06 魔王と大公3 ※女大公視点
「うふふ。今日も良い天気ね」
数日後。
一通りの執務を終えた私は、テラスで優雅にお茶を嗜んでいました。
世界的に見れば戦時ですが、私の心は目の前に横たわる青空のように澄み渡っていました。
(だって我が国だけは魔王軍に襲撃される心配は無くなったのですもの)
戦争は、魔王の襲来以前からセレスティア大公国の悩みの種でした。
東をエルラーダ、西をオストワルドに挟まれた我が国は、いつだって国土を脅かされてきました。
経済的圧力や軍事的圧力、あらゆる手段で嫌がらせされ、発展を妨げられてきたのです。
ですがそれも、間もなく終わり。
魔王軍の侵攻が再開すれば、他国がセレスティアにちょっかいを出す余裕は無くなります。
そして……周りが疲弊するなか、我々だけが被害を受けなければ繁栄は約束されたも同然です。
大公の地位を得てから心休まる日は1日たりともありませんでしたが、ようやく努力が報われる時が来たのです。
(会議の時はよくも馬鹿にしてくれたけど、エルラーダ王、今度はあなたが慌てふためく番よ。ああ、泣きべそかいて救援を請いに来たらどうしようかしら)
その時は、魔王様に顔の利く私が取り成すのも良いでしょう。
もちろん、一生立ち直れないほどの仲裁料を支払わせますけどね!
ああ、愉快。
なんだったら1日でも長く戦争が続けばいいのに――
「大変です、姫様!」
その時、大臣が血相を変えて私の前に飛び込んできます。
「騒々しい、どうしたのですか?」
「それが、魔王の使いだという魔物が現れまして……」
「……は?」
まだ我が国に御用があるのでしょうか。
使者に会うため、私は謁見の間へ向かいました。
そこには公国兵を統括する軍務卿の姿もあり、何故かこちらを睨んでいます。更には、何故か冒険者ギルドのギルド長が伏し目がちに在席していました。
「姫様、私が留守の間にやってくれましたな」
「軍務卿。怖い顔をして、なんのことでしょう」
「魔王と交渉するなど、裏があるに決まっているではありませんか。お陰で下らぬ因縁をつけられました。大臣、貴殿がいながらなんてザマだ」
「すまん……あの時は姫様のお命が危うかったかもしれんのだ。わかってくれ」
な、なに。
私そんなにまずいことをしましたか。
「魔王様の使者がいらしているのでしょう。構いません、通しなさい」
「……後悔しますぞ」
扉の奥から現れたのは、武器こそ携帯していませんが鎧で全身を固めた2体のオーク。
その手には書状のようなものが握られています。
「ようこそおいでくださいました。それで、用件とは?」
なるべく友好的に接したつもりでしたが、使者は「魔王様カラノ言伝ダ」と告げ、神妙な雰囲気で書状を読み上げます。
「『先日、北の洞窟に貴国の冒険者5名が侵入し、滞在していた魔王軍所属のゴブリン116名が殺害された。魔族の長としては貴国に対し厳重に抗議すると共に、実行犯である冒険者の引き渡しと謝罪および賠償を要求する』」
……?
「は? ……え、えっ」
ご、ゴブリン?
謝罪、賠償?
何を言われたのかわからず思考が止まります。
私が途方に暮れていると、ギルド長が答えました。
「3日前、ラルーナ領北東部の洞窟に巣食ったゴブリンを討伐するために冒険者が派遣されました。その時倒したゴブリンが魔王の配下だったというのです」
「な……な……」
開いた口が塞がらないとはこのことでした。
在来種のゴブリンを傘下に加えたのも驚きでしたが、それよりも。
「た、民に被害があったのは事実でしょう? 悪事を働けば討伐されるのは当たり前です! 我々が責められる所以はありません!」
魔物のせいで被害が出たのはまぎれもない事実。
魔王軍に所属したからといって罪が消えるわけではないし、謝罪だの賠償だの筋違いもいいところでしょう。
しかし使者は表情ひとつ変えず口を開きます。
「魔王様、人ヲ襲ったゴブリン殺されたコト、怒ってない」
「でしたら――」
「女子供まで殺したこと、怒ってる」
――――!
「ゴブリン、オスしか人間襲わない。メス、巣で子ども産むダケ。何も悪さしてない」
「それは、だって……!」
ゴブリンはすぐに増えるから、被害を防ぐためには巣ごと全滅させるしかない。
だから、冒険者は適切な判断を取っただけで……。
「この前のゴブリン、悪さシたから処刑した、違うか」
こ、この前って。
「悪さしたから、人間と同じに扱った。まだ悪さしてないゴブリン殺した人間ハ悪だ。違うか」
あ……あ……。
「ゴブリンもオークも人間も、みんな対等だから罰を与えた。――罪のない魔物殺した人間も、罰を受けルべき」
あああああああ。
目の前が真っ暗でした。
魔王様――いや、魔王ギルバースは。
「お分かりになったでしょう。人間と魔物を対等に扱うなどできるわけがない。魔王は姫様に……付け入っていただけです」
力が抜け落ちます。
誠実に見えた行動も、友好的な態度も、全て虚言。
私は、弄ばれていたのです。
「魔王様、要求が通らなイ場合は実力で通す、言った。北の海岸で7日待つソうだ。用終わっタ。帰る」
彼らが去ると、謁見の間には重苦しい空気だけが残りました。
「どうするのです、姫様」
「…………戦うしか、ないでしょう」
要求を呑めない以上、魔王は確実に我が国へと侵攻を開始します。
7日後といえば、一方的に宣言してきた停戦期限の終わりでもあるのですから。
「しかし何故こんな回りくどいやり方をするのだ。大義名分が欲しかったのか?」
「嫌な予感がする。ひとまず海岸に斥候を出せ。各領主にも有事の通達をしろ」
軍務卿を中心に戦争の準備が始まります。
しかしその時、ギルド長が挙手をし発言を求めました。
「少々よろしいですか。先ほどの話、姫様がゴブリンを処刑したことは民の間でも話題になっております」
「ああ、見ての通り魔王の戯れに付き合わされただけだ。深い意味はない」
「ならば良いのですが……妙な噂が出回っておりまして」
「噂?」
「その、姫様が……“魔王と通じているのではないか”というものです。魔族の侵攻が再開された後も、お互いに攻撃は控えるよう『密約』を結んだと。市中では証文の写しまで出回っているとか」
今度こそ顔から血の気が引きました。
大臣に目を移せば、やはり彼も凍り付いていました。
「そんなもの魔王が我らを撹乱しているだけだ! 姫様、こうなったら国民に向けてご発言を……ひ、姫様?」
床に手をつく私を見て悟ったのでしょう。
彼は立ち尽くし、一言。
「――なんてことを」
だって。
それが皆のためだと、思ったんだもの。
□■□■
「魔王軍を確認しました。数ではこちらが上回っていますが、魔王の実力は未知数です。ここはエルラーダとオストワルドに増援を頼みましょう」
「そんな……連中に援軍など要請したら後で何を言われるか!」
「魔族が敵であることにおいては一致しています。民を危険に晒すよりはいい。早急に使者を送りましょう」
魔王は最初から私を嵌めるつもりだったのです。
密約を交わしたのは、後から公に晒すことで、周囲からの信用を失墜させるため。
考えてみれば当たり前。
自分たちだけ助かろうとするものを誰が味方と思うでしょう。
「援軍は送れない!? 魔王がすぐそこにいるんですよ!」
「例の噂はこちらにも伝わっております。率直に申し上げますが、大公は人間と魔族どちらの味方なのですか?」
「せめて貴国の兵が血を流すところを見届けなければ、援軍など、とてもとても」
思えば王族会議に姿を現した時から魔王の計略は始まっていたのでしょう。
やたらと譲歩して見せたのも、交渉のかなわぬ相手ではないとアピールすることで油断を誘っていたのです。
「領地を預かるものとしてお聞きしたい。何故世界で真っ先に我が国が侵攻を受けるのです」
「巷では姫様が魔王と手を組もうとしてヘマをしたと話題になってますぞ」
「それが事実ならマリーナ様は、暗愚どころか人類の敵だ」
密約までなら、なんとでも言い訳できました。
ゴブリンの処刑。
あれが最悪でした。
魔王との交渉は確かに存在したのだと、喧伝したようなものだったのですから。
「姫様。今後はエルラーダに忠誠を誓うとクライル伯が……」
どうしよう。
みんなが死んじゃう。
わたくしのせいで。
「大臣……姫様は」
「誰が来ても部屋にいれるなと……」
どうしたらいいの。
諦めたらだめよ。
考えなさい、マリーナ・カノン・セレスティア。
民の命がかかっているのよ。
「――――」
「姫様! 良かった、やっと体調がお戻りになりましたか!」
「ねえ、大臣」
「は、はい?」
「処刑されたゴブリンが村民に被害を出した正確な日付はわかるかしら」
「は? ええと確か――」
「そう、やっぱり王族会議の前だったのね。魔王は手を下してない……フフ」
「ひ、姫様?」
「……あのね、冷静に考えたんだけど」
私、そんなに間違ったことしたかしら?
3日後。
私は北の海岸手前に敷かれた公国軍の駐屯所を訪れていました。
「おい聞いたか。上のミスで、うちが最初に魔王軍と戦うんだってよ」
「他国からの援軍もゼロだそうだ。はぁ……どうしてこんなことに」
「ふざけんなよ、クソ……」
兵士たちの溜め息が聞こえるなか、私は馬上から声を掛けます。
「ごきげんよう、皆さん」
「ん? えっ、姫様!?」
「みんな、マリーナ様がお越しだっ!」
頭を下げる兵に、私は手を挙げて応えます。
「どうしてこのようなところへ?」
「あら、そんなの決まってるじゃありませんか」
魔王のところですよ。
海岸には魔王軍が整然と陣を構えていました。
オーク、ドレイク、ゴブリン、様々な種がこちらを睨み据えていますが、襲いかかって来る気配はありません。
魔王の統制があると、これほど大人しくなるものなのかと感心させられます。
「ご機嫌いかがかな、マリーナ大公」
浜辺に敷かれた台座から声が響きました。
馬から降りた私は陽光の注ぐ砂の上をそちらへ向かって歩きます。
椅子の上に悠然と腰を下ろす彼の顔は、怒りなどとは程遠い穏やかなものでした。
「ごきげんよう、魔王様。本日はお願いがあって参りました」
これから話すのは、私が全部決めたこと。
民のために、正しきことと選んだ道。
「我が国を、魔王軍に従属させていただけないでしょうか」