03 そう何度も易々とだな
「あっはっは、災難でしたねー」
「笑っている場合か。まったく」
木々の合間から陽光の差し込む森の中の山道に、合流したディーネの淡白な笑い声が響く。
我らは今、グランバルト王国東に広がる森林地帯に足を踏み入れていた。勇者パーティーが村を離れ、こちらへ入ったという報告を受けたためだ。
どうも奴らは道中の砦ではなく、本陣のある海岸に直接向かっている可能性が高いらしい。
事実ならますます放置はできない。
我も奴らを迎え撃つべく、自ら森の中へ赴いたというわけだ。
「あいつらが揉めていた事は知っていたのか?」
「そりゃ報告受けてますから。でもふたりのどっちかが折れれば済むことですので、ほっときました☆」
「その折らせるのが至難なのであろうが……」
ぺろっと舌を出し、こめかみでピースをするディーネ。
何だそのポーズは。可愛いな、おい。
「一応聞くが、南で似たような問題は起きてないな」
「まっさかぁ。ジュリオたちは面倒見いいから心配ないですよぉ」
まあ、意識の高いジュリオと年長者のバリオンが揉める姿は、さすがに想像がつかない。
だが念のため、一段落したら南へも顔を出しておこうと決める。
「いいか。あいつらにも言ったが、今後はどんな些事でも報告しろ。あとアリサをからかうような言動は控えるように。なるべく仲良くしてやれ」
スパイにこんなことを言っても無駄だろうが、上辺だけでも愛想よくさせておけば少しは違うだろう。
するとディーネは眉根を寄せ、表情を曇らせた。
「うーん、命令なら仕方ないですけどぉ」
「何だ。言いたいことがあるなら言え」
「じゃあ折角なので。魔王サマ、ちょっとサッちゃんに甘過ぎません?」
「む……そうか?」
別にアリサだけではないぞ。
お前らの背信行為を水に流すくらい激甘だぞ。
「会議の時もひとりで荒れてたのに全然止めなかったじゃないですか。さっきの話だって、お叱りの1つも無いなんてヌルいにも程がありますよ」
「ふむ……だが、あいつもまだまだ若輩だ。少々の失態には目を瞑り、経験を積ませるべきではないか」
別に今まで全然叱って来なかったわけではない。
だが以前、幼かったジュリオの粗相を叱った際、あまりに恐ろしかったのか、半月くらいは我の顔を見ただけで泣き出すようになったことがあった。
あれ以来、基本的に本人の意思を尊重する方針に変えた。
放任主義ともいう。
「あ、魔王サマの教育方針はどうでもいいです」
「はっきり言うな、おい」
「幹部同士なんですから、評価は公正にしてくれなきゃ面白くはないですよ。あたしたちは結構マジメに部下の面倒見てるんですから、誰かさんだけ好き放題やってるのが鼻につくのは当たり前です」
「うーむ、そういうものか」
「こっちに来て最初の時なんて、魔霊軍が滅茶苦茶な動きしてたの知ってますよね。もっと付き合わされるほうの気持ちも考えてもらわないと」
たしかに北方面の侵攻具合は他と比べて良いものではなかった。
原因は、アリサが部下を差し置いて、単独で突っこみ過ぎるためだ。
自ら先陣を切るのは立派なものだが、指示をおざなりにするから魔霊軍の魔族も後ろをついていくしかなく、ひとかたまりで移動するため行軍も遅かった。
以前、軍の指揮が苦手と指摘されていたのはそういうことだ。
「……わかった。手が空いた時にでも指導しようと思う」
「そうしてください。それとたまには、あたしたちにもご褒美くらい欲しいですね」
「褒美だと」
「五閃刃は万単位の部下を管理してるんですよ。上と下の板挟みで、中間管理職は大変なんですから」
「自分でそれを言うか。だがまぁ、わかった。考えておこう」
「え、本当にくれるんですか」
「お前が言ったんだろうが」
幹部たちの好みなど一切わからないが、たまには労いも良いだろう。
すると、どういうわけかディーネが密着し、顔を覗き込んでくる。
「魔王サマ。マジでどうしちゃったんですか?」
「何がだ」
「いやー、今まで頭空っぽで押せ押せだったのが、急に中身を使い始めたっていうか」
「さては馬鹿にしているな」
「だってぇ。この前の招集の途中くらいから、態度がガラッと変わったんですもん。なーんか、あたしたちに気を使ってるっていうか」
「だから、勝つためだと言ったであろう。お前たちも含めて兵の数にも限りがある。常にあらゆる可能性は考えているし、手段を選ぶつもりもないぞ」
「それにしたって変わり過ぎですよ。ね・え、本当は何があったんです? あたしだけに教えてくださいよー」
右腕に触れる弾力を伴った感触とともに、蠱惑的な匂いが鼻をくすぐる。
そちらを向くと、さらに間近にディーネの顔が迫っていた。
水面のように澄んだ瑞々しい白肌。
妖艶な弧を描く睫毛と切れ長の目の中で、鳶色の双眸が踊っている。
吐息を吹きかけるようにしなだれかかる様は、間違いなく我を甘美な世界に導かんと熱を伝える。
言うまでもなく誘惑、ハニートラップだ。
目を落とせば、開けた胸元から大胆に盛り上がった双丘が深い谷間をのぞかせ、我の二の腕を挟み込んでいた。
血管の青く浮いた膨らみが形を変える様を見て、自我を保っていられる男がこの世に何人いることか。
(スパイの本領発揮といったところか。――だが)
舐めるな。
以前の我ならば、おさわりくらいはしただろうが、裏があるとわかった今では、ディーネに気を許すなどあろうはずがない。
「……急に密着してどうした。無礼であるぞ」
貴様の体になんぞ興味はないとばかりに、そっぽを向いてやる。
最強の魔王である我は、精神力も最強。
下心がわかっていれば色仕掛けに耐えることなど容易なのだ。
「ひどーい。あたしたちの仲じゃないですか」
懲りる様子もなく眉尻を下げて擦り寄ってくる。
それどころか、ますます柔肌を押し付けてきた。
まったく、いくら甘い声をあげたところで無駄だというのに。
「あれれ、顔が真っ赤ですよぉ」
「慣れない土地に来て邪気にあてられたのかも知れぬ」
小賢しい奸計に精を出したところで、いや、出しているのは色気か。乳も出しているな。
滑稽としか言いようがない。
いや、本当に。
「えっ。大変、熱をはからなきゃ」
額にこつんとした感触。
ディーネの額があてられたと気付いた時には、既に拒める状況ではなかった。
「ん-、そこまで熱くないっぽいですね。ていうか魔王サマって風邪引いたことあるんです?」
「馬鹿にしているのか」
近い、顔が近い! なんてきめ細かな肌だ!
これから戦いだというのに化粧まで気合を入れおって!
「むー、今日はノリが悪いですねぇ」
「勇者と戦うのだぞ。遊んでいる場合か」
「……えい」
「!?」
次の瞬間、ディーネはこれでもかとばかりに胸を押し当てて来た。
ただ押し当てたのではない。豊かな2つの柔房が、衣の内側から競り上がり、真理に繋がるであろう奥深い谷間を形成している。
それこそ、小指で胸元を少し引っ張れば、中身がまろびててしまいそうなほどに。
「な、な、なにをしているのだ」
「いやー、あたしにもプライドがあるっていうか」
こうしている間にも、ぐにぐにと胸を押し付けてくる。
まさか実力行使に出てくるとは、この魔王の叡智を持ってしても予測できなかった。
(鎮まれ。これは試練だ)
ここで誘惑に打ち勝てぬようでは、魔王軍に栄光は無い。
全ては勝利のため、地上侵略のため。
「むむむ。ぎゅー」
なおも懲りずに密着してくるディーネ。
だがすでに峠は越えた。
これなら余程のことが無い限り、自我を失うことはない。
勝った。
(……ん? アレは何だ?)
その時、ずり下がった双丘の中央付近が目に留まる。
白房の中央、わずかながら色素の濃い部分が――
まさかそれは――“にゅ”っ!?
「おい、お前……ッ!」
「どうかしました? どこをガン見して……きゃっ!」
慌てて我から離れ、胸元を押さえるディーネ。
今さらながら頬を染めて照れ隠しをする。
「あはは……見ちゃいました?」
「見ていない。我は何も見ていない」
異次元の粒子など、目に焼き付いていない。
「……もしかして、見たいです?」
「いや、全然」
「……いいですよ、ちょっとくらいなら」
「なんだと」
「そ・の・代・わ・り、何があったのか教えてくーださい☆」
「煩悩退散、煩悩退散……!」
その後も続いたディーネの誘惑を、我は勇者パーティーの気配を捉えるまでの間中、耐え続けたのだった。




