アブサンを飲む人々
今日のエッセイは私が2017年に書いたものです。
先日、ある方がドガの「アブサンを飲む女」について書かれているのを読みました。パリ在住の彼は、オルセーにあるその絵が大好きで、時々会いに出かれるそうです。
それを読んて、私もその絵について書いたことがあると思い、調べてみたらありました。
今、この絵はメトロポリタンに貸し出されていますから、来年の一月まではニューヨークだということです。
☆のところには、絵の写真がはいっていました。
全部載せるのは難しいので、三つでけアップしてみます。
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「アブサン」というのはお酒の名前で、その意味は「不在」、「存在しない」。この哲学的な響きの名前は酒の成分である薬草の学術名のからきていて、誰かが考えだしたものではないそうですが、このお酒にぴったりの名前です。このお酒のアルコール度数は七十度程度だそうで、年にワインがグラス三杯ほどという私には、この数字は高すぎてこわい。
アブサンを飲むと、幻覚症状が起き、自分を失ってしまうそうで、悪魔の酒などと呼ばれましたが、でも、たくさんの芸術家に愛されました。アーティストって、陶酔、破滅、極端を好む傾向にあるみたい。
ゴッホが精神的におかしくなったのも、詩人のヴェルレールが若き天才のランボーを撃ったのも、アブサンのせいだという説があります。他に、オスカー・ワイルド、ヘミングウェイなども飲んでいました。1915年にフランスでは製造禁止になり、今、売られているアブサンは、当時と同じものではありません。
下はピカソの作った「アブサン」のオブジェです。☆
その飲み方はストレートでもよいのですが、写真のように、角砂糖をアブサンスプーンをのせて、その上からお酒をたらたらと流したり、火をつけたりして飲むそうです。色は緑ですが、砂糖をいれると白くなるそうです。映画で、そんなシーンを見たことがある気がします。
私が通うサンフランシスコの美術館に、下の一枚「アブサンを飲む人々」があり、よくこの前で足が止まります。それが、ここで「アブサン」のことを取り上げてみようと思った理由です。
☆
1881年作
ジャン・フランソワ・ラファエリ(1850-1924) 、フランスのリヨン生まれ、〈祖父はイタリア人〉
この絵は美術館では印象派の絵が飾られている部屋にあり、モネの絵と向かいあっていますが、負けないほどの存在感があります。
モネはラファエリを嫌っていましたのでね、この展示の仕方は、事情がわかると皮肉っぽくて、おもしろいです。
この作品は、第六回印象派展で発表されたかなり大きな作品〈108X108cm〉です。しかし、ラファエリは写実派で、印象派の画家ではありません。そして、そのあたりで、印象派展を運営していたのがドガでした。
そのドガが彼をラファエリを招待したのです。
それで、ラファエリは第五回と第六回〈1880と1881年〉の展覧会に、特に五回のほうには三十七点という大量の作品を出しました。どういうつもりでそんなに出したのかな、と私も思うのですが、そのことでモネが怒って、彼は作品を出していません。
それについて、モネは「下手な者にも門戸を開いた」と言ったという記事を読みましたが、それって、本当に言ったかな、と私には疑問です。
ラファエリはモネより十歳も若いのですが、二十歳の時にはサロンにすでに入選し、この筆遣いを見てもわかるように、絵が描ける上手な画家です。
今でこそ、モネは巨匠ですが、サロンでは落ち続け、その頃はまだ自分の絵を確立していなかった時で、日の出を描いた時には、小学生のような絵だと言われたりしました。
展覧会の設立者ではありませんが、印象派を牽引していたのはモネではなく、ドガでした。
私はドガとモネなどの印象派との関係に、疑問がたくさんあります。まず、どうしてドガが、印象派グループに加わったのでしょうかということも。
ドガは国立美術学校へ行き、新古典派のアングルを尊敬し、古典を模写し、イタリアにも勉強した人です。サロンでも落選したことがないのです。実際、彼は印象派のようなスタイルを嫌っていたのですよね。それで、ラファエリなどを展覧会に招待するのですが、このあたりは本当に興味があるところです。しかし、ドガについてはまだ勉強中ですので別の機会にとりあげることにして、
今回は「アブセン」の話に集中です。
ラファエリのこの「アブサンを飲む人々」は、とても好評だったそうです。原題は「退役軍人たち」で、このタイトルは重要です。このお酒はもともとはフランスがアルジェリアとの内戦の時、兵隊が熱病予防のために飲んだものでした。しかし、アブセンは癖になり、兵隊達は国に帰ってきてからも飲んだので、それが広まったのでした。
フランスという国は、ナポレオン三世の時に普仏戦争をしてたくさんの兵隊が死に、そして負け、次のパリコミューンでは無政府状態になり、庶民が庶民を殺すなど、空しくて混乱の時期を経ていたのでした。
この絵の中のふたりの退役軍人からは無気力、虚脱感が感じられます。これって、当時の多くの人が感じていたことでしょう。
この絵のふたりは、今でも戦争の悪夢を見、また戦争で戦友や身近な人を失くした喪失感から抜け出せず、アブサンでも飲まないとやっていられないのでしょう。どう生きていけばいいんだろうね。そんなため息が聞こえます。
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ドガにも、「アブサンを飲む女」があります。
1876年作で、ラファエリの絵より、五年、早く描かれています。
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それよりも早く1859年に、マネが描いた「アブサンを飲む男」があります。
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これは外で酔っぱらっている男の絵ですね。道に瓶が落ちているので、たくさん飲んだことはわかりますが、これがないと酔っているようには見えません。これはサロンに出したのですか、不謹慎な絵だと酷評されたそうです。
そういうサロンの体質が、ドガは嫌いだったのではないでしょうか。実際の現実を見るべきだと。
それで、ドガの絵に戻りますが。この絵の中の女性は、なんとも情けない顔をしていて、ちょっと笑ってしまいます。壁に陽光がさしていますから、夜からずうっと飲み続けているのでしょうかね。
女性はとても不幸で、憂鬱で、生きるのが辛そう。だから、飲んでしまうのよね。お針子と売れないボヘミアン〈詩人とか〉かな。
男はやけになっている感じで、ここから逃げる道はあるのだろうかと思います。
当時のパリの庶民は夢がもてない社会状況の中で、こういうアルコールに逃げる庶民が、たくさんいたのでしょう。ドガは社会派ですから、そういうことを描きたかったのでしょうかね。
この絵はとても有名で、実際にはこの女性は女優、男性は〈禁酒主義〉の彫刻家で、ドガのためにポーズをしてくれているのだということがわかっています。この女優さん、名優ですよね。
ロートレック(1864-1901)には「アブサンのグラスとゴッホ」という珍しい作品があります。
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1887年、ゴッホがパリにいた時の様子ですね。
翌年、彼は南仏へ行きます。
この絵の中のゴッホは態度が固いというか事務員的で、こういう時もあったのたなぁと思います。
ゴッホが描いた「アブサンと静物」
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1887年、パリで描いた油絵です。テーブルの上にはアブサンと水瓶があり、向いの椅子には誰も座っていません。外を歩く人々の服装、落ち葉がないところから見て、春でしょうね。人々は誰もが背中を見せて、どこかへ向かっています。水を足されたアブサンはグラスに満ちていて、これは彼の一杯目でしょうか。さみしい気持ちをこのアブサンで癒すのでしょうかね。窓から外を見て楽しんでいるという絵ではなくて、外を見ながら孤独を感じている絵のように見えます。
アブサンを飲むと緑色の妖精が現れると言われていました。
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アルベール・メニヤン〈1845-1908、フランスの歴史画家
「緑色のミューズ」、1895年作
緑色のドレスの天使が、この勉強に疲れた男性の頭をやさしく後ろから撫でて、痛みを和らげてくれているようです。彼の顔はとろけて、ああ、助けがきてくれた、という感じですが、天使の目かややきついところが気になります。本当に天使?、それとも悪魔?
今度はチェコの画家の絵、
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ヴィクトル・オリヴァ(1861-1928) 、1901年作
ここに現れたのは妖精ではなく、危険な悪魔に誘われている感じの一枚です。
誘いに乗ったら、地獄に行きますよ。男もそれを知っているけど抗えず、落ちていくんだろうな。
ピカソにも「アブサンを飲む人」の絵があります。
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1901年、
この青い絵は、なにか「作りもの」という感じがします。アブサンの酔いは〈私には〉伝わってきません。家計のやりくりを考えている主婦、に見えますが。
そして、もう一枚。
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1903年に、ピカソが十代の頃からの友人をモデルにして描いた青い時代の作品。
エンジェル〈スペイン語ではアンヘルと発音〉が二十一歳で、ピカソはひとつ上。エンジェルは酔って、今やゾーンにはいっていきつつある様子で、若さの中に、哀愁が感じられます。壁の模様が彼の精神状態みたい。
ピカソはエンジェルをモデルにして何枚か描いていますが、この一枚が一番、魅力的に描かれていると思います。ピカソとエンジェルはバルセロナでアトリエを共有したことがあるそうですから、彼も画家だったのでしょうか。エンジェルの作品を探してみたのですが、見つかりませんでした。
彼は五十五歳で、車の事故かなんかで、死んだそうです。
いったい、どんな絵を描いた人なんでしょうか。
このピカソの絵はアンドルー・ロイド・ウェーバーが所蔵したいたけれど、2010年オークションにかけられ、37億円で売られたそうで、誰の所有になったのかは未公開です。
うーん、この絵、今は誰かがひとり占めしていますが、ぜひ、この目で見てみたい絵の一枚です。