後宮の花結師たち_04
彼の頬についていたはずの、鋭利な爪痕。
薄汚れ将軍につけられた傷が、きれいになくなっていた。
「だよな。痛みがない」
角星は自分の頬を強くさする。
「なんで? いつの間に?」
「見ろ。他もだ」
袖を大きく捲って彼は己の腕を晒した。
筋肉の引き締まった腕は、汚れてはいるも傷はない。
「特別な、治癒の癒花……」
蛇苺の癒花を凝視して、角星がポツリと言葉を落とす。
二人は顔を見合わせた。
確認しなくてはならない。恥ずかしいとは言っていられなくなった。
「アミ! 戻ってこい!」
薄汚れ将軍に乗り掛かられ、腹を齧られて泣き叫んでいる仰向けの編星を角星が呼び戻す。
その間に草苺は帯から花断鋏を外し、蛇苺を一粒切り取った。
「スウゥー!」
薄汚れ将軍が飛び降りた途端、編星はミイミイと仔猫のような泣き声を上げて全速力で戻ってくる。毛の乱れた巨体が角星に飛び付いた。
角星は倒れそうになるも踏み止まる。
「もおっと早く呼び戻してよお! 薄汚れ将軍ったら本気で噛んだあ!」
「あの方が本気で噛んだら手前ェのもっちり腹なんざすぐ破裂する」
「血ぃ出た! ぼくの玉体に傷付いたあ!」
泣き言をぼやき、角星の顔面に頭をグリグリと擦る付ける編星。そんな編星へと、草苺は蛇苺の実を摘む手を力強く伸ばした。
「編星! これ食べて! わたしの癒花――蛇苺の実!」
「んにゃああぁーっ⁉︎」
編星の尻尾がブワッ! と爆発する。
「小苺⁉︎ な、なななっなにを突然そんな熱烈な……! 癒花を食べる⁉︎ そ、そんなの夫婦間でもしないよお! た、確かにぼくはどんな花も愛でるよ? けど、癒花そのものを食べるなんて……さ、さすがのぼくも恥ずかしいにゃなあ。だって、癒花って君自身のようなものだよお? それを食べてだなんて。……んにゃあ。そんなにぼくとひとつになりたいの? うにゃにゃあぁん! 大胆だねえ! ……けれど、そうだねえ。小苺、ううん。草苺。君の気持ちを無下にしてはならない。君の癒花を、君を、ぼくの血肉としてぼくとひとつに――」
「気色悪いことほざいてねえで、とっとと食え!」
「ふにゃああああ! むごっ、ぅぐむむむっ……!」
角星は草苺から実を奪うと、編星の口の中に腕ごと蛇苺を突っ込んだ。
「ちゃんと食ったな!」
蛇苺を嚥下した編星をすかさず角星が押し倒す。草苺も編星のふくよかな腹部に飛び掛かった。
二人掛かりで黒い毛を掻き分けて、傷を確認する。
「にゃあぁん! ぼくが魅惑のモフモフだからってなにをする気なのお⁉︎」
やめてえ! と叫ぶものの編星は抵抗しない。逆に、ゴロゴロぷごぷご、と鼻息が荒くなった。
「あった! 角星、ここのところ!」
喉を鳴らす編星の脇腹に、咬み傷を見付けた。
痛々しい傷が、草苺と角星の目の前で、消えた。
「……あれ? ぼくの可愛い肉球、傷付いてたのに?」
前脚の毛繕いをしていた編星が動きをとめる。
「身体も、なんか痛くない? なあに? なにしたのお?」
「アミ。俺の顔見ろ」
「あっれえ? スウって顔に怪我してなかったあ?」
舌を出したまま首を捻る編星へと草苺はぎこちなく伝えた。
「わたしの癒花を食べたら……」
「俺の傷が治った。確認でお前にも食べさせた。結果は、この通りだ」
編星の瞳孔が細まる。
一度尻尾を左右に揺らすと、無言で身体をくねらせて起き上がった。
「二人とも。さっさと乗ってくれるう? 黄紗に報告に行くよお」
「……そうなるよね」
「黙ってるわけにはいかないからな」
「ほおら! 早く早くう!」
急かされて、草苺は渋々と黒い背に乗った。
花結師たちが属する開花省は人工池の上に建っている。
「ええええっ黄紗いないのお? ぼく探してくるねえ」
正門に繋がる大橋を守る猫妖に黄紗の不在を聞いた編星は二人をその場におろすと水面を軽やかに駆け、対岸の桜並木の向こうへの飛んでいってしまった。
「黄紗花結長はお忙しい方だものね」
「それこそ毒蟲に穢された癒花を診て回ってるんだろ。お前の、治癒の癒花については一部の花結師にしか伝えてない」
「そうだったんだ」
「混乱や悪用を避けるためにも、情報を取り扱う花結師は黄紗が慎重に選んだんだ。ハアァー……そうしておいて本当に、本当にっ! よかった!」
「ご、ごめん。ありがとう」
「まさか傷付いた癒花だけじゃなく、傷まで治すとはな。どこまで治せるのか調べねえと」
「……お手数かけます」
二人は人工池を眺めながら橋を渡る。
煌めく水面には蓮が咲き、時折り鯉が跳ねた。
「ん?」
「ぁあ? なんだ?」
橋を渡り切った直後、二人の鼓膜を刺激したのはくぐもった喧騒。
「どうしたのかな?」
人工的なざわめきは木製の扉の向こうから聞こえてくる。
草苺は扉に耳を当てた。
複数の女性の金切り声と、なにかが割れる音。
「角星、ちょっと待ってて。わたし見てくるね」
「一人で平気か?」
「ここは花結師が属する開花省だよ? 危ないことはないよ」
開花省は四省のひとつ――花結いに関しての機関。属せるのは女性のみ。
花結師は、女が官吏になれる唯一の職だった。
百年ほど空席ではあるが、四曜公太輪も花結師から選抜される。
花結師は宦官同様外廷と内廷を自由に行き来できる特別な立場のため、彼女らの属する開花省は外廷と内廷の境目である水路の真ん中の、人工池内に建っていた。




