放たれた魔弾を、男は「呪いの剣」の腹で軽々となで切るように弾き飛ばす。
「『兵庫』照準アシスト! 衛星からのレーザー照射準備!」
『不可能。……対象と貴方の距離が近すぎます。さらに、後方の馬車にはシャルフィヤ嬢が生存。極大魔法、および軌道兵器を使用した場合、彼女の生存確率は 0.0001% 未満に低下します』
「くそっ、これだから守りながらの戦いは……!」
皆人は銃をしまい、腰の小剣を抜いた。近接戦闘に持ち込むしかない。
金属音。火花。
男の剣筋は、皆人がこれまで出会ったどんな剣士とも違っていた。重い。とにかく、一撃一撃が魂を削るように重いのだ。
剣を合わせるたびに、皆人の腕に痺れが走る。
(なんだ、この強さは……。人間か? まるで、巨大な岩の塊と戦っているような……)
「どうした。英雄と持て囃された力は、その程度か」
男の振るった横凪ぎの一閃が、皆人の防御を突き破る。
皆人は咄嗟に後ろへ飛び退いたが、胸元のジャケットが切り裂かれ、浅く血が滲んだ。
「カイト様!」
馬車の影から、シャルフィヤが悲鳴を上げる。
その声に、皆人の集中がわずかに削がれた。
「戦いの中で余所見とは。……興が削がれたな」
男は剣を引くと、不気味な魔力を練り始めた。
「待て、まだ終わって……!」
皆人が踏み込もうとした瞬間、男の足元に複雑な幾何学模様の陣が浮かび上がる。
「今日は顔見せだ。次は、その女の首を貰い受ける」
「逃がすか!」
皆人が渾身の魔力を込めた一撃を放つが、その刃は虚空を裂いた。
男の姿は、霧が晴れるように消えていた。
『ターゲット、消失。空間転移魔法を確認。……追跡不能。衛星軌道からの全方位スキャンでも反応を検知できません。……カイト、申し訳ありません。私の目でも、彼を追いきれませんでした』
静寂が戻った街道。
そこには、自分たちの付けた傷で事切れた護衛たちと、恐怖に震えるシャルフィヤ、そして立ち尽くす皆人だけが残されていた。
皆人は震える手で剣を鞘に収めた。
「……大丈夫ですか、シャルフィヤ様」
「はい……カイト様、お怪我は……」
駆け寄ってきた彼女を抱き止め、皆人は安堵の息を吐く。だが、その胸中にあるのは、かつてないほど重く冷たい不安だった。
ベヒーモスを倒し、自分はこの世界の頂点に近づいたのだと、どこかで自惚れていたのかもしれない。
だが、今日現れたあの男は、全く別の次元にいた。
現代の魔法体系には存在しない「転移」を使い、人工知能である『兵庫』の目さえ欺く存在。
(あいつは、一体何者なんだ……)
空を見上げても、そこにあるのは無機質な星空だけだ。
守り抜いたはずのシャルフィヤの温もりさえ、今の皆人には、いつ壊れるか分からない硝子細工のように感じられた。
暗雲が、静かに、だが確実に「リーズ」の街を飲み込もうとしていた。
『カイト、あなたは今、その男の正体について考えていますね。
私のデータベースにも、彼の使用した術式に該当する記録はありません。
……ですが、一つだけ確かなことがあります。
彼はまた、必ず現れます。それも、より深い絶望を携えて。
カイト。強くなりましょう。今のあなたでは、……次は守りきれません』
「……わかってる。わかってるさ、『兵庫』」
夕闇の中、皆人の呟きだけが虚しく響いた。




