61話 反撃10 狩猟祭(上)
「目が腫れてますね」
「狩猟祭も初めてだから考え出したら興奮して眠れなくなってしまって、少し寝不足なんです」
狩猟祭のことを考えて興奮冷めなかったのは本当だが、眠れなかったのは不安が押し寄せてきているからだと思う。事実を受け止めて自分に向き合わなくてはと思うのに、なかなかうまくいかない。
「今日の装いも素敵です」
お世辞でも嬉しいや。少し気分があがる。深い赤を基調としたジャケットにはキラキラしたものがいっぱい付けられている。中には白いブラウスとタイをして、下は細身の白いズボンだ。今日は赤毛をポニーテールにして帽子をかぶり、ヴェールはつけていない。一応ポケットに入れてあるけれど。
「ファニー様、あなたを会場に残していくのは忍びないので、一緒に森に入りましょう」
狩猟祭は王家の森で行われている。王家の森への門が開くのは狩猟祭の時だけだ。
大きい獲物だったとか、数が多いとか、珍しい獣だとか、狩りでの成果を披露しあって陛下が勝者を決める。勝者は勲章みたいのをもらうはずだ。
狩りへと男性が出陣し、女性が待機会場で応援して待っている。狩りへと赴く男性に手作りの何かを渡して無事を祈るというのが、このイベントの醍醐味だ。
わたしはそのイベント自体を知ったのが夜会に参加してからだったので、てんてこまいだった。皆様のハンカチを見たことがあるので余計気が引けたのだが、すんごいものを用意できるはずもなく、素材の良さげなハンカチにそれぞれの方に似合う花を思い浮かべて刺繍をした。パトリック様とフレディ様には渡せなくなってしまったが。
マテュー様を選んだことにし、皆様が噂をつつがなく広めたのだろう。婚約おめでとうの贈り物が知らない方たちから届いていた。
だからマテュー様以外の、わたしが袖にしたとする方たちがわたしの周りにいるのはおかしいことなのだが、賭けが終わるまでは心配なので、諦めの悪い仮面を被り評判を落としてまで近くにいてくださるみたいだ。
先ほど開会の言葉があり、狩りへの参加者は森へと入っていった。殿下とテオドール様は狩猟祭でのお仕事があり、こちらにはいない。
「マテュー様、わたし馬に乗れません、無理です」
「いえ、あなたは座っているだけでいいので」
「マテュー、狩り場は危ないだろう」
「そうだよ、こっちは僕たちで守るから」
え?と思う間もなく、馬に乗せられていて、マテュー様がその後ろに。
「寄っかかって楽にしてください」
お腹に手が回って引き寄せられる。
ひえーーーー。
「ダメだ、浮かれてる、あいつ」
タデウス様の呆れたような声が聞こえた時には、鐙を蹴って馬が歩き出した。
馬に乗るって視点が思っていたより高くなる。目の前は開けているから、ものすごく怖いんですけど。
「力を抜いて、風を感じてください。何があってもあなたを離しませんから」
風を感じる?
わたしはできるだけ力を抜くようにして、風に意識を集中する。
風が頬に当たる。木の葉を揺らすさらさらした音。前を見据えれば、わたしが風を2つに分け突き進んでいた。
「気持ちいい」
「そうでしょう? では、もう少しだけスピードを上げますよ」
マテュー様はそう言って速度を上げた。あっという間に待機会場を抜けて森の中に入る。木の間を危なげなく馬は走っていく。
参加者はもっと奥に行ったみたいで、人の気配はない。
「マテュー様は狩りをなさらなくていいのですか?」
「リリアンは狩りは好きではないでしょう?」
あ、わかってたんだ。
「狩猟祭では狩った獲物を愛する女性に捧げるんです。一番大きな獲物を捧げましょうか?」
わたしは首を横に振った。
「いえ、お気持ちだけで」
そんなのもらったって困るだけじゃないのか? 解体された〝お肉〟からなら、いただくが。
しばらく軽快に走っていたが、後ろのマテュー様が緊張するのがわかった。
「なんだか様子が違いますね」
マテュー様がスピードを緩めた。なんだろう違和感がある。
あ、音がしない。
「大きな獣でもいるのかしら?」
おっかなびっくりあたりに目を配る。
「ここは小動物のエリアですからそんなことは……」
!
馬が後ろ足だけで立ち上がった。
ヒヒーンといななき、暴れる。
落ちる!
マテュー様が片手でわたしを、片手で手綱を引いて馬を落ち着かせようとする。
馬は目を剥いて、パニックになっている。
「降ります」
マテュー様はわたしを片手に抱えたまま、どうやったのかわからないが、器用に馬から飛び降りた。
ヒュンと音がしてそちらを見れば
矢?
ヒュンヒュンと風をさく音がして、わたしは抱えられたまま転がり、木の影に入る。
わたしの口を押さえたまま、後ろへと移動する。
弓を手に矢筒を背負った人たちが現れた。
「いたか?」
「馬だけだ」
「まだこのあたりにいるはずだ、探せ」
ひとりが馬から降りた。
「こちら側を探す」
ひとりは馬に乗ったまま、反対方向へと向かう。
口から手が外れ、マテュー様が人差し指を唇の前で立てる。
わたしは頷いた。
マテュー様は立ち上がる。歩き出したが音を全くたてなかった。
わたしたちを探しにきた人に近づき、後ろから首に腕を回した。男がヘニョッとなる。
あれだけの動きで気絶させたんだ。
マテュー様はタオルのようなもので男の口を塞いだ。
それから服の飾りの紐をとり、それで男の手を縛った。紐を探しているから、わたしのタイを渡した。それで足を縛る。
マテュー様が急に振り返ってわたしを抱え込む。そして転がった。
ヒュンと耳慣れた音がする。
わたしたちの転がったすぐ横に矢が突き刺さっていた。
その矢をマテュー様は抜いて、こちらに向かってきた誰かに投げた。
投げながら自分は転がって、木の影にわたしを座らせる。
「何者だ、名を名乗れ」
そう言いながら、すぐに動き出せるよう態勢を整えて、マテュー様は目を瞑っている。
クッと笑い声がした。
「いいとこの坊は嫌だな。そう言われて名乗る奴がいると思うか?」
「では、目的は何だ?」
「あんたを葬ることだ」
わたしは口を押さえた。
な、何で? 葬るって。
「令嬢は関係ないか?」
「……ああ、女には何もしない」
「では場所を変えないか? 令嬢の前で荒ごとはしたくない」
「いや、それは困る。目の前で見届けてもらわないとな」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
何それ、どういうこと?
いや、どういうことも何も意味はひとつしかない。血の気がひいた。
相手がいい終わらないうちにマテュー様が飛び出す。声で居場所を探っていたんだろう。
ドタンと音がする。
何かが割れるような音がして、どすんと何かが飛んできた。人だ。
先ほどの縛った人と同じような黒っぽい服の人だ。
その人と目があった。次の瞬間、わたしはその人に引きずられていた。
「女性には何もしないのではなかったか?」
マテュー様の声が低く響く。
髪を掴まれのけぞった首に矢を当てられる。
「こっちが危なくなれば話は別だ。誰になったとしても坊ちゃんだって聞いてたんだけど、あんた強すぎだよ」
ざわざわ
ざわざわざわ
ざわざわざわざわ
ざわざわざわざわざわ
ざわざわざわざわざわざわ
「な、何だ?」
わたしを捕まえている男は天を仰ぐ。
風もないのに葉擦れの音が強くなっていく。
それは異常事態だった。
何かの前兆? 何かとても怖いことが起こりそうな。
葉っぱが揺れた。木が自分自身で揺れて葉を揺らしたように感じた。そんなことあるわけないのに!
葉が意志を持ったように落ちてきたと思ったら、それは男の腕に突き刺さり、男はすごい声をあげた。
一瞬の隙をマテュー様は逃さず、わたしを拾い抱えて後ろに飛ぶ。
男がわたしたちに手を伸ばそうとしたところに、男にだけ向かって葉が降り注いだ。葉ではなく刃のようだ。
悲鳴があがる。呻き声がして……。男が動かなくなった。
な、なんで落ちてきた葉っぱで血だらけになるの?
葉っぱはあの男だけに向かって落ちていった。
マテュー様がギュッとしていたのをといて、わたしの顔を見る。
目の下を拭われる。
「怖い思いをさせてすみません。立てますか?」
一回でいいのに、頷こうとすると何度も頷いてしまう。
「リリアン、俺を見て」
マテュー様の顔に擦り傷がいっぱい。顔だけじゃない、傷も汚れも。
ブワっと目から熱いものが流れ出る。口をきつくしめているのに、歯がカタカタと鳴る。
マテュー様が無事でよかった。
「リリアンが無事でよかった」
傷だらけのマテュー様が微笑む。
「わ、わたしのせいでマテュー様が……」
マテュー様がわたしの顔を両手で挟んだ。そして自分に視線をむけさせる。
「あなたが俺を傷つけるよう依頼でもしたんですか?」
横に首を振る。
「あなたのせいではありませんよ」
滲み出た涙を、マテュー様の親指で拭われる。
「混乱していますね。……情報があまりないのに決めつけるのは早計です。でも、あなたはひとりで考えこんで、決めつけて、そして傷つきそうだ。俺は人を傷つけたことがあります。そうしようとしてではなく、間違って傷つけたこともある。その時に痛感したのですが、早計に決めつけるのも良くないが、後から考えようとか、心の整理がついてからとか後からにすると余計に心は疲弊するんです。ですから、間髪入れずに事実は受け入れた方がいい。だから、今取り乱しているだろうあなたに言います。落ち葉で人が傷つくようなことはまずありません。あれは何かの力の作用があった」
目を瞑っても何も変わらないけれど、無意識に瞑ろうとした時、両頬に添えられた手に力が入って、またマテュー様を見る。
「魔術なのかと思いましたが、見たところ、リリアンにも起こったことがわかっていないようだ」
わたしの反応を見ている。
「以前もあったのですね。リリアンを助けるような不可解な出来事が」
わたしは首を横に振る。
「リリアンも自分でわかっていた。精霊の加護があると。精霊が味方してくれていると」
わたしはもっと首を横に振る。
そんなことはない。精霊を感じたことなんかない。
……本当に?
「不可解とは言い過ぎました。運が味方してくれたような、何かに助けられているようなことはあった」
無意識に唇を噛み締めていた。
「でも、こんな攻撃的なことは初めてだった」
!
「……わたしがやったんですか? わたしは人を殺したんですか?」
マテュー様に抱きしめられる。
「大丈夫、しぶとく生きていますよ。あなたを加護するものが、あなたを助けるために攻撃をしたのでしょう」
生きている! いいことなのか、悪いことなのか、もう何がなんだかわからない。
マテュー様が攻撃され、わたしの首筋に矢を当てられ、ものすごく怖かった。
でも、わたしが手にかけてしまったのなら、それはもっと本当に恐ろしかった。まだ自分自身で刃を向けたならともかく、わたしがうっすら願っただけで、誰かが傷つくのは恐ろしかった。わたしを助けようとして知らない力が働き、何かが起こるのはとても怖い。何が起こりうるかわからないし、わからないということは望むことかどうかはわからないからだ。
小さい頃、森にはいつも助けられていた。日が入ってこないほどの木が生い茂っていても、絶えず光が生まれているので、暗い森は今も想像できない。何か甘いものが欲しいと思えば、光に誘導され、甘い実を見つけることができた。食べられるものと思えば光が案内してくれた。お父様やお母様からはファニーは森の恵みを見つけるのが上手だと言われて鼻高々だった。
前世を思い出してから、なぜかそのことを忘れていた。最近、よく眩しく思うことがあり、フィッツのことを思い出した時に前にもこんなふうに見えたことがあると思い出した。その時にもしかして精霊が近くにいるのでは?と思った。でも見えないし、感じられるわけではないから、また心に蓋をした。
フィッツと話して、わたしは自分の10歳までの記憶が薄ぼんやりしていることに気づいた。覚えていることもあるけれど、けっこうぼやけている。小さい時の記憶はそんなものだとも思うが、それよりもうちょっと積極的にわたしは忘れていることがある気がした。
「怖いですか?」
「わたしはどうすれば?」
精霊は人と違う考えを持ち、時には相反する敵にもなりえるという。精霊が何を思うかなんて知らない。見えないし、感じられない。
でも、あの人を傷つけたのは、きっと精霊とかわたしを見守ってくれている何かなんだ。わたしは知らないうちに、わたしを見守っている何かがわたしのために何かを傷つけることが怖い。
「一緒に考えます。だから怖がらないで」
一緒にって。
あ、わたし、リリアンだ。ファニーに扮するリリアンだ。でもマテュー様はリリアンに精霊の加護があることを前提としている。
「なぜ、わたしに精霊の加護があると?」
マテュー様はわたしを放して、目を覗き込んでくる。
「最初に会ってからいくつも不思議に思っていることはありました。リリアンが倒れた時、ウチの屋敷で目覚めたあなたに会いに行きました」
覚えている。
「ベッドに暗い赤い色の髪の毛が一本落ちていた。あなたしか使っていないベッドです。うちのメイドにもあの色はいないし、だから恐らくあなたのものだろうと。クリスタラー令嬢を見た時に、全ての不思議だと思っていたことが噛み合う気がしました。確証を持ったのはあなたと男爵との絆を感じた時です」
「ごめんなさい。嘘をついてごめんなさい」
マテュー様の指が頬を撫でる。
「謝らなくていいんですよ」
「それに、マテュー様が狙われるなんて」
「あなたのせいではない」
先回りされた。なんて言っていいかわからない。
「会場に戻りましょう。馬に乗ります。それまで目を瞑っていてください」
わたしは目を瞑った。血の匂いがしている。
馬はもう落ち着いていた。血だらけの人を見せないようにとの配慮だろう。抱き上げて馬に乗せてくれる。後ろにマテュー様が乗った。
掛け声で馬は走り出した。お腹にまわされたマテュー様の腕に手を乗せる。
待機会場に入ってもスピードを緩めず、お兄様たちのいる天幕までひた走った。
先に降りてわたしを下ろしてくれる。
「お早かった……」
天幕から出てきたトムお兄様は途中で言葉を切って、わたしを支えてくれた。
「マテューか?」
タデウス様が出てこられた。わたしたちを見て目を大きくする。
「何があった?」
「襲われた。その報告に行ってくる。ファニー様を頼む」
「ま、マテュー様」
手を伸ばすとその手を握ってくれた。
「なるべく急いで戻ります。ここは安全です」
わたしは首を横に振った。
「狙われたのはマテュー様じゃないですか」
その言葉でタデウス様が顔をしかめ、中からお兄様とラモン様が出てくる。
「報告には僕が一緒に行くよ。ファニー嬢は中にいて。兄君たちとタデウスと一緒にね」
ラモン様がマテュー様の背中を叩いて一緒に歩き出す。
「さ、中に」
トムお兄様に促されて、わたしは天幕に入った。
「大丈夫か?」
お兄様に抱きつく。
「マテュー様が狙われたの。それをわたしが見届ける必要があるって」
わたしのせいだ。わたしのせいでマテュー様が危険な目にあった。
どうして? なんで?
「……部屋に戻るか?」
「……ここにいる」
トムお兄様が紅茶を入れてくれた。
少しずつ、わたしは3人に今さっきあったことを話しだした。
220716>鎧→鐙
どっからヨロイΣ(゜д゜lll)
汲み取ってくださり、ありがとうございましたm(_ _)m
220719>つつなく→つつがなく
誤字報告、ありがとうございましたm(_ _)m
220726> 光り→光
誤字報告、ありがとうございましたm(_ _)m
220726> 抑えた→押さえた
誤字報告、ありがとうございましたm(_ _)m
220726> お肉からなら→解体された〝お肉〟からなら
ご指摘、ありがとうございましたm(_ _)m
220814>見せないようにの→見せないようにとの
適切に、ありがとうございますm(_ _)m




