02 五閃刃
(こいつらは四天王……いや、五閃刃か)
魔王軍最高幹部『五閃刃』。
魔物たちの統括権を持たせた最高幹部の総称であり、その名の通り数は5人。
全員が我に次ぐ実力を兼ね備えた精鋭であり……我を裏切った不忠者でもある。
夢か、それともここがあの世なのか。
しかし奴らの息遣いや存在感は到底幻とは思えぬものだった。
「…………」
こちらの動揺を知りもせず、右奥の席に座る人間の少女が取り澄ました顔で視線を送っている。
年齢は今年で17だったか。
背中まで伸びた黒髪に鳶色の瞳。あどけなさを残しながらも凛々しい面立ち。刺々しい紫紺の甲冑を纏った暗黒騎士だ。
だが――その面を目にした途端、我の頭に血が逆流する。
「ぐううう、アリサ……! キサマぁ……っ」
「ぎ、ギルバース様……!?」
そう、こいつの名はアリサ。
魔王軍唯一の人間にして、後に勇者パーティーへと寝返る勇者の一員でもある。
アリサに出会ったのは7年前。
単身で地上を偵察に訪れていたところ、森の中で母親の亡骸に泣きすがっているこいつを見つけたのがきっかけだ。
我のことを魔王と知るや、アリサは人間への復讐を口にした。
聞けば、住んでいた村が領主の略奪を受け、母親ともども奴隷の身に落とされたのだとか。
弄ばれるだけの家畜に等しい生活が続くなか、体の弱かった母親は間もなく病に襲われた。
主に救いを求めたものの、病が拡がることを危惧した領主は非情にもアリサに母親を棄ててくるよう命じた。
町に出た彼女は必死に助けをもとめたが、領主の怒りに触れることを恐れた領民が手を差し伸べることはなく、母親は死亡。
後にはやり場のない怒りと憎しみだけが残ったというわけだ。
まあ、そんな事情ならば人間を滅ぼしたくなるのも頷ける。
その気概を評価した我は、所有者に絶大な魔力を与える魔剣を与えて魔王軍に加えた。
するとアリサは短い間で立派な『暗黒騎士』に成長。
正直ここまで伸びると思っていなかった我は、自らの慧眼を賞賛する意味でも幹部に取り立ててやったのだが。
まさかこいつ自身が【闇】の加護を与えられた勇者だったとは、誰が予想できようか。
さらには勇者パーティーと交戦を重ねるうち「人間にも立派な心を持ったものがいる」だの「もう1度人を信じたい」などとのたまい、反旗をひるがえす始末。
我は自らの天敵たる存在を育成してしまった挙句の果てに、腕をぶった斬られたというわけだ。
「さっきのは痛かった……痛かったぞおおっ……!」
「何のことですか!?」
ころころ態度を変えやがって、このコウモリ女!
絶対に許さんぞ、真の復讐とはどういうものかをその身に教えてやる……!
「サッちゃん。残念だけど魔王サマはやっぱりニンゲンがお気に召さないのよ」
その時、アリサの対面の席から雨雫のような声が響く。
見れば艶やかなディープブルーの髪を持つ彫刻のように整った顔立ちの女が、豊かな胸をテーブルに乗せ頬杖をついている。
露出度の高いレースの衣装からは白く細い四肢が大胆に晒され、形容しがたい色気が鼻の奥まで刺激する。
一見すると人間にしか見えないが、その両耳にあたる部位からは魚のヒレに似た形状の翼が展開している。
この女も五閃刃の1人。
『深海の策謀家』の異名を持つセイレーンの魔術師であり、名前をディーネと言った。
魔王軍では諜報部と魔導技術部を統括している。
「地上侵攻が始まってもう1ヵ月。戦力的にはこっちが上なのに拮抗状態が続いているわ。もうこれは、スパイが入り込んでいてこっちの動きをチクってるとしか思えないじゃない」
「……それがわたしだと?」
「うん。あなたしか考えられないもん」
「……人間はもうやめた。また口にしたら斬り伏せる」
「やん、怖い。どさくさ紛れに幹部を消そうとするなんて、やっぱりこの子怪しくありません? って――あ、あら。ゴミでも見るような目をしてどうしちゃいました、魔王サマ?」
我の視線に気付いたか、ディーネの表情から余裕が消える。
スパイだと?
一体どの口がほざく。
(スパイは……てめぇだろうが!)
侵略の中盤で発覚したことだが、ディーネは我がライバルである冥界の支配者『冥王』の手先として魔王軍に潜入したスパイだった。
持ち前の色気で部下を手玉に取っていたディーネは、我が軍の兵力や技術を好き放題に流出させ、さらには戦況が悪化すると仕事を放りだし、あろうことか地上での劣勢を冥王へと密告。
直後、奴の配下である『冥王軍』が魔界への侵攻を開始すると、前後からはさみ撃ちとなった我が軍の士気は落ちるところまで落ち、敗北への道をたどることになる。
魔王軍敗退の最たる要因は、まさにディーネにあった。
(でかい胸をやたら押しつけてくると思ったらハニートラップだったのか! まんまと要職に就かせちまったじゃねえか!)
裏切る前から裏切りやがって、このエロセイレーンが……!
焼き魚にしてやろうかと怒りをぶちまけそうになったところで、別方向から声が上がる。
「やめろディーネ。父上が不快に思うのも当然だ。今のはお前が悪い」
我の右隣に座る青年が眉根を寄せて言い放つ。
長めの銀髪に銀縁の片眼鏡。褐色の肌の上に黒衣を纏うインキュバスの魔族だ。
「なにようジュリオ。ニンゲンの肩を持つの」
「父上は種族で差別などしない。能力のあるものは誰だろうと重用する、それだけだ」
「えー、でも」
「それとも証拠があるのか? 無いなら、下らない理由で言いがかりをつける狭量な指揮官のせいで戦況が滞っていると解釈するが」
「……ンフフ、ごめんねサッちゃん。ゆるしてチョウザメ☆」
「どうでもいい……」
『近衛宰相』ジュリオ。
魔王軍所属の各種族を取りまとめる内政官であり、地上侵略の軍略全般を担当する参謀役でもある。
そして先ほど“父上”と言ったように、死んだ妻との一人息子でもあった。
「いいか、魔王様は女神に成り代わり地上の支配者となられる御方。すなわち神となられるのだ。我々はただ手足となって偉業を支えればいい。そもそもお前らは――」
「あちゃあ、まーたジュリオのパパ推しが始まったわ」
ジュリオは我をやたらと神格化する傾向があった。
魔王として地上へ侵攻を開始したのも、生きとし生ける全種族を導くため。
全ては万能の神になるためであると、買いかぶっているのだ。
無論、我は神を目指す気などない。
魔族の誰も成し得なかった地上侵略を果たし、優越感に浸りたいだけだ。
王として崇められたいだけであって、神として誰も彼もを導くなど面倒臭くてやっていられるものではない。
親が子に過剰な期待をかけるケースはあるが、これはその逆パターンといえるだろう。
まあ、そんな意識の高い息子だからだろうか。
戦況が悪化していくに連れ、ジュリオは我の方針にやたらと諫言をしてくるようになった。
はじめは聞き流していたのだが、細かいことまで口を出されて段々と神経に触るようになり、イライラした我は、ある日カッとなってつい毒を吐いてしまった。
“勝手な理想を押し付けるな迷惑だ”と。
以降、ジュリオのやる気は目に見えて失われ、口数も減っていった。
ぎくしゃくしたままの日々が続くごとに関係修復は困難になり、魔王軍の敗色が濃厚になると、なんと残存する配下をまとめ上げて勝手に魔界へ撤退してしまった。
一気に戦力を失った我は、実の息子にとどめを刺されたも同然の形となってしまったのだった。
「――というわけで、我々幹部にも高潔な精神が求められる。ですよね、父上。……父上?」
「お父さん、お前をそんな子に育てた覚えはありません」
「本当にどうなさったんですか!?」
男手ひとつで育ててきただけに、お前の裏切りは一番堪たえたぞ。
どうしてそんなインテリに育ってしまったんだ。
「煩イゾ……オ前タチ」
その時、地の底から響くような唸り声に空気が張りつめる。
刃のような一本の牙が生えた上顎をもたげ、鎧のような甲鱗を持つ竜の魔族が発したものだ。
菫色の水晶が嵌めこまれたような双眸に代表される全身の無機質さは、他の幹部とは一線を画す威容を醸している。
無論それは、純粋な力という意味でだ。
「戦況ガ膠着シテイル。急ギ戻ルタメニモ、早々二会議ヲ終ワラセネバ」
「ゼスティガ……そうは言うがな」
「声ガ聞コエル。戦場ガ私ヲ呼ンデイル。早ク、魂ノ場所ヘ……」
「くっ。話を聞け、戦闘狂め」
『暴霊竜』ゼスティガ。
魔王軍では我に次ぐ実力を持ち、竜族でありながら精霊としての特質を有する戦いの権化だ。
現在は会議の間にも入り込めるよう『竜人』の姿をしているが、戦況に応じて邪竜や飛竜などの形態に変化する能力を持っている。
こいつを部下にするのは苦労した。
ゼスティガには過去の記憶が一切無かった。
魔界で暴走しているところを発見した我は、死闘しつつコミュニケーションを取るところから始め、魔王軍がいかに快適な環境かを懇切丁寧に説明し、地上侵略が完了した暁にはその空をくれてやる条件で主従契約を結んだのだ。
まあ……それもあっさり破棄されたわけだが。
地上での拠点にもなっている我が魔王城は、魔力を消費することで飛行も可能になる。
魔王軍が崩壊し戦略的撤退を余儀なくされた我は、ただひとり配下として残っていたゼスティガに時間稼ぎを命じて空へと退避した。
上空まで行ってしまえば勇者どもも手出しはできまいと安堵していたのだが。
まさかこいつが、女神から地上を守護するよう言い渡された『聖霊竜』の末裔であったとは。
魔界で暴れていたのは何のことはない。本能として魔物を滅ぼそうとしていただけだったのだ。
勇者と出会ったことで自らの使命を思い出したゼスティガは、勇者パーティーの乗り物に成り下がった。
そして先ほどの最終決戦に繋がるというわけだ。
魔王軍の幹部に2人も勇者パーティーの関係者が紛れ込んでいるとは、一体何の冗談だ。
「ワハハ。皆、仲がよろしいですなぁ」
そう豪快な笑いを飛ばしたのは『雷獣公』の異名を持つ獅子族のバリオン。
黄金の毛並みに包まれた筋骨たくましい肉体を持つ獣人の将軍だ。
魔王軍結成以前からの古参幹部であり、はじめに勇者討伐の命を下したのがこいつだった。
当初は意気揚々と出撃したものだが、勇者どもの結束を前に敗北を重ねてしまい、最期はあっさりと討たれ骸となって帰ってきた。
お陰で五閃刃は四天王への名称変更を余儀なくされたのだった。
(日を追うごとに悪くなっていく毛並みは、見るに堪えなかったぞ……)
何、別に裏切ってなくないかだと?
……我の期待を裏切っているだろうが。
長い付き合いだったバリオンには思うところもあった。
それがあっさりと我の下を去るとは。
配下からの信望もあったバリオンの死が、軍に与えた影響は計り知れない。
魔王軍衰亡の切っ掛けがこいつだとしたら、立派な戦犯と言えるだろう。
「別に仲良くない。どうしたらそう見えるんだ」
「そうよー。あたしたちは互いに競い合い、足を引っ張り遭うライバルよ」
「まあ戦略上、連携が不要とは言わないが」
「フン……」
唇を尖らせる面々を見て「若者はこうでなければ」と満足げに頷いている。
わけがわからん。
――もういい。
恩知らずのアリサ。
スパイのディーネ。
親不孝のジュリオ。
契約破棄のゼスティガ。
役立たずのバリオン。
そろいもそろって裏切りやがって。
こんな奴らを幹部に採用したから煮え湯を飲まされる羽目になったのだ。
だが……どんな奇跡か、我はやり直しの機会を与えられたようだ。
五閃刃は潰す。
その上でまた新たな幹部を魔界で見つける。
今度はもっと信頼できる奴らを。
(死んで詫びろ、裏切り者ども)
奴らを粛清するべく、我は片手に極大呪文を放つための魔力を込める。
だが、その時。
「それで、いかがなさるのですか?」
ふいに、ジュリオから声がかかった。