05 魔王と大公2 ※女大公視点
「ま、ままままま魔王!?」
手にした書類がばさりと床に落ちます。
この存在感は、幻影などではありません。
目の前にいるのは間違いなく魔王ギルバース本人でした。
「こ、この者が!? 誰か!」
助けを呼ぼうと大臣がドアノブに飛びつきますが、今しがた入ってきたばかりの扉はぴくりとも動きません。
「ううっ、開かない!」
「そ……そんな! ひいいい!?」
「落ち着け。お前と話がしたかったのだ。普通に顔を出しても取り合ってはもらえないような気がしたため、このような手段にいたった。許せ」
そんなことを言われても、私には話など何もありません!
こうしている間も魔王がこちらへ歩み寄ってきます。
助けて、誰か!
「お前たちに危害を加えるつもりはない。だからまずは話を聞け」
「だったら来ないで! いやっ! いやああーーーっ!」
「お逃げください! ここはワシが盾となりましょう!」
公女時代からの教育係でもある大臣が間に割って入るものの、頼りないのは明白でした。
ましてや恐怖で動けない私をかばったところで、何にもならないのは明らか。
「これでは話にならんな。ん、これはなんだ」
「あっ!?」
床の書類を手に取ると中を覗き見る魔王。
それは各国が要求してきた公国軍の配備計画書でした。
どうしましょう、最高機密なのに!
「ふん、見事にセレスティア軍が盾になるよう展開されているな。難儀なことだ」
「! ……そ、そう! そうなんです!」
私は思わず声を上ずらせていました。
魔王軍への積極的な攻撃は様子見となりましたが、我が国はしっかり南方面への共同出兵を約束させられていました。
しかもそれは、何かと因縁をつけて領地を奪おうとするエルラーダ軍を先行する形をとっていたのです。
こんな屈辱はありません。
「何で日頃から嫌がらせしてくる相手を守るような布陣なのよ! これでは国内の貴族からも非難を浴びてしまうわ!」
「その労苦、察するぞ。我も部下に手を焼かされていてなぁ」
「うう……どうやって説得したらいいのかしら」
「おお、よしよし」
「ひ、姫様……相手は魔王ですぞ」
にっちもさっちもいかなくなっていた私に、敵であるはずの魔王は心から同情してくれました。
しばらくすると、すっかり恐怖も薄れ、私は魔王と面と向かって会話できるほどに落ち着きを取り戻していました。
「お見苦しいところをお見せしました。あの、それで魔王はどうしてここに?」
「ああ、それはキルヒ村の件だ。あれは完全に我らの落ち度だった。すまなかったな」
「はい? キルヒ、村?」
殊勝に頭を下げる魔王。
ですが私には何のことだかさっぱりでした。
キルヒ村……そういえば我が国の辺境にそんな村があったような。
「報告を受けていないのか? どうやら我が軍のゴブリンが1匹、命令を無視して村を襲ったらしくてな。その際、住人に死者が出たそうではないか」
「……そうなのですか?」
「ええと。たしか数日前にそのような報告があったような。魔王軍のゴブリンだとは知らなかったようですが」
地上にも魔物は棲息していて、作物が荒らされたとか商隊が襲撃されたといった被害は枚挙に暇がありません。
ゴブリンはそれこそ、穴ぐらから廃虚までどこにでも巣食う魔物。
繁殖力が強く、大軍を投じてもいつの間にか復活してしまうため、基本的には冒険者ギルドに討伐を任せているのが現状でした。
「行軍を止めると宣言しながら早くも不手際とは情けない限りだ。ついては、当該のゴブリンをそちらへ引き渡したい」
「は……ひきわたし?」
「死者が出ているのだ。我らに非がある以上は潔く罪人を渡し、法で裁かせるのが妥当だと思うが」
「ゴブリンをですか……!?」
法はあくまで人のためのものであって、魔物を裁判にかけるなど聞いたことがありません。
しかし『魔族』という多様な種族の複合体を束ねているからでしょうか、魔王の価値観は違うようです。
「いいのですか。その、原則として殺人は極刑ですよ?」
「ああ。我の顔に泥を塗った配下など要らん」
あっさりと言い放つ魔王。
同胞に対して冷淡な気もしますが……いえ、この場合は、民の命が奪われた私こそもっと感情を出すべきなのかもしれません。
「わかりました。では身柄が届き次第、厳正な処罰を下します」
「話が早くて助かる。こちらは被害者への補償の品だ。命に代わるものではないが、魔族の長として心から謝罪する。ふむ……」
「どうかなさいました?」
「いや、さっきの話だ。一方的にセレスティアの兵が犠牲になるのは我も同情を禁じ得ない。当面は『貴国への不可侵』と、もし戦場で相対した場合は攻撃を極力避けるよう部下に通達しておこう」
「ほ、本当ですか! 助かりますわ!」
「姫様!? それは……!」
「どうしたの? 民が傷付かなくてすむのよ、こんなに良いことはないわ!」
思わぬ申し出に私の心は浮き足立ちます。
なんて心の広い魔王なのかしら!
「口約束では信用できんだろうし書面にするか。そのほうが安心だろう?」
「はい!」
それからすぐ大臣立ち会いのもとで私たちは書面を交わしました。
大臣は何やら言いたげな顔をしていましたが、結局口にすることはありませんでした。
「一時はどうなるかと……私を襲いに来たのかと思いましたわ」
「フフフ。そんな恐ろしい真似はしない」
こうして私と魔王は、『相互不干渉』の密約を結びました。
あくまで戦場で相対した時、“考えの及ぶ限り被害を出さない”という大雑把なものでしたが、無いよりはマシでしょう。
後日――約束通り、住人に危害を加えたとされるゴブリンが町の門前に届けられました。
暴れ狂うゴブリンを法廷に移送するのは困難と判断した私たちは、その場で裁判を開くと火刑による裁きを言い渡しました。
補償として支払われた宝石類は、首都に豪邸が建てられるほどの価値があり、農民の遺族はとても複雑そうな表情を浮かべていました。
□■□■
――ギャアアアアア熱ッヂイイイイイーッ!
「なんなんだ、この茶番は……」
「わざわざ撤退を知らせたり、そこいらのゴブリンを火攻めにさせたり、意味がわからんなぁ」
「戦ハ……ドコダ」
「ふん、お前たちには理解できないか。父上の計略が」
「…………」
「これが計略だと? 人間に媚びを売っているようにしか見えんが」
「いや逆だ。これであの女君主は泥沼に突っ込んだ。次は――」
「ここにいたかディーネ。頼みがある」
「魔王サマ」
「大公がゴブリンの処刑を行ったことと密約の件を国の内外問わず拡散させよ。こういうのは、お前のほうが得意だからな」
「……仰せのままに」
「さて、もう一仕事か」