08 もういい
どんな時も冷静さを失わず、我の命を狙い撃ち続けてきたリーシャが、無防備にひれ伏している。
勇者の1人が、宿敵たる我に助命を乞っている。
何度見返しても信じられぬ光景だった。
「わ、わ、わたしはもう、魔王様と戦う気はありませんっ……! だから、見逃してくださいっ……!」
再度、耳を疑う言葉を吐く。
こちらの様子を窺うように向けられた上目遣いの表情からは、誇りを口にした凛々しい面立ちは消えていた。
代わりに浮かんでいたのは、眉尻を下げた品の無い笑みだった。
「さ、先ほど、おっしゃいましたよね。じ、従僕に加えてもいいって。く、加わります! わたし、ど、奴隷になりますっ! え、えへへへっ」
「……はぁ!?」
代わりに飛び出したのは自ら最底辺に落ちるという宣言。
何かの策なのか。
これほど真に迫る演技もできるのか。
いや、だとしても。
宿敵と認めた1人が無様を晒すのは、許容できぬものがあった。
「リーシャ。どうしちゃったんだよ」
組み付いていたライルの腕から力が抜ける。
「なんで、そんな真似してるの。ウソだよね。リーシャは誇り高いエルフ――」
言葉の途中。
リーシャの眉が吊り上がり、凄絶な眼差しでライルを睨む。
しかしすぐに下卑た表情でこちらを振り向くと。
「ま、魔王様は、人間を侵略しに来たんですよね」
「は?」
「わたしは見ての通りエルフ。し、侵略の対象外です。だから、争うだけ無意味ですよねっ?」
そんなわけないだろうが。
我は地上の全種族を支配するつもりだぞ。
「さっきの攻撃は大きな誤りでした。この通り誠心誠意平伏します。あ、そうだ! こんなのはどうでしょう?」
リーシャは四足動物の歩みで足元までやってくると、顔を近付け、そのまま我の足甲に――ためらいもなく口を付けた。
「んべー……れろれろ……どうれすぅ? ぺろぺろ……えへへっ」
「な……な……」
浅ましく舌を出し、唾液を塗ったくってくるリーシャ。
意地汚さの極みともとれる行為を見せつけられ、ライルは絶句する。
その胸中は察するに余りあった。
「な、何してんのよアンタ……」
「れろ……見ればわかるでしょ。偉大なる魔王様のおみ足を舌でお掃除して差し上げてるの。雄はね、こうされると優越感が満たされるのよ」
「リーシャ、さん……」
愕然とした表情で覗き込むヘレンとポーラにさえ、己の醜態を何でもないことのように告げる。
「んへぁ……まだ物足りませんか? で、でしたら、わたしの体をお使いになるのはいかがでしょう。この通り、スタイルには自信があるんです。なんでしたら、こ、この場で、品定めしても……」
挙げ句、衣服の裾をはだけさせ、胸元を露わにする始末。
不気味な笑みを浮かべて迫ってくる姿を前にして、いよいよ頭に血が昇る。
「キサマ、いい加減に……」
「ふざけるなぁっ!」
こちらが怒りを爆発させるより早く、リーシャに飛び掛かったのはヘレンだ。
2人は髪を振り乱して揉みあうように地べたを転がった。
「あんた正気!? なに堂々と裏切ってんのよ!」
「だ、黙れ! こんなに力の差があったら勝てるわけない……!」
「体まで売るなんてどうかしてるわ! 戦う前に言ってた誇りだのはどこ行ったのよ!」
「あんなもの買い言葉だ! こ、媚びてでも何でもして見逃してもらわないと、この場を生き残れない……!」
「……! 本当にどうしちゃったのよ!? あんたも勇者でしょ、しっかりしてよ!」
「そ、そんな勝手に選ばれたモノ! わたしの知ったことじゃない!」
「……ッ!」
激昂したヘレンがリーシャの頬を張り、軽快な音が宙に消える。
リーシャもキッと睨み返し、お返しとばかりに平手を喰らわせる。
その後も感情剥き出しの罵り合いは続く。
「見損なったわ! エルフは全員あんたみたいに意地汚いわけ!?」
「わたしはわたしだ! 知った風な口を利くな!」
横でずるりと音がした。
我から離れたライルが、途方に暮れたように2人の罵り合いを見つめていた。
「このクソエルフ! 恥を知れ!」
「漏らした奴に言われたくない! いい加減離れて、臭い!」
「うるさいうるさいうるさい!」
「痛い痛い! そんな元気があるなら魔王にぶつければいい、ほら!」
「!? 魔王……ひ、ヒィィィィ!?」
正気に返ったようにこちらを向いたヘレンは悲鳴をあげると、目を見開いたまま体を抱えて再び歯を鳴らし始める。
「ほ、ほら見ろ。自分だって死にたくないくせに。……あ、あはは。情けな……」
リーシャはもう媚びを売るような真似はしなかった。
代わりに、座り込んだまま気をやったように、涙を流して嗤っている。
「みんな、どうしちゃったんだよ。敵が、魔王が、そこにいるんだよ」
そう言ってライルは敵である我に背を向け、ふらふらした足取りで仲間たちのもとへ歩き出す。
「バクト、どうしたんだよ。いつもの威勢はどうしちゃったんだよ」
「……すまねぇ、ライル……体が、動かねえんだ……!」
「ポーラ、諦めちゃ駄目だ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ヘレン、怖いのはわかるよ、でも」
「ひっ……うええ……っ」
「……リーシャ」
「………………終わりよ」
全ての言葉を聞き終えたライルは、糸が切れたように膝をつく。
(なんだ、これは)
これが、我を追い詰めた勇者の姿か。
敵を前に泣き腫らし、身悶え、放心し、命乞いをする。
こんなみじめな奴らに我は負けたのか。
こんな奴らに。
こんな――
「――――――」
声にならない咆哮。
不快感に耐え切れなかった。
世界の何もかもが白く見えた。
「…………もういい。お前たちなど殺す価値も無い」
心の折れた奴らに、用は無い。
我はそのまま背を向けると、言い表しようのない気持ちを抱えてその場を去った。




