13 ポーラー ※ポーラ視点
「やっと一息つけますね、ライル」
魔王との戦いから3日後。
近場の町まで戻った私たちは、食事も早々に切り上げて宿で休息を取ることになりました。
私は婚約者として、ライルにお休み前の挨拶を済ませます。
「体はもう大丈夫ですか? 痛むところはありますか?」
「ポーラのお陰ですっかり良くなったよ。ありがとう」
「……あの時はごめんなさい。私、全然動けませんでした」
「あはは、もういいよ。おれだって怖かったんだから」
「ライル……ありがとう」
「今日はゆっくり休もう。またね、ポーラ」
「はい、お休みなさい」
私の額へキスをしたライルは、バクトさんが眠る部屋へ戻りました。
その姿を、笑顔を絶やさず見送ります。
「…………ふう」
彼がドアの奥へ消えるのを見届けた後、私は向かいに借りた女子部屋へ入ります。
ヘレンさんとリーシャさんはすでにベッドで寝息を立てていました。
彼女たちの隣を抜けて荷物から例の物を取り出すと、静まり返った宿を後にします。
扉を開けた先には、静寂に満ちた町並みが広がっていました。
真夜中ともなると、開いているのは兵舎か酒場くらいしかありません。
「…………」
ここからは、趣味の時間。
私が唯一安息できる時間。
闇夜の町に繰り出した私は、まず人の気配の無い裏路地に身を潜めます。
それから、先ほど部屋から持ち出したアイテムを手に取ります。
それは被り物でした。
ただの被り物ではありません。
極北地のみに棲息する肉食動物“白クマ”をイメージして作成した被り物です。
それを頭からおっかぶると、私の身に野性が宿ります。
「ぐおー」
身も心もポーラから、ポーラーへと変貌した私は、それっぽく吠えてみました。
白クマです。
今の私は白クマそのものです。
ですが、これではまだ野生には届きません。
だって服を着ている白クマなど存在しませんから。
ですので私は――おもむろにローブを脱ぎ捨てました。
「はぁはぁ……ぐおー」
夜風が気持ちいいです。
その下の生地まで脱ぐと、いよいよ全身を心地よい清涼感が包みました。
人間として隠さねばならないものを堂々と露わにして、あられもない姿を月下に曝け出します。
「うふふ……ああ、見つかったらどうしましょう」
今この瞬間にも、住民がひょっこり顔を出したらどうなっちゃうんでしょう。
もちろん気配には十分気を付けていますけども、何があるかなんて誰にもわかりません。
頭の中で考えただけでも胸の鼓動が早りますが、まだ序の口。
私は周囲に人通りがないのを確認すると、通りの中心へ躍り出ます。
全方位どこから誰に見られるかわかったものではない四面楚歌。
早く次の物陰に移動しなければなりません!
「ぐおー! 早く隠れなくちゃ!」
たったった。
自由を謳歌するように、白クマの化身となった私は表通りを疾走します。
ただ走るだけでは物足りないので、時折3回転ルッツを舞いながら心の汚れを遠心分離することも忘れません。
もし建物からうっかり誰かが顔をのぞかせたら、捕まって正体がバレてしまったら。
最悪をイメージするたびに、肌がぞくぞくと粟立ちます。
ですが私は止まりません。
だって、今の私はポーラーですもの。
やがて前方には喧騒とともに煌々と明かりのもれる酒場が。
窓は開いているので、お客さんの1人でもこちらを見ていたら、見られてしまいます!
人生の危機に、しかし私は覚悟を決めて酒場の前を駆け抜けました!
「んん!? 今、頭だけ白クマの女が素っ裸で横切らなかったか!?」
「なんだそりゃ。どんだけ酔っぱらってんだよ、お前」
見られたぐお!
どうしましょう、もし私を追ってきたら……!
ちらちら背後を振り返りますが、目の錯覚だと思ったのかお客さんが外に出てくることはありませんでした。
その後も巡回兵をかいくぐり、野良犬に吠えられながらも、私はどうにか通りの反対側まで走り抜け、適当な路地に隠れることに成功しました。
「はぁ……はぁ……ま、まだです!」
しかし大切なのは往路よりも復路。
何せ、衣類はあちら側に置いてあるのです。
誰かが拾いでもすれば、宿まで覆面一丁で帰らねばなりません。
そんなことになったら、どうなってしまうことか。
「ああでも、やめられない。止まらない……!」
私がこの破滅的な趣味に目覚めたのは、勇者に選ばれた直後でした。
名門神官職の家系に生まれた私――ポーラ・ラスカリナは、幼い頃から聖職者としての厳しい教育を受けてきました。
起床から就寝まで1日のスケジュールは徹底的に管理されました。
祭祀の作法、魔法の修得、教養全般、あらゆる分野で完璧さが求められました。
家を裏切ってはならないと、私は努力を重ねて期待に応えました。
……思えば、それが私にとって最大の不幸。
ぎりぎりで優秀な人間の枠に収まってしまった、少しでも努力を怠ればその枠組みから外れてしまう重圧から、気の休まる時間は1日たりとも訪れませんでした。
さらには私が優秀な成績をおさめるごとに周囲の期待値もどんどん上がっていきました。
女神への信仰と祈りのみに生きる高潔な次代の聖女などと目され、一挙一動が衆目の視線に晒される日々は、まさに針の筵。
成績が落ちれば失望され、少しでも顔を曇らせればゴシップを挙げられる――無理やりに微笑み、死に物狂いで研鑚するしかない日常は苦悶でしかありませんでした。
そんな私に追撃がかかりました。
そう、ライルとの婚約です。
テレーザは政教一致を旨とする神政統治国。
他国のように貴族階級が存在せず、代わりに司教を始めとした聖職者が各地を治めています。
つまり私は便宜上でも平民なのです。
王族の婚姻相手として相応しいわけがないのです。
日頃の労苦に加えて妃教育まで始まるとわかった時、私は目の前が真っ暗になりました。
――どうしよう、とても耐えられそうにない。
――何でもいいから、息抜きがしたい。
さらには当然のごとく勇者にまで選ばれて、あの時ほど女神像を鉄槌で殴り飛ばしたいと思ったことはありません。
ある日、湯浴みをしていた時です。
体を洗ってもらおうと官女を呼んだのですが、いくら声をあげてもやってくる気配がありません。
どうやら一時的に席を外しているようです。
探しに行こうとして、ふと自分が一糸まとわぬ姿であることに気付いた時、ふと思ったのです。
このまま廊下を出歩いたら、私、どうなっちゃうんだろうと。
タガが外れた瞬間でした。
浴場を飛び出して神殿を闊歩した初めての感動は今も忘れられません。
今までの努力が、皆からの信頼が、一瞬で無に帰してしまう――そう考えただけで、かつてないまでに高揚する私がいました。
それからです、この背徳的行為が生き甲斐となったのは。
私のやることはどんどんエスカレートしていき、ライルと旅するようになってからは夜の町も平気で出歩くようになりました。
さすがに、万が一のため素顔を知られぬよう被り物を着用するようになりましたが。
(ヘレンさん。貴女は私を羨ましがっていたけど、私にとっては全て勝手に抱かされた重石なんですよ)
皆の期待に応えなければならない重圧。
王族の婚約者としての重圧。
勇者パーティーとして魔王を倒さねばならない重圧。
貴女も味わってみたらいいでしょう。
きっと私と同じように、何もかも脱ぎ捨てたくなりますから!
女神様の人選を訝しんでいましたが、私にはわかります。
きっと、いないんですよ。
本気で平和を考えている人間なんて。
「ぐおーっ、ぐおーっ!」
来た道を戻る間も、私は吠え続けます。
ああ、満ち足りている。
私は今、生きている……!
「ぐおーっ……! えっ!?」
その時、どういうわけか被り物がずり上がり、脱げてしまいました!
素顔が晒されたことに、全身から冷や汗が吹き出します!
「いやっ! このままじゃ正体がバレちゃう! 世界を救わなくちゃいけない勇者パーティーの1人が、人間失格の変態だって知られちゃう!」
慌てちゃ駄目、ポーラ。
ハプニングは付きものだもの。
(ああでも――)
地面に落ちた被り物を拾ったものの、私はそれを再び頭に付けることなく、残りの距離を走りました。
“もし遠巻きにでも見られちゃってたらどうしよう”。
髪を振り乱しながら、心に新たな背徳を生みながら。
「はぁ……ふう……」
そうこうしているうちに、元いた路地裏にたどり着きました。
ああ、これで明日からも頑張れます。
私は服の隠してある樽の陰に手を伸ばそうとして――
「難儀なものだなァ、人間は」
闇夜に響く声。
それは、1度聞いたら決して忘れられない声でした。
「いちいち身だしなみを整えねば生活できぬどころか罪に問われるとは。さぞや息苦しかろうなァ」
「あ……あ……!」
「ちなみに我が軍の8割は――全裸だ」
心臓が凍りつきます。
振り向けばそこに、“闇”が立っていました。
まさか、まさか。
「ま、ま、ま、魔王!?」
背後で目を光らせていたのは、紛れもなく魔王ギルバースでした。
腋が汗でぐっしょりです。
よりによって1番見られてはいけない相手に見られてしまうなんて。
私、どうなっちゃうんでしょう……!
ポーラーベア=白クマです。
ポーラはヒーラー兼ポーラーなのです!




